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聖岩 Holy Rock05

时间: 2020-02-21    进入日语论坛
核心提示:聖岩 いま書斎の椅子の背に掛けてある、濃紺の地に小さな白い正方形の模様の並ぶオールアセテートの、さらさらして洗濯し易い長
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聖岩

 いま書斎の椅子の背に掛けてある、濃紺の地に小さな白い正方形の模様の並ぶオールアセテートの、さらさらして洗濯し易い長袖のシャツ。これを着て、オーストラリア中南部の海岸に近い中都市アデレード郊外のモーテル近くの手入れされた草原に、私はひとり両脚を投げだして坐っていた。日本の三月末は、南半球のここでは九月の末だ。オーストラリア文化省の招待で、一か月間各地をまわる。この都市で催される一種の文化会議にオブザーバーの形で出席することが、新聞社あてに来た招待の主な目的だった。だがその会議そのものに興味は薄かった。強く印象に残ったのは、討論の主要メンバーのひとりとして出席した|原住民《アボリジニ》の老女性詩人だった。他の発言者たちは、リベラルな白人の文学者たちも、言葉激しくアボリジニに対する白人たちの二百年にわたる迫害と差別を語ったが、その老女性詩人は直接には怒りも嘆きも口にしなかった。
彼女は、雲を歌った自作の詩を朗読した。達者ではないが、低くゆるやかな英語の声は、次第に自信と威厳を帯び、肥えて大きいその褐色の顔、その姿全体が、みるみる地平線から湧いて膨れ上がる雲のように感じられた。雷をはらんだ暗い雨雲ではなく、もこもこと柔く穏やかな白く大きな雲。この広い大陸の乾いた大平原にふさわしい雲だった。
シドニー経由でアデレードに来て、私は初めてアボリジニに出会った。到着早々、市内の公園の隅で樹蔭に坐りこんで、観光土産品の木彫の小動物を彫り続けていた男の老人である。人種的には黒人種ではないのに、黒人より顔が黒かった。目も鼻も口も大きかった。何より強く印象づけられたのは、その無表情である。視線も動かなかったし、頬※[#底本では「來+頁」、第3水準1-93-90]の皮膚も動かなかった。何を感じ考えているのか、想像する手だてが全くなかった。こんなに内面を推し測り難い人間に出会ったのは初めてだった。
そしていま、堂々と自作の詩を詠む老女性だ。雲のイメージは彼女の内面の比喩でも象徴でさえもない、と私は感じた。英語で詩を書き、それを英語で朗読するこの女性詩人は、多分少数の教育あるアボリジニなのだろうが、彼女にとって内面とは覗きこんで分析する小さな暗い井戸ではなくて、果てしない外部でひとりでに動き膨れる大きな白い何かだ。
|大いなる母《グレート・マザー》という神話的イメージを、私は自然に抱いた。公園で黙々と小動物の形を彫り出していた男の老人の無表情も、雲を自分のことのように語る女性詩人と、決して別ではないのだ、と私は心を底深くゆすぶられる思いがした。
モーテルのまわりにはアボリジ二はいなかった。車も滅多に通らず、秋に入った夕暮の青い静寂が、家並の少ない郊外地区に沈みこんでいる。夾竹桃に似た葉が細長くて固い植物が動かない。枯れかけて葉が白く縮んだ柳のような、飄然とふしぎな気配を帯びたユーカリの高い木もある。
私は一向に色の褪せない紺と白模様のアセテートのシャツを夏になって着るたびに、あのひと気ないモーテル前の草原にひとりで坐りこんでいた時の、青い静寂と孤独感を思い出す。韓国とべトナムには常駐特派員としていたことはあったが、こんな遠くまで来たのは初めてだったせいかもしれない(近くの海の向こうは南極大陸だ、と考えてもいた)。それ以上にこの大陸、この地面、このユーカリが、アボリジニたちのものなのだ、と前日の老女性詩人の詩を思い出しながら、体の下の草と土に感じとっていたからでもあろう。韓国もベトナムもそこの国の人たちの土地、私はそこでよそ者でしかないことは事実だったけれども、何か微妙に違っていた。国境で区切られた土地ではなく、ここは丸ごとひとつの大陸だ、という違いでもなかった。
そう、いま改めて甦ってくるのは、外国の土地での疎外感というよりも、自然そのものの中での人間の違和感ないし孤独感というべき感情だ。私が初めて出会ったアボリジニの老人の、人間的な表情の起伏が乏しすぎると驚いたあの無表情、大平原の雲の動きをふしぎな威厳をもって詠んだ老女性詩人の大きな内面——それはこの大陸の大きすぎる自然の次元のものだった。
