当時私は給食が大嫌いだった。ただお腹がすいて他に食べる物がないから仕方なく喰っているというそんな感じだった。特に脱脂粉乳はペコペコしたアルミのカップに入り、いやいや口を近づけていくと本当に気持ちが悪くなるニオイがして、おまけに表面に白いマクまで張っている。息をしないでドワッとのどの奥に流しこんでいたが、中には変態的|嗜好《しこう》の男の子がいて、この脱脂粉乳をみんなからもらって、机の上に八個もアルミカップを並べてグイグイのんじゃうのにはおどろいた。みんなはその子がおいしそうに脱脂粉乳をのむのをじーっとみつめ、ゴクンと全部のみ終わると、
「ホーッ」
とため息をついた。私は、
「気持ち悪くならない?」
ときいた。
「ううん、ならないよ。おいしいじゃない、これ」
と口のまわりを白くしながらその男の子は答えた。みんなは陰で、あの子はきっと家で牛乳をのんだことがないんだと噂《うわさ》していた。のちに給食に牛乳ビンが登場したとき、私たちは「わあ、すごい。やっと牛乳がのめるようになった」と感激した。ニコニコして厚紙の丸いフタを開けた。不器用なのがいて、中にモロに指をつっこんでそこいらじゅう牛乳だらけにしていた。ひと口のんでみるとそれは脱脂粉乳よりはマシだが牛乳とは全然ちがうものだった。
「何だこれ」
とみんなでいいあった。先生は、
「うるさい、給食のときは静かにしなさい」
といった。一人、食べ物に関してはやたらうるさい子が、
「先生、これ牛乳じゃないよ。すごく薄いもん。中身と外がちがうよ」
とどなった。先生はあわてて、
「いーえ、これは牛乳です!」
といいはった。私たちは、
「ちがうよ、ちがうよ」
とわめきちらし、だまされた、とひどく落胆した。それからみんなこのニセ牛乳を脱脂粉乳と同じように避けるようになった。小学校の給食というのは、わざわざ嫌がるものをつくっているのではないかと思われるような献立だった。きな粉がべったりくっついた揚げたコッペパンにミソ汁、くじらのたつた揚げなど、カロリーさえあれば何だっていいじゃないかという感じがただよっていた。このドタ靴のようなコッペパンが、あるときはいちごジャム、あるときはチョコレート、あるときはピーナッツバターと七変化で登場するのだけれど、あのアルミの皿にドデッと鎮座した姿をみるとそれだけで胸がいっぱいになってしまう。それにおしる粉というのがおかずにつくと、もうそれは今学期最悪の献立になった。このおしる粉というのが単なるうすーいアズキの甘い汁で、アルミのお玉に汁をすくうと、お玉の底がうっすらすけてみえるというしろものだった。そのうえ一番不思議だったのは、おもちのかわりに貝の形をしたマカロニが入っていたことだった。
「なんでおしる粉にマカロニが入っているのか」
と私はアルミの器を前にして悩んだ。私の家ではこの貝の形のマカロニは、サラダにしか登場しなかったからであった。甘いものが嫌いな男の子は、この不気味なマカロニ入りおしる粉をどう処分しようかと考えあぐね、ずっと机の上をにらみつけていた。しばらくするとその男の子はコッペパンの端っこを二つに割り、中の白いところをくりぬくようにしてパクパクと食べはじめた。あれよあれよという間に手をつっこんでぐりぐりしながら食べていた。一体どうするのかと思ってみていると、キョロキョロとあたりをうかがいはじめた。じっと見ていた私に気づき、小声で、
「だれにもいうなよ」
というと、中をくりぬいたコッペパンの中におしる粉を流しこんで、二つに割ったときのパンの端っこをカパッとはめてしまったのだ。思わず、
「あったまいいー」
と感動してさけぶとその子は、
「ムフフフ」
