私の友だち、A子は豊満な腹部とひきしまった胸の持ち主である。彼女は会社の同僚である、B子と男性三人と共に、伊豆の修善寺に遊びに行った。B子は豊満な胸とひきしまった腹を持つ、絵に描いたようなプロポーションのいい女性である。A子はB子と同じように、丸首のカーディガンの前を全部とめて、セーターのようにして着ていた。しかし胸よりも腹が出ている自分の姿を彼女と比較して、ずいぶんシルエットが違うと疑問を感じつつも、それなりに同僚との旅行を楽しんでいたのであった。
彼らは修善寺に行ったついでに、近くにある「イノシシ村」に行ってみた。そこには生まれたばかりとおぼしき、両手のひらにのるくらいに小さくて、眼がぱっちりしている、ウリ坊のウリちゃんがたくさんいて、お母さんイノシシのおっぱいにむしゃぶりついていた。
「かわいいねえ」
しばし、ウリちゃんたちを眺めていたのであるが、何気なく周囲を見渡してみると、イノシシだけでなく、たぬきもいた。たぬきたちは、「ぶんぶく茶釜ショー」に出演のため、待機していた。A子は、
「猿の次郎くんみたいに、人間と丁々発止《ちようちようはつし》のやりとりをするのかしら」
と期待していたのだが、ショーの名前はお茶目だが、それはたぬきがするりと茶釜のなかに出たり入ったりするだけの、まことに静かな芸なのであった。
「なるほど」
彼女は納得したものの、いまひとつ満足のいく出し物ではなかった。そんなときに聞こえてきたのは、「イノシシレース開催」のアナウンスであった。彼女はとにかくギャンブルが大好きで、休暇が取れると、マカオのカジノに行って、人にいえないくらい負けて帰ってくる。その直後は、
「もう、やらない」
と、しょげているのであるが、しばらくすると、
「あのときの負けを取り戻す」
といって、またカジノに行く。そこで負ければギャンブルはあきらめるはずなのだが、もともとギャンブル運があるらしく、必ず負けを取り戻すくらいに勝ってしまう。だから彼女は、ギャンブルから足を洗うことはできないのであった。
「ねっ、やろうよ、やろうよ」
彼女はみんなを誘った。
「そうねえ」
B子はそういうことをするのは初めてだったが、まんざらでもなさそうだった。男性たちは、
「お前も好きだなあ」
といいながらも反対しなかった。そして何の問題もなく、イノシシレースに参加することが決まったのである。
システムは競馬と同じである。パドックには、ゼッケンをつけた八頭のイノシシがいた。ブヒブヒ鳴きながら、そこいらへんの土をほじくりかえしているもの、他のイノシシを追いかけて尻の匂いをかいでいるもの、ただ、ぼーっと物思いにふけっているものなど、さまざまであった。イノシシたちが走るのは、山あり谷あり、泥沼などの障害ありと、一筋縄ではいかない、全長二百メートルほどのコースである。
「あたし、五番の『イノシシモモエ』にするわ」
A子は複式ではなく、単勝の「イノシシ券」を百円で購入した。
「私もモモエは、やってくれそうな気がするの」
B子もパドックの様子を見て、単勝券を買った。男性たちは、「イノシシセイコ」「イノシシトモカズ」などの券を購入し、一同、かたずをのんでイノシシの出走を待った。
「ゼッケンが、とれたイノシシは失格でえす」
アナウンスが耳に響いた。あのずんぐりした体から、ゼッケンはすぐにはずれそうな気がしてきて、A子たちは胸がどきどきしてきたのだった。
ところがイノシシは、ゲートインすることすら、満足にできなかった。なかにはやる気まんまんで、自らすすんでゲートに入るものもいたが、A子とB子が買った「イノシシモモエ」は、いつまでたってもブヒブヒ鳴きながら、土をほじくりかえしているだけで、係員のおじさんに無理やりゲートに押し込められる始末だった。
「あーあ」
先を案じて二人がため息をついたとたん、スタートのピストルの音がとどろいた。イノシシ券を購入した観光客からは、
「おーっ」
という歓声があがり、イノシシレースの雰囲気は一気に盛り上がった。
「あらっ」
他のイノシシが、どどーっと疾走していったというのに、「イノシシモモエ」だけは相変わらずブヒブヒいいながら、土をほじくりかえしていた。それを見た係員のおじさんが、あわてて「イノシシモモエ」を追い立ててやると、やっと自分の立場を把握したのか、先に行った七頭の後を追って、走りだしたのだった。
猪突猛進というけれど、A子はまるで俵のような大きなイノシシが、あんなにすごい勢いで走るのを初めて見た。どどどどどっと地鳴りがして、山からこんなものが走ってきたら、人が腰を抜かすのも当たり前だと思った。
「いけー」
男性たちの買った「イノシシトモカズ」は、「イノシシセイコ」とトップを争っていた。たかが百円のイノシシ券ではあるが、ギャンブルでは勝たないと気がすまないA子は、鈍《どん》くさい「イノシシモモエ」にいらいらしながら、券を握りしめていた。
「ああっ」
観客の絶叫が聞こえたので、背伸びして前方を見ると、なんとトップの「トモカズ」と「セイコ」が接触して、「セイコ」がこけた。するとそれを見た「モモエ」は、今までのたのたしていたのに、急にターボが全開した。そして山梨学院大学のオツオリ君みたいに、六頭をごぼう抜きし、とうとうトップの「トモカズ」に並んだのである。
「ぎゃー」
A子とB子は半狂乱状態であった。最後の二十メートル、手に汗握るトップ争いだったが、何とゴールの直前に「トモカズ」のゼッケンのひもがぶっち切れてしまい、規定により、鈍くさい「モモエ」が栄えある一等となったのである。
「ばんざーい」
ゴールの瞬間、A子とB子は思わず両手を力強く上げた。そのとたん、
「ぶちっ」
と鈍い音がした。ふと二人は自分たちの着ていた、カーディガンに目をやった。すると、腹部の豊満なA子は腹の部分のボタンが、胸が豊満なB子は乳の部分のボタンが、見事に弾けとんでしまった。男性たちの仰天した目つきを後目に、二人は景品のゼッケンをつけたウリ坊のぬいぐるみをもらって、有頂天になっていた。イノシシレースをとって、気が大きくなっていた彼女たちは、カーディガンの腹や胸の部分がばくばくしていても、そんなこと屁とも思わずに、平気で旅行を続けていた。しかしその事実は、イノシシレースをはずした男性たちによって、
「女ギャンブラー、腹ボタン、乳ボタン、ぶっち切れ事件」
と名付けられ、あっという間に総勢三百人の会社の人々の知るところとなり、彼女たちはしばらくの間、笑い者になったのであった。