その日は土曜日だった。暗くなってモーテルに戻ってレストランに入ると、中はほとんど普段着に近い白人たちの家族連れでいっぱいだった。やっと隅の小さなテーブルに席を見つけて食事をとりながら、広くもない簡素なレストランを見まわしていると、白人の客たちが入ってきたと感じたほどにぎやかでも満ち足りてもいないことに気付き始めた。客たちは互いに知り合いらしく、浮き浮きと声をかけ合い、テーブルを離れて肩を叩いたり、笑い声をあげたりしているのだが、そらぞらしいとは言えないまでも何か薄ら寒いものが透けて感じられる。
だがひとりで黙って食事をとっていた私自身も、タ暮の草原で噛みしめていた寂寥感を、身につけたままだったのだろう。
ひとりの中年の男が、私のテーブルに近づいてきた。私と同じ四十代半ばぐらい、地味で人のよさそうな感じの男。
「よかったら食後のコーヒーを、私たちと一緒に飲まないかな」
とごく自然な態度で言った。酔ってはいない。率直な人柄のようだった。日頃ひと付き合いのよい方ではない私も、素直に誘いにこたえてテーブルを移した。口数の多くないいかにも家庭の主婦といった感じの奥さんと、小学校の上級生ぐらいの女の子と、低学年らしい男の子の家族。子供たちも行儀よかった。
「あなたがひとりだけでさびしそうに食事していたんで、ワイフが呼んであげたらと言ったんだよ」
と照れたように男は言った。
それから型通りに、どこから来た? 見物か仕事か? と言った質問の間に、自分は子供用の本や雑誌の注文をとって配ってまわっている、と男は言った。そして「明日は何か予定があるかい、なければぼくが車で、この街を案内してやるよ」と申し出た。
その後幾度もの外国旅行の場合をすべて合わせても、全く知らない土地の人から、このときほど率直に声をかけられ誘われたことはない。私が余程さびしそうに見えたのだろう。本当に翌日昼過ぎに、彼は男の子を乗せて自分の汚れた車でモーテルまで迎えに来て、市内各所を見物させてくれたうえ、自宅で夕食までご馳走してくれたのだ。
彼も奥さんも本気に親身だった。私は英語の会話が堪能でないし(新聞社の外報部に多年勤めていながら本当にそうだ)、相手のオーストラリア英語の発音はしばしば聞きとりにくかったけれど、私は懸命に頭の中で作文しては冗談を言い、それがふしぎに通じては声をあげて笑ってくれた。
そうして思いがけなく親密な一日を共に過したあと、モーテルまで送ってくれるという絵本セールスマン氏と車で家を出た。彼の家はモーテルからそれほど離れていない郊外の住宅地にあったが、街の夜景を眺めさせてあげる、と遠まわりして、街を遠く取り巻く丘の上まで行って車を停めた。
かなり高い丘の端だった。車から出ると周囲の闇が実に不気味だった。東京の郊外はもちろん日本のどこの町の郊外とも違っていた。近くに人家も人の気配もないだけでなく、荒れて乾いた地面も、そこにかろうじて生えている僅かな木も草も、人間と通じる生気のようなものが全く感じられないのだ。危険な肉食獣はこの大陸にはいないはずなのに、濃すぎる闇そのものが得体の知れぬ殺気を帯びているようにさえ感じられる。
「きれいだろう」と指さされた方角を見下ろすと、一望のうちに眺め渡される街の全体が、街灯から住宅の玄関の灯、店のネオン、中心部の高層ビルの全階まで、すでに深夜に近い時間にもかかわらず、明りがつけ放しではないか。普通の店にはもう客はなく、オフィスビルのすべてが深夜勤をしているはずはない。
そのことを少しも不自然に思ってはいない相手は、あのあたりがどこ、あのビルが何のビルと屈託なく教えてくれるのだが、夜更けても明りを消さない、いや消すことができないこの街自身の心理、というより生理がわかったと思った。この街の自己照明はそのまわりの、さらにその果ての、この荒地の、この大平原の荒涼たる闇に対する自己証明なのだ。明りを消せば、周囲の広大な闇が忽ち人間の都市を呑みこむだろう。自然が文明の営みを覆いつくすだろう。ぞっとするほど恐ろしいことで、涙がにじむほど|健気《けなげ》なことだった。
昨夜モーテルのレストランで私がひそかに感じた白人たちの間のうそ寒い気配、殊更浮き浮きと振舞う態度、そして見も知らぬ外国人の私に示してくれた家族たちの親身な行動、それもこの荒れて広すぎる大自然の中に点在して生きる人たちの無意識の恐怖ではないとしても、深い寂蓼からに違いない。
私は車のライトだけがわずかの空間を照らす闇の丘の端で、ごく普通に地道に善良に暮す男の手を幾度も固く握った。世間と戦って生きる、などということは実は恵まれた偶然のことであって、恐るべき自然に囲まれて肩を寄せ合って恐れながら生きるのが人間の基本なのだ、とあなたは私に教えてくれた、と告げようとしたのだが、英語でうまく言える自信がなくて、もう一度、黙って男の大きな手を握っただけだった。
