あっちこっちで書いているように、高校時代の私はデブだった。自分でも嫌になるほどのデブだった。最近になって母親が、
「ホントにあんた、高校生のときみっともなかったねぇ」
とポロッといった。親も嫌になるくらいのデブだったわけである。身長一五三センチ、体重六十キロ、あれこれいわれるのも当然だ。で、やっぱり全然モテなかった。何か一つだけでも男の子にアピールするものを持っていたほうがいいと思い、髪だけは背中の真ん中くらいまでずーっと伸ばしていた。これで何とか男をおびきよせようと半分必死だったのであるが、寄ってくるのは痴漢ばかりだった。通学途中、電車の中でモゾモゾとへんなけはいがするのでふり返ると、背の低い一見マジメなサラリーマン風の男が、折りたたんだ新聞を目かくしにして、今まさに私の臀部《でんぶ》に右手を伸ばさん、というところだった。私と目が合ったその男は一瞬ギョッとしたが、にくたらしいことに、やりばのなくなった右手を指の屈伸運動をしているかのように急にニギニギしてごまかし、鼻歌を唄いながら横を向いてしまったのである。
しかし、やはりそこでひき下がるような男ではなかった。今度は私の横の位置に移動し、腕を曲げて肩を上げ下げするという肩こり体操をおっぱじめ、その曲げたヒジで私の胸をこづくのであった。私は一歩カニ歩きをして右によけた。するとその男もすり寄ってきた。もう二歩右によけた。さすがにもう男は寄ってこなかった。というのもつかの間、ガタンと電車が大きく揺れたのをいいことに、そいつは、
「オットット」
などといいながら私にしなだれかかり、胸をわしづかみにした。私が怒りで目をむいているとそいつはますます体を密着しようとするので、思わず右手でその男のほっぺたをはりとばしてしまったのであった。男がヨロヨロとよろけたのを見て、急に私の潜在的な暴力的血統が目ざめ、今度はカバンでバカバカ頭をぶっ叩《たた》いてやったのである。仰天したのはまわりの乗客である。突如長い髪をふり乱したデブの女子高校生が隣りに立っていた男に暴力をふるいはじめたので、しばし口をあんぐりあけて見ていたが、そばにいた中年婦人が、
「お、お嬢さん、おちついて、おちついて」
と私をなだめている間に、痴漢は手で顔をおおって、車中の人の間をぬって逃げてしまったのであった。
「ガルルルル……」
とまだ怒りさめやらぬ私は肩で荒く息をしながら、車中の視線を一身に浴びつつ、徹底的にブチのめせなかった悔やしさで一杯だった。
それから何度も痴漢にあった。どうもこの長い髪は別の作用を誘発するようであった。誠に惜しい気はしたが、仕方なく肩の長さまで切った。そうしたら友人に、
「武田鉄矢」
といわれた。嫌だなあと思ってアゴの長さに切りそろえた。再び友人に、
「菅原洋一みたい」
といわれた。私は死ぬ思いで髪の毛を切ったのに……。
「私、やっぱり髪の毛長いほうがいい?」
と友だちにたずねた。その子は、
「うーん。でも髪の毛長いとき、ミッキー吉野に似てたね」
などというのである。じゃあ私は一体何なのだ! 多感なる思春期の乙女がこんなふうにいわれていいのであろうか! しかしなまじ当たっているだけに私もつらいのであった。私だって他の女の子と同じようにボーイフレンドと肩を並べて家に帰りたかった。中には校庭の裏でそっと手を握りあっているカップルもいた。そういうのを目にするたびに、男といえば痴漢しか縁のない我が身を呪った。ところが人目をはばからず、大っぴらに男の子と手をつなげる日がやってきた。文化祭の前夜祭にフォークダンスをすることになったのである。私は内心やったやったと喜んだ。秘《ひそ》かにあこがれている剣道部の中西クンはくるかしら、サッカー部の大山さんもくるかしらとか胸ときめかせた。フォークダンスの前日、私は念入りに今や菅原洋一となってしまった頭髪をシャンプーし、爪をきちんと切りそろえてヤスリをかけ、殺菌効果が高いといわれたミューズせっけんでゴシゴシ手を洗った。翌日のことを考えると本当に心がウキウキした。
