この話は、韓国中部の忠清南道の青陽郡で聞いた話です。語り手の黄ハルモニ(ばあさん)は当時九十三歳という高齢でしたが、記憶力もよく、かつては見事な語り手だったに相違ありません。黄ハルモニには名前がありません。むかし韓国の庶民の娘には正式な名前がなく、イプニ(きれいな子)などというように、愛称で呼ばれることが多かったのです。
これは日本の「わらしべ長者」と同型の話で、韓国ではたいへん広い分布をもち、おとなにも、子どもにも親しまれている話です。韓国にはこれとよく似た話で「粟一粒で」という話があります。一人の若者が、一粒の粟を宿屋の主に預けると、鼠に食べられてしまいます。粟のかわりに鼠をもらいますが、今度はつぎの宿屋で鼠を猫に食われてしまい、かわりに猫をもらいます。こうして粟→鼠→猫→馬→牛というように次々に交換して、最後に娘を手にいれる話です。この二つの話は叙述の形式は似ていますが、内容はかなり違います。
ことに「藁縄一本で長者になる」の主人公が怠け者であること、旅立ちの前に縄をなうこと、娘の死と再生に関与することなどから考えると、この話が農耕文化を背景としたイニシエーションの儀礼と深く関わっているとも推測されます。