だがこのとき私が実感したと思ったこの大陸の自然の広漠さは、まだ序の口だったのだ。数日後、私は大陸横断鉄道に乗って、南西部の端の都市パースまで行くのだが、その二晩三日がけの直線コースの車窓から見続けたのは、天と地を鋭すぎる巨大な刃物で正確に真横に切ったとしか思われない地平線、山も谷もなく所によって数本かたまった真昼の亡霊じみたユーカリの老樹と風化した丘、雑草が必死にしがみついている乾ききってざらついた地面のひろがり。場所によっては土中の鉄分が大気中の酸素にじかに酸化された真赤な土。そして人間の姿を見かけたのは特急列車が速度も落さず通過する形ばかりの小さな駅の木柵によりかかっていた上半身裸の男たちだけ。夜明け方に野ウサギの群が列車と平行して狂ったように走るのを一度だけ見た。
そんな平坦な大平原を、日暮も夜中も夜明けも真昼も、ただ一直線に走り続ける。シベリア鉄道は一週間余も走り続けるといわれるが、途中に町もあろうし、林も川もあろうし、雨も降り霧のかかる箇所もあるだろうが、ここオーストラリア大陸の最南部を地図上では真横に走るこの鉄道には、ほとんど何の変化もないのだ。少なくとも私の乗った秋の初めの季節、日はただ照り、雲は動かず、ひたすら乾いてひたすら沈黙し、時間まで気化してしまった気がした。
アボリジニの姿さえ見かけなかったが、彼らが三万年あるいは五万年来、生き続けたのはこんな広漠と苛酷な世界だったのだと思った。始終微妙に表情を変えたり作ったりできるだろうか。その荒涼さは生命の芯まで恐怖を覚えさせると同時に、ふしぎな神聖さに輝いていた。直線の鉄道線路を一本作った以外、人間の手に汚されていない自然。ほぼ二万年ほど前、海面の上昇とともに、この大陸がニューギニアとインドネシアから完全に切断されて以来、人間はじめ生物のすべてが閉じこめられてきた孤独の大陸。
そしてパースから旅客機で再びアデレードに戻って、今度は小型のプロペラ機で、大陸中部を北上し、大陸のほぼ中心部に横たわる一個の岩塊としては世界最大といわれる「エアーズ・ロック」まで私は飛んだが、その間約六時間ほど小型機の窓から眺め下ろし続けた風景。多少のなだらかな地平の起伏はあるが、一面に青味がかった茶褐色の平原が視野いっぱいに広がり、ぐるりと地平線がそれを取り巻く。列車から窓外に見た地面はざらついて見えたが、高度三千メートルほどと思われる空から眺め下ろす平原は、熔岩のひろがりのように硬く鉱物質の感触だ。数箇所に小さな建物の集りらしい所も見えたけれど、ほとんど変らぬただ硬い地面のひろがりだけである。数十本程度の木立は識別不能で、まとまった森林は認められなかった。
やがてその茶褐色のひろがりの中に、かなり広い不規則なかたちの白い地面が見えた。晴れた午前中の日ざしに一面純白にきらめいている。
「あの白いのは何か」
と大声で操縦士に尋ねた。
「干上がった塩湖だ。白く光っているのは塩の結晶」
という答え。それにしても何という広い湖とその完全な干上がり。霞ヶ浦などの何十倍も大きい。地平線を越える広大な地域から土質中の塩分を溶かし流し集めて、それをこのように一面に干上がらせてしまう気象作用の信じられぬスケールの大きさと徹底さ。
「自然」という言葉ないしイメージを、われわれ小さな島国の人間は、いかにこぢんまりといじましいスヶールでしか実感していないことだろう。われわれの伝統的自然感覚がどれほど繊細で緻密で陰影が微妙だとしても、この大きすぎる単純苛烈な風景の中では、忽ち気化するようにさえ思われるのだ。この自然は人間の思い入れや共感を、冷然と黙殺して微動だにしない。いわゆる人間的なものの入りこむ余地がない。その巨大な硬質の沈黙。
地質学者たちはこの大陸内陸部の地形は、二億年来、基本的に変っていないと言っている。二億年の沈黙の風景。小型機のエンジンの唸りにもかかわらず、その沈黙の凄味がひしひしと伝わってくる。
「自然との共存」などという言葉を安易にわれわれは口にするけれど、自然は人間など微塵も必要としていないのだ、ということが痛切にわかる。それ[#「それ」に傍点]はただ存在するのだ。意味も目的もなく見られることも理解されることも賞讃されることも愛されることさえも、必要とすることなく。
二百年来、渡来した白人たちは海岸部にとりついて、幾つかの大都市(シドニー、メルボルン)と中都市(アデレード、パース、ブリスベーン、ダーウィン)と、その周辺の牧場、農場に住んできたが、彼らは背後の内陸部が、「広大な無」であることを常に意識してきた、無意識には恐れてきたはずだ。その事実上、無辺際の「無」の領域に入ってみると、彼らが深夜も都市の明りをつけ続ける深層心理的理由が、改めてよくわかる。
