私がワープロを使い出して、約一年になる。万年筆でせっせと枡目《ますめ》を埋めていたころは、
「あんな機械、使うもんか」
と思っていた。ところが右手の調子が悪くなり、やむなくワープロに切り替えざるをえなくなったのである。最初は自分の考えるスピードと、指の動きがちぐはぐでイライラしたが、最近やっと慣れてきて、手で書くよりも速くなった。そしてワープロを使ったおかげで、机のまわりがゴチャゴチャしなくなったのが喜ばしい。原稿用紙を机の上に置き万年筆にインクを入れ、準備万端整って、
「さあこれから書きましょう」
と、枡目を見たとたん、やる気をなくしたこともしばしばあった。ところがワープロの場合は、気軽にポコポコ打てるのがいい。
髪を振り乱して書いて、ふと気がついてみたら、右手がインクだらけになっていることもない。あまりに書き込み、書き直しが多くて、原稿用紙が真黒けになってしまい、何を書いてるんだかわからなくなって、自己嫌悪に陥ることもない。すべて画面のなかで、きれいに操作できるのでなかなかよろしい。
目が悪くならないかと聞かれることも多いが、私の使っているのはグレーの画面に白く文字が出てくるタイプだが、今のところは何の影響もない。万年筆時代は肩が凝って、いつもマグネキングのお世話になっていたのだが、ワープロにしてからはそんなこともなくなった。とにかく身も心もスッキリして、ワープロを導入したのは私にとっては正解だった。
ところが、やはり物事はいいことばかりではない。あるとき友だちに手紙を書こうと、久し振りに万年筆を持って、私はビックリした。字がとってもへたくそになっていた。そして漢字まで忘れていた。大まかな形は分かっているのだが、ディテールが思い出せない。ワープロでは、画面に映し出されるたくさんの漢字から適当なのを選べばよいので、文字の細かい部分まで注意して見ているわけではない。だから文字を書いてみると、私の頭にあった漢字が、すべて朧《おぼろ》になってしまったのであった。拝啓の「拝」の字の横棒が、三本か四本かわからなくなったときは焦った。ワープロのせいではなく老化現象かもしれないが、まだこの歳でこんなこともわからなくなるようでは困るのである。便利にはなっていくが、どんどん脳のほうは退化していくようで恐ろしい。