と笑ってそれを給食のときに机の上にしくビニールにくるみ、カバンに入れて家にもって帰った。なかには自分のはいている靴下の中に酢豚をいれ、それで靴はいてごまかそうなどと考えついたとんでもないドジもいて、自分でもあまりの気持ち悪さに耐えきれず、放課後オンオン泣き出したりして、給食はいろいろ生徒に問題を投げかけていたのだった。
「ホーッ」
とため息をついた。私は、
「気持ち悪くならない?」
ときいた。
「ううん、ならないよ。おいしいじゃない、これ」
と口のまわりを白くしながらその男の子は答えた。みんなは陰で、あの子はきっと家で牛乳をのんだことがないんだと噂《うわさ》していた。のちに給食に牛乳ビンが登場したとき、私たちは「わあ、すごい。やっと牛乳がのめるようになった」と感激した。ニコニコして厚紙の丸いフタを開けた。不器用なのがいて、中にモロに指をつっこんでそこいらじゅう牛乳だらけにしていた。ひと口のんでみるとそれは脱脂粉乳よりはマシだが牛乳とは全然ちがうものだった。
「何だこれ」
とみんなでいいあった。先生は、
「うるさい、給食のときは静かにしなさい」
といった。一人、食べ物に関してはやたらうるさい子が、
「先生、これ牛乳じゃないよ。すごく薄いもん。中身と外がちがうよ」
とどなった。先生はあわてて、
「いーえ、これは牛乳です!」
といいはった。私たちは、
「ちがうよ、ちがうよ」
とわめきちらし、だまされた、とひどく落胆した。それからみんなこのニセ牛乳を脱脂粉乳と同じように避けるようになった。小学校の給食というのは、わざわざ嫌がるものをつくっているのではないかと思われるような献立だった。きな粉がべったりくっついた揚げたコッペパンにミソ汁、くじらのたつた揚げなど、カロリーさえあれば何だっていいじゃないかという感じがただよっていた。このドタ靴のようなコッペパンが、あるときはいちごジャム、あるときはチョコレート、あるときはピーナッツバターと七変化で登場するのだけれど、あのアルミの皿にドデッと鎮座した姿をみるとそれだけで胸がいっぱいになってしまう。それにおしる粉というのがおかずにつくと、もうそれは今学期最悪の献立になった。このおしる粉というのが単なるうすーいアズキの甘い汁で、アルミのお玉に汁をすくうと、お玉の底がうっすらすけてみえるというしろものだった。そのうえ一番不思議だったのは、おもちのかわりに貝の形をしたマカロニが入っていたことだった。
「なんでおしる粉にマカロニが入っているのか」
と私はアルミの器を前にして悩んだ。私の家ではこの貝の形のマカロニは、サラダにしか登場しなかったからであった。甘いものが嫌いな男の子は、この不気味なマカロニ入りおしる粉をどう処分しようかと考えあぐね、ずっと机の上をにらみつけていた。しばらくするとその男の子はコッペパンの端っこを二つに割り、中の白いところをくりぬくようにしてパクパクと食べはじめた。あれよあれよという間に手をつっこんでぐりぐりしながら食べていた。一体どうするのかと思ってみていると、キョロキョロとあたりをうかがいはじめた。じっと見ていた私に気づき、小声で、
「だれにもいうなよ」
というと、中をくりぬいたコッペパンの中におしる粉を流しこんで、二つに割ったときのパンの端っこをカパッとはめてしまったのだ。思わず、
「あったまいいー」
と感動してさけぶとその子は、
「ムフフフ」
と笑ってそれを給食のときに机の上にしくビニールにくるみ、カバンに入れて家にもって帰った。なかには自分のはいている靴下の中に酢豚をいれ、それで靴はいてごまかそうなどと考えついたとんでもないドジもいて、自分でもあまりの気持ち悪さに耐えきれず、放課後オンオン泣き出したりして、給食はいろいろ生徒に問題を投げかけていたのだった。