当初植民者たちは、内陸部に大きな内海があって、そこには樹木や草が茂り、動物や鳥や魚たちが群れ棲んでいる、と信じようとしたらしい。その幻想の内海発見のために多くの探険者たちが命を落したのだが、彼らを命がけの探険行に駆り立てた気持ちもわかる気がした。
背後ノ空虚、中心ノ無ニ、人間ハ耐エラレナイ。
何時間も、剥き出しの大地の上を飛び続けていると、私自身も一種深い精神的めまいとともに、「空虚」に引きこまれ、「実在」のニヒルに硬質な感触に触れかける。
「どのくらい、このコースを飛んでる?」
と私は操縦士に尋ねた。
「二十年」
「週に一度ぐらい?」
「週に三回、行って帰る」
「そんなに毎日のようにこんな土地の上を飛んでて、気がおかしくならないか」
「おかしくなり過ぎて、いまはとてもまともだ」
そう言って、もう若くない操縦士は声をあげて笑った。
私もかろうじて自意識だけの浮遊する極微の一点。あと一線を越せば、あのアボリジニの老人の、古代仏像の不気味な無表情になるに違いない、と他人事のように思う。繊細に変化する人間的表情は、この余りにも剥き出しの世界を耐え通せない。
「ほら、着いたぜ」
操縦ハンドルを握ったまま、操縦士が振り向いてそう言い、私は消えかけた自分を取り戻す。
前方下方、赤茶色を帯び始めた大平原の一点に、ポツンと一個の粒が現れ、機が下降するにつれてそれはみるみる塊となり、そして岩塊となった。岩山ではない。平原の地面に半ば埋まった半球体、正確には球体ではなく幾分細長の楕円状球体の上半分。
エアーズ・ロックだとすぐにわかった。すでに幾度も写真で見ていた。だがネパールのポカラの町はずれから夜明けのヒマラヤ山脈の高峰のひとつを見上げたときのように、何だ、写真とそっくりじゃないか、とは思わなかった。写真のフレームはこの無辺際の平原を撮り収めることはできない。眺めまわすと三六〇度地平線によってだけ区切られた大平面の真中に、ひどく小さくそしてとてつもなく大きく、その岩塊はあるのだった。大平面の中では小さく、私から見れば大きく、比較する基準の振幅で知覚が混乱する。
「ここの上は気流が悪いのだが、まわりをまわってやるよ」
と操縦士は気さくに言って、翼を傾けながら旋回して下降した。
下降するにつれて、岩が平原と同じ赤味を含んだ鮮やかな茶色になってきて、平原がそこでプクリと膨らんだように見え、ここがオーストラリア大陸のほぼ中心部だったことを思い出して「大陸のヘソ」という言葉が浮かんだ。だがいっそう下降すると、巨岩には無数のシワや浸蝕の痕が刻みこまれているのがわかり、巨大な隕石が落ちてきて半ば埋まったままのようだとも感じた。
前世紀に海岸部から謎の内陸部をめざした探険家たちが、ここまで辿りついたかどうかは知らない(「エアーズ・ロック」という名前はエアーという探険家の名を記念してつけられた、という話を聞いた気もするが確かではない)。だが緑豊かな美しい内海のかわりに、中心に刻印されたようなこの巨岩に出会ったら、それ相応の感動を覚えたのではなかったろうか。美しい内海という幻想が、すでに地球上に存在する湖やエーゲ海のイメージを平面的に移動して投影したものだったのに対して、この中心の岩は想像力を上方へと折り曲げる。この中央大平原地帯の、いやこの大陸全体の大地の力が、ここに集中し凝縮して、静かに天へと垂直に上昇する……。この感覚はカメラには写らない。
実際、岩の上で古くて小さな飛行機はミシミシときしんでゆれた。強い上昇気流が感じられた。
ようやく岩からニキロ近く離れた(ここの距離感ではすぐ足もとだ)、簡単な滑走路に着陸した。ひとりだけの客を乗せてこれだけの距離を飛んでくれた操縦士に、私はお礼を言った。「素晴らしい旅だった」と。
「帰りの客があるかな」
瓢々とした風格の操縦士は、気流を眺め上げていた。
滑走路には、筋肉質の体格のいい金髪の若い女性がジープで迎えにきていた。程近い場所に予約しておいたモーテルがあった。吹きさらしの風で白塗りのペンキは色褪せて剥げかけ、発電用か地下水の汲み上げ用か、モーターが喘ぎながら唸り続けている。
部屋は大きなベッド以外の家具はほとんどなく、ベッドのマットもベニヤ板の壁もあらゆる物体が水分を蒸発しきっていた。窓に目の細かな金網が張ってあるのに、洗面所の床には無数の昆虫が、指の長さほどあるカミキリムシまでが、脚を縮めて乾ききっている。踏むとカサコソと砂のような音がした。
物憂く静まり返っていたモーテルにも、他の経路で来た観光客が十人近くいた。中年以上の白人の夫婦連ればかりだ。ひとりでモーテルを切りまわしているらしい金髪の女性が髪をバンダナで縛って、ミニバスで客たちをロックの見物に案内する。半袖のサファリジャケットに半パンツ姿で活発に動き、運転しながらマイクで的確に説明もする。
