ところが「ネズミはかわいいよ」というと、たいていの人は「えーっ、気持ち悪い」と顔をしかめる。ミミズみたいな尻尾が嫌だという人もいた。尻尾を指でナデナデしてあげるとネズミはクルクルッと尻尾を私の指に巻きつけてきたりして、とっても心暖まる生き物なのだが、いまひとつ存在が理解してもらえないようで、私は不満である。
どうも動物というと、動物園にいる大きな動物とか、イヌ、ネコ、鳥ぐらいしか頭に浮かんでこない人が多いようである。ミミズだってガマガエルだってナマコだってウミウシだって、それなりにカワイイのである。ラッコだのコアラだの、次々に脚光をあびる動物は出てくるが、その陰ではハナもひっかけてもらえず、その存在すらも知られることのない動物が山ほどいる。そういう動物たちにもテレビ出演という機会を与える、TBSの「わくわく動物ランド」は、私の好きな番組である。このあいだは、ふんころがしが登場していた。このふんころがしは、シマウマなどの動物が脱糞すると、ササッと集まってきて、糞を器用に団子状に丸め、コロコロと転がしながら自分のすみかまで持っていく。そして糞団子の中に卵を産みつけて幼虫の餌《えさ》にしたり、自分が食べたりして地べたの清掃に協力している、見上げた行ないの尊い生き物である。
この番組の面白いところは、動物の紹介だけでなく、習性のユニークさを実験で示してくれるところにある。ふんころがしの時のテーマは、「ふんころがしは、どんな大きさの糞でも転がしてしまうのか」ということであった。ところがあの小さな虫にも、それなりの自我があり、自分の後ろ足がモノサシ代わりになって、糞のその間に納まるものであれば、ピラミッド形でも円筒でも必死になって転がしていくのが判明した。一生懸命糞を転がしていく姿を見て、私は「僕らはみんな生きている……」という歌を突然歌いたくなってしまったのであった。
どうも動物というと、動物園にいる大きな動物とか、イヌ、ネコ、鳥ぐらいしか頭に浮かんでこない人が多いようである。ミミズだってガマガエルだってナマコだってウミウシだって、それなりにカワイイのである。ラッコだのコアラだの、次々に脚光をあびる動物は出てくるが、その陰ではハナもひっかけてもらえず、その存在すらも知られることのない動物が山ほどいる。そういう動物たちにもテレビ出演という機会を与える、TBSの「わくわく動物ランド」は、私の好きな番組である。このあいだは、ふんころがしが登場していた。このふんころがしは、シマウマなどの動物が脱糞すると、ササッと集まってきて、糞を器用に団子状に丸め、コロコロと転がしながら自分のすみかまで持っていく。そして糞団子の中に卵を産みつけて幼虫の餌《えさ》にしたり、自分が食べたりして地べたの清掃に協力している、見上げた行ないの尊い生き物である。
この番組の面白いところは、動物の紹介だけでなく、習性のユニークさを実験で示してくれるところにある。ふんころがしの時のテーマは、「ふんころがしは、どんな大きさの糞でも転がしてしまうのか」ということであった。ところがあの小さな虫にも、それなりの自我があり、自分の後ろ足がモノサシ代わりになって、糞のその間に納まるものであれば、ピラミッド形でも円筒でも必死になって転がしていくのが判明した。一生懸命糞を転がしていく姿を見て、私は「僕らはみんな生きている……」という歌を突然歌いたくなってしまったのであった。