「ホントにあんた、高校生のときみっともなかったねぇ」
とポロッといった。親も嫌になるくらいのデブだったわけである。身長一五三センチ、体重六十キロ、あれこれいわれるのも当然だ。で、やっぱり全然モテなかった。何か一つだけでも男の子にアピールするものを持っていたほうがいいと思い、髪だけは背中の真ん中くらいまでずーっと伸ばしていた。これで何とか男をおびきよせようと半分必死だったのであるが、寄ってくるのは痴漢ばかりだった。通学途中、電車の中でモゾモゾとへんなけはいがするのでふり返ると、背の低い一見マジメなサラリーマン風の男が、折りたたんだ新聞を目かくしにして、今まさに私の臀部《でんぶ》に右手を伸ばさん、というところだった。私と目が合ったその男は一瞬ギョッとしたが、にくたらしいことに、やりばのなくなった右手を指の屈伸運動をしているかのように急にニギニギしてごまかし、鼻歌を唄いながら横を向いてしまったのである。
しかし、やはりそこでひき下がるような男ではなかった。今度は私の横の位置に移動し、腕を曲げて肩を上げ下げするという肩こり体操をおっぱじめ、その曲げたヒジで私の胸をこづくのであった。私は一歩カニ歩きをして右によけた。するとその男もすり寄ってきた。もう二歩右によけた。さすがにもう男は寄ってこなかった。というのもつかの間、ガタンと電車が大きく揺れたのをいいことに、そいつは、
「オットット」
などといいながら私にしなだれかかり、胸をわしづかみにした。私が怒りで目をむいているとそいつはますます体を密着しようとするので、思わず右手でその男のほっぺたをはりとばしてしまったのであった。男がヨロヨロとよろけたのを見て、急に私の潜在的な暴力的血統が目ざめ、今度はカバンでバカバカ頭をぶっ叩《たた》いてやったのである。仰天したのはまわりの乗客である。突如長い髪をふり乱したデブの女子高校生が隣りに立っていた男に暴力をふるいはじめたので、しばし口をあんぐりあけて見ていたが、そばにいた中年婦人が、
「お、お嬢さん、おちついて、おちついて」
と私をなだめている間に、痴漢は手で顔をおおって、車中の人の間をぬって逃げてしまったのであった。
「ガルルルル……」
とまだ怒りさめやらぬ私は肩で荒く息をしながら、車中の視線を一身に浴びつつ、徹底的にブチのめせなかった悔やしさで一杯だった。
それから何度も痴漢にあった。どうもこの長い髪は別の作用を誘発するようであった。誠に惜しい気はしたが、仕方なく肩の長さまで切った。そうしたら友人に、
「武田鉄矢」
といわれた。嫌だなあと思ってアゴの長さに切りそろえた。再び友人に、
「菅原洋一みたい」
といわれた。私は死ぬ思いで髪の毛を切ったのに……。
「私、やっぱり髪の毛長いほうがいい?」
と友だちにたずねた。その子は、
「うーん。でも髪の毛長いとき、ミッキー吉野に似てたね」
などというのである。じゃあ私は一体何なのだ! 多感なる思春期の乙女がこんなふうにいわれていいのであろうか! しかしなまじ当たっているだけに私もつらいのであった。私だって他の女の子と同じようにボーイフレンドと肩を並べて家に帰りたかった。中には校庭の裏でそっと手を握りあっているカップルもいた。そういうのを目にするたびに、男といえば痴漢しか縁のない我が身を呪った。ところが人目をはばからず、大っぴらに男の子と手をつなげる日がやってきた。文化祭の前夜祭にフォークダンスをすることになったのである。私は内心やったやったと喜んだ。秘《ひそ》かにあこがれている剣道部の中西クンはくるかしら、サッカー部の大山さんもくるかしらとか胸ときめかせた。フォークダンスの前日、私は念入りに今や菅原洋一となってしまった頭髪をシャンプーし、爪をきちんと切りそろえてヤスリをかけ、殺菌効果が高いといわれたミューズせっけんでゴシゴシ手を洗った。翌日のことを考えると本当に心がウキウキした。