この岩は世界最大の砂岩の一枚岩で、推定年齢二億年、高さ三三〇メートル、周囲九キロ。鉄捧を打ち込んで鎖を渡し、上まで登れるようになっているが、上は結構風が激しい。去年日本人の男が鎖から手を離して、飛ばされて落ちて死んだ、と私の方を見て言った。
「あなたもトライしますか」
あわてて私は首を振った。
地上から近づいてゆくと、上空からは烈日をはね返して硬く輝いていたロックが意外に脆そうで、至るところに雨水が掘った無数の溝が刻み込まれ、かなりの広さにわたってガバリと剥落した部分が幾箇所もある。それらが日光を吸収するみたいに、全体に陰気だった。
だが陰々たる迫力は圧倒的で、どうしてこんな世界最大の巨岩がこんな大平原のど真中に、大陸の中心部に一個だけ横たわっているのか、その偶然は理解を超える。「この岩は何万何千年の間、アボリジニの聖地とされてきました」という女案内人の説明に深くうなずくしかない。アボリジニの神話では始原の時を「|夢のとき《ドリーム・タイム》」という。この巨岩の出現ないし誕生こそ、ドリーム・タイムの出来事にふさわしい。
剥落した岩の破片を明らかに人為的に並べたり組み上げたりしたところが幾箇所もある。地面と接するロックの外面下部には浅い洞穴に近い窪みも幾つかあって、背を屈めて一、ニメートルほど入った奥の石面に大トカゲや大ヘビの輪郭が、尖った石片で刻みつけられていた。赤や緑や白の染料がそれらの輪郭の刻点に塗られていた形跡があり、またかなり古い刻点の上に比較的新しい線描が重ねて描きこまれてもいた。トカゲもヘビも様式化されていて、なまなましく不気味な感じではない。円や二重同心円の記号がそこここに消えかけている。
「古いもので八千年、新しいものでも三千年ほど前に刻まれたものと、専門家は言ってます。興味があるの?」
と背後から女案内人が尋ねる。息が頸筋にかかるほど近い。
「体の中に何か感ずるものがある」
「この動物たちはアボリジニのトーテム。先祖の姿なのよ」
「東洋では年に動物を当てる古い習慣がある。西洋で自分をサソリ座の生まれと言うように」
「あなたの年は?」
「ヘビ」
「オー・マイ・ゴツド」
「女性を誘惑する……」
「この荒野にリンゴの木はないわ」
冗談を言っている間に、浅く狭い洞穴の中に生気がこもって、仄明りの中で大ヘビがゆらゆらと頭を振る幻覚に一瞬捉われる。しかしその幻覚は陰湿ではなく、同心円の記号と同じように乾いて抽象的だ。
それにしても彼らの聖画には、構図のシンメトリーがなかった。窪みの奥は行きどまりのほぼ円形の平面になっているのに、大トカゲの尾は切れているし、大ヘビの位置は一方に偏り過ぎて無駄な空白が大きい。多分彼らのドリーム・タイムの空間が、三次元の遠近法的空間とは異質だからだろうが、そのことがかえって奇妙な現実感も覚えさせる。
外に出ると他の観光客たちは離れたところで、写真を撮り合ったりムービーカメラを頭上の岩の壁に向けていた。この場所も彼らには少し変った風景でしかない様子だ。そう指摘すると、彼女は肩をすくめて言った。
「ほとんどの観光客がそうよ。みなカメラ、カメラ」
「キリスト教は偶像に関心をもつことを禁ずるから」
「わたしは見えない神も見える偶像も信じないわ」
昂然とそう言って、ミニバスの方へと大股に歩いて行った。
夕食にどんな料理が出たか記憶がない。明瞭に覚えているのは、夕食のあとモーテルの玄関から外に出ると、近くからロック調の楽器の音が大きな音量で聞こえてきて驚いたことだ。モーテル近くに並ぶ灰色の丸屋根のカマボコ型の小屋のひとつで、その音楽は鳴っていた。「バー・エアーズロック」とかろうじて読める、この大平原の夜にただひとつの小さなピンク色のネオンが入口の上にあった。
夜になっても暑くてのどが乾いていたし、広すぎ暗すぎる闇の中で幾分ひと恋しくもあった。小屋の中は薄暗かった。壁の一方に酒ビンが並び、シャツの袖をまくり上げて太い腕を剥き出しにした頑丈そうな若い男たちで、狭い店内はほとんどいっぱいだった。音楽は大型のカセットデッキから鳴っている。冷房はきいているのに汗臭く、荒っぽい空気が充満していた。静かにビールを飲む雰囲気ではなかった。
入口で引き返そうとすると、手が上がって女の声が私を呼んだ。女案内人が傾いたボロ長椅子に坐りこんで、缶ビールを持った手を上げていたのだ。片方の手で自分の横に来い、と合図しながら、横に坐って彼女の肩に手をまわしていたとりわけ体格のいい男に、席を譲れ、と言っている。男はしばらく文句を言っていたが、あからさまに不機嫌な顔で私をにらみつけながら別の席に移つた。
