この話は、韓国の江原道の山村、原城で一九七二年の夏に聞いた話です。語り手の金錫〓さんはまるで講釈師のように話しじょうずな、たのしい語り手でした。年齢のせいで記憶力が少し衰え、多くの昔話を語ってもらうことはできませんでしたが、語ってくれた話はどれも内容豊かで、語りもみごとでした。
「ひきがえる聟」は、韓国各地で聞かれる話で、「伝来童話」として子どもたちにも広く読まれてきました。日本の「博徒聟入」「鳩提灯」「蛙息子」などと同じ系統の話ですが、中国の「かえるの騎手」などとの関係も注目されます。
韓国では、花嫁の父親のことを「丈人」といいます。これは、その丈人の還暦という韓国の人々にとってたいせつなお祝いを背景とした、華やかな話です。ひきがえるがじつは玉皇上帝という天の王の息子であったというエピソードは、天の王の息子が罰を受けてこの世へ送られ、斎戒の期間を終え、再び天上に戻るといったモチーフとともに民間信仰に深く浸透している道教の影響でしょう。