私はスーツにネクタイ姿のサラリーマンが恐かった。一人、二人ならまだいいが、ラッシュ時の駅のように、あっちからもこっちからも、わらわらとものすごい人数で現われると、心臓がドキドキしてきた。だから丸の内などとてもじゃないけど歩けない。みんな同じようないでたちで、近代的なビルの中から出てくる姿というのは、とても異様な感じがしたし、自分とは全然関係ない別世界が都心にボツッとあるみたいで、できれば一生通りたくない場所であった。
でかける時も朝、夕のラッシュ時は極力避けた。昼間ならいいだろうと午後、ターミナル駅に向かうと、そこにもアタッシェケースを持ったスーツ姿のサラリーマンがいる。食後でボーッとしているのか、ダラダラした歩き方をして、ボワーッと大あくびをしている人。駅のベンチで昼日中居眠りをしている人。まだ働き盛りといった年齢だろうと思うのに、疲労が溜《た》まっているのかすでに眼光はニブり、ただの点目になっている人。スーツ姿とそういう態度というのは誠に不似合いなのである。満員電車に乗って痴漢にあい、驚いて顔をみると、十中八九、ネクタイをきちんとしめたスーツ姿のサラリーマンだった。なかには社章をして堂々と私の臀部をさわっていった大胆な男もいて、あきれかえったこともあった。
セーラー服の下に秘めた欲情する若い肌というのなら、成人映画でけっこういいところまでいくだろうが、スーツ姿でおおい隠した助平心というのはただみっともなく情けないだけである。私にとってスーツ姿のサラリーマンというのは一体何を考えているのかわからない、とらえどころのない人々であった。
かくいう私の父親というのはサラリーマンではなかった。いちおう社会的には自由業ということにはなっていたが、自由業とは名ばかりの失業者といったほうがよかった。いつも家でゴロゴロしているかと思うと、ある日|忽然《こつぜん》と姿を消してしまう。当時六歳の私が母親にむかって、
「どこに行ったの」
とたずねても、彼女は物干しざおに干した洗濯物のシワを伸ばしながら、
「さあ、ねえ。起きたらいなかったわ」
と全く関心がないといったふうにそっけなくいった。そしてそれから唐突に母子家庭になってしまうのだ。そのあと父親がひょっこり家に帰ってきても、うれしいなどとは全く思わず、
「ふーん、戻ってきたのか」
としか感じなかった。父親は勝手気ままに釣りにいったり、写真を撮りにいったりしていたようであった。そして行ってきては私と弟を呼びつけ、「この魚はでかいだろう」とか「いい写真だろう」と自慢するのである。そしてその横ではいつも暗い目をして母親が内職をしていた。それから十五年後、父親はとうとう家を追い出されてしまったが、やはり家庭を持った事が父親の唯一の不幸であったような気がする。