余り良い状況ではなかったが、女は傲然と上機嫌だった。一軒だけのモーテルと幾棟かのカマボコ小屋と機械倉庫しかないこのエアーズ・ロック周辺で、恐らく唯ひとりの若い白人女性なのだろう。昼間のサファリジャケットを、大柄な花模様のノースリーブのワンピースに着換え、髪もほどいて肩まで乱れているが、やや張り気味の顎のあたりの意志的な感じは、有能な案内人のそれだ。店じゅうの男たちが欲情あらわに彼女を見つめ、迷いこんだアジア人の中年男をにらんでいる。男たちはすべて白人のようだが、顔も腕も頸筋も日に焼けきって褐色に近かった。
「この男たち、道路を作っているのよ。ブルドーザーで」
と声を低めることもなく、まわりを眺めまわして言った。「ここの道路ができたら、また別の奥地に行く」
「苦労だろうな、こんな荒地に道路をつくるのは」
「そうでもないわ。山も谷もない平地ですからね」
先程追い払われた男が戻ってきて、酒臭い息を吐きながら屈みこんで女の耳もとで何か言った。
「うるさいわ。駄目だったら」
女は振り向きもし鞍いで声を荒げてそう言ったが、男たちの言葉や視線に絡みつかれることを楽しんでいる様子もある。派手な服装と髪のせいで、昼間とは別人のように女っぽい感じだ。どんな事情でこんな奥地にひとりで来ているのだろう。
「どこの町から来た?」
と私が尋ねたのは、海岸部のどの都市からという意味だったのだが、女の答えは予想外だった。
「ユトレヒト」
「オランダじゃないか。確か高い塔と有名な大学のある古い都市。どうしてそこからこんな遠いところに?」
顔を上げて大声で笑った。
「息がつまるのよ。ヨーロッパの古い都市というのは。人も多すぎて」
「そう、きみの国とぼくの国は、世界でも最高に、国が狭くて人間が多すぎる」
「西アフリカのマリにもいた。ドゴン族の古い村には、ここの岩の下にあったような神話的な記号が泥の壁にいっぱい描いてあった。イスラエルのキブツでも働いた。乾いた土と見えない神だけ。ここはとても気に入ったのでもう二年もいるけれど、少し長く居すぎたようね。今度はアリゾナの砂漠の中の小さな町のレストランで、ミートローフでも焼くわ」
他人のことのように素気なく言って、両腕を上げて背を伸ばした。日が当たらない二の腕の白い内側に、腋毛の茂みが見えた。かずかに腋臭のにおい。
男たちがカセットデッキの音楽とは別の歌を大声でわめくように合唱し始めた。薄暗い室内が歌声と欲求不満の精気と体臭で息づまるようだ。私は冷えきっていない缶ビールを飲み、彼女は名前を知らないラベルのビンから、ウイスキーをコップについでストレートで飲む。
「ヘビの年の男さん、誘惑しないの」
女が物憂い口調でねっとりと言った。
「そんなことしたら、この大男たちにブルドーザーで轢き殺されて、滑走路の一部にされちまうよ」
「臆病なの」
「もうそんなに若くないから」
とは答えたが、身体には狭い室内でじりじりと濃度と圧力を増すセンシュアルな気分が、この小屋の一歩外は果てしない闇と二億年そのままの静寂だという想像と重なって、息苦しいほどになる。自分自身の手ごたえを、何かフィジカルに確かめないと、この大陸中心部に凝縮した<無>に全身消されてしまいそうだ。女をモーテルの部屋に誘う程度のことで埋め合わせるとは思われぬ見えない巨大なものの恐怖。
先程モーテルの玄関を出たとき、大平原の彼方に大きな月が昇り始めていたことを思い出す。満月の夜の大岩を見に行こう、自分の足で歩いて——という衝動が不意に身体の奥の方から強くこみ上げてきた。
「これからロックまで歩く」
と私は気分のたかぶりのままに言った。
「クレージー! 昼間案内してあげたじゃない」
「幸い今夜は満月らしい。月光の下のロックは違うと思うな。それに観光客のメンバーとして案内されてではなく、ひとりであの大岩まで行ってみたい」
「道路で二キロはある」
「道路なんか通らない。荒野を真直ぐに歩く」
「毒のあるヘビがいる」
「ヘビは古い仲間だよ」
本当に毒蛇に咬まれてもここならいい、死ぬならこの中心の場所は最もふさわしい、と本気で思いかける。
「きみも来ないか」
そう言って立ち上がり、カウンターで缶ビールを二箇もらって、店を出た。出口で振り返ると私が坐っていた彼女の隣の場所に忽ち男が坐りこんでいた。
月はほぼ中天に昇っていた。正確に満月ではなくても、そのひと晩前か後の丸く明るい月だ。平原はひたすら黒く、エアーズ・ロックだけがかなり彼方にぼんやりと仄明るい影となって闇に浮いているように見えた。
彼女が来るとは思っていなかったので、小屋を出るとそのまま真直ぐに、モーテル前の整地された広場を横切った。垣も段差もなく、そのまま荒れた平原に入る。モーテルの明りの範囲から出ると、足もとの地面の凹凸もわからない一面の闇。「さまよえるオランダ人」という古い伝説をもとにした有名な歌劇があったことをふと思い出し、あの女は世界の海ではなく世界の荒地をさまようオランダ人だ、と心の中で言ってひとり笑った。
昼間は一面の不毛な平原だとばかり思っていたのに、歩くとしばしば草の茂みに足を取られて転びそうになる。草といっても固い茎ばかりの絡み合った針金のような草だ。そのうえ次第に砂が多くなって、足がのめりこみ、靴の中に砂粒が入りこんで、幾度も立ちどまっては靴を脱いで溜った砂粒を捨てねばならない。咄嗟の思いつきで想像したよりはるかに困難な道程だった。
だが目が次第に闇に馴れてきて、固い草の茂みを避けられるようになり、目的のロックの影の輪郭も見分けられるようになった。手さぐりでビール缶の栓をあけ、砂地をよろめいて歩きながら飲んだ。風はなく真昼の熱気も去って、異様に気分の高まった体には肌寒いほどだ。モーテルの灯がみるみる遠ざかって、小さな光点となり、やがてふっと視界から消えた。
からになったビールの缶を思いきり遠くに投げ、ライターを取り出してタバコの火をつける。白っぽい砂地の中に、葉のない草の灰色の茎が突き出していた。
昼間飛行機の上から眺め渡した地平線の環を思い出し、さらにこの大陸全体の地図を思い描いて、中心部のさらにその中心に近づいているのだ、という想像が狂おしいほど高まってくる。幾度か足をとめて、あたりに耳をすます。毒をもつヘビが砂を滑る音も、虫の声も、一切の生きて動くものの気配はなかった。だが寂寥感も孤独感も全く覚えない。砂に足をとらえられ続けて呼吸は激しくなっていたが、気分は荒々しく澄んでいた。これまで何十年のさまざまな記憶が薄れ、つい先程までいた小屋の|猥《みだ》らな熱気さえ、静まり返った闇の彼方に遠ざかった。
足もとを見つめて草の葉をよげながら、ただ歩く。時間の経過の感覚をなくした。方向の感覚だけが生きている。
顔を上げた。いつのまにか、巨岩の全貌が目の前にあった。「おお」か「ああ」か、思わず自分のものでない声をあげたと思う。昼間は陰々と茶褐色で、夕暮には幻想的な紫色に染まって見えた岩の全体が、いまはただ黒い、純粋に黒い物質の巨大な塊で、その側面に刻みこまれた深浅さまざまな割れ目と隙間と襞としわに沿って、月光が流れ落ちていた。無数の銀色の光の細流に見えた。
光も水のように流れるのだ、と私は放心して呟いていた。岩の真下まで近づけば、その細流のしぶきを体じゅうに受けられる。骨まで光るだろう。
地質学者たちの言うように、この岩もあたりの地形も二億年前とほとんど違っていないとすれば、私は二億年という時間の流れを、いま目の前にしている。光の流れは時間の流れでもあった。光りを創ったものと時間を創ったものとは同じものに違いない、と私は透きとおるようにわかった。この中心の岩は夜の奥で、その秘密を堂々と示している。
だがそのものの名を、私は知らない。
その|示現《エピファニー》の光景は、ひたすら静謐で、限りなく威厳に満ち、そしてただ美しかった。
この場所に一晩だけの逗留の夜、空が晴れ渡っていたことに、偶然にも満月だったことに、私は感謝した。夜の荒地をここまで歩くというようなクレージーな行為への、無意識の弾みになったあのカマボコ小屋の猥雑さに、感謝した。何の呪いのせいか荒地をさまようオランダ女の絶望と勇気に、感謝した。
本当に月光は大岩を流れ落ちるのだ、途切れることなく。
なぜ地面の全体ではなく、この岩の上にだけ光は集まるのだろう。
何千年来ここを聖地としてきたアボリジニたちだけが、その答えを知っているだろう。
………………
そのとき背後で車が荒土の道路をとばしてくる音が聞こえ、やがて闇の中を接近してくるジープのライトが見え、ライトの光芒の中を赤土の塵が舞って、派手なワンピース姿のオランダ女が現れ、月光の聖地のこの世のものならぬ心身のたかぶりのままに、ひと言も言葉を口にすることなく激しく抱き合って、大岩の影が深々と覆う砂地に横たわり、流れ落ちる光の細流が体のまわりで、心の中でしぶきをあげて散った——というようなことにはならなかった。
もしかしたら本当はそうだったのかもしれないという記憶も、いま全く消し去り難く、二の腕にざらついた粗い砂の肌ざわり、足首を執拗に刺した草の茎先の痛みが、遥かな黒い地平線で切れていた星座のイメージとともに、体の奥の闇の果てに生き残っている気配も覚える。荒地で肉体労働する男たちの無遠慮な視線に刺激された女の体は熱く、神経は異常なほど敏感に震え、贅肉のない脚は強く私を締めつけて、しかも体の芯には荒涼と冷たいものがひそんでいた。
だが月光に輝く巨岩の二億年の沈黙、霊気と呼びたいほど張りつめていた大荒野の中心の凝縮した闇の、思いがけなかった霊的興奮の鮮やかに大きな記憶の中で、ジープのライトも、締まった女体の感触も、草の茎の痛みさえ、果して現実だったかどうか、自信がないのだ。それぞれのその時点では掛替えなく貴重な現実、恩寵とさえ思われた女体の経験が、いまや私の中では重なり溶け合ってぼんやりと白いひとつの幻想になりかけている。
ところが二十年たったいまも、はっきりと記憶していることがある。その夜の夜明けに、干からびた昆虫の死体が散乱するモーテルの一室で見た夢だ。
(人間にとっての現実というものは、何と奇妙なものだろう)
一望の荒地の中に、私が横たわっている。大岩はない。月夜でもない。灰色の空の下の褐色の地面に、黄色っぽく乾いた光が沈みこんでいる。目を閉じてはいるが、呼吸はしている。周囲には誰もいない。その私を、私が上の方から覗きこんでいる。二番目の私がどんな姿なのかは現れないが、切迫した憂慮と不安に駆られている。覗きこみながら懸命に呼びかけている。
「目を開けろ、起き上がれ。そのままだと確実に死んでしまう。とにかく起き上がって動けよ。何かをしろ。目を覚ましてくれ」
だんだん怒りが悲しみに変ってくる。
「本当に死んでしまうよう」
荒地を吹き過ぎる灰色の風。
そして目が覚めた。がらんとしたモーテルの部屋の固いベッドに横になっていた。部屋にカーテンがなかったのだろうか。夜明けの白っぽい光線が部屋に澱んでいる。昼の暑さがウソだったように気温が下がっていた。
夢の中で横になっていた私は何も感じても考えてもいなかったのに、私はベッドに横になったまま、冷気に震えた。自分は死にかけていたんだ、と素直に心底から思った。ここにいては危険だ、ここは危険な場所なのだ、とも思った。みだりに中心に入りこんではならない、資格もなく聖地をうろつきまわってはいけないのだ。
予定ではここには一泊するだけで、きょうの昼前には飛行機で三十分ほどの内陸部唯一の町アリス・スプリングスに行くことになっていたのに、きのう夜遅くモーテルに戻ってきたときには、予定を変えてもう数日女案内人とともにここにとどまる気になっていた。
とんでもない、と私は自分に言った。ここはおまえの心的エネルギーの容量を越えている。予定通り発つのがいいのだ。
立って窓際に行った。窓の金網にしがみついたまま死んでいる昆虫たちの向こうに、夜明けの平原が広がっていた。この窓の方向からロックは見えない。どこからも朝日が射していない平原は、ただ広漠と灰色だった。昨夜はあんなに晴れ上がっていたのに、雲が一面に垂れこめている。霊気の気配などどこにもなかった。多分世界じゅうどこにでもある任意の荒地の単調な風景だった。
朝食のあと、ロビーでオランダの女性に出会った。髪をバンダナで結び、サファリジャケットに半パンツ、足首までの編み上げ靴に、目の粗い長靴下が鮮やかに白い。数枚の書類を留めた紙挟みを小脇に抱えて、「ハーイ」と手をあげて「よく眠れた?」と明るい声で言った。
「あなたはきょうアリス・スプリングス行きね。天候が怪しいから飛行機は予定より早目に発つわ。そのつもりで。早く発った方がいいわよ。雨になると何日も飛行機便は欠航になって、ここは孤立状態になる」
それだけ早口に言うと、片手をあげて掌を二度三度振ってフロントデスクの中に入り、無線電話機に向かって通話し始める。初めは天候と旅客機の運航状況を尋ねていたが、やがて私的な会話になったようで、低く親密な声に変った。嫉妬めいた気分を覚えかける。
頭を振って私は玄関を出た。玄関前の小さな広場の隅に、來竹桃に似た灌木が濃い桃色の花をつけていた。玄関のガラス戸もモーテルの壁も灌木の固い葉並も土埃で汚れているのに、挑色の花だけが場違いのように鮮やかだ。高く宙に突き出たその花の下に、遠くロックが見えた。
雲が低く垂れこめた灰色の荒野の向こうで、大岩も暗灰色に縮んだように見える。襞の部分が深いしわのようだ。天からの光を受けない岩は、ただ大きいだけの岩塊にすぎない。その上で密雲がゆっくりとうごめいていた。夢でみた風景にそっくりだった。
どうしてあんな夢をみたのだろう。自分が死にかけている夢をあれほどはっきりと、こんな場所で? 平原も地平線も、聖なるはずの岩も沈黙していた。ここでは自分の本当の現実の姿が、剥き出しにされるのだろう、という気だけがしきりにした。目を覚まして起き上がれ、と繰り返したあの夢の中の声は何者の声だったのだろう。
地平線の向こうから風が吹き寄せ始めた。眼前の荒野の葉のない草が、カサカサと鳴った。不安なままに、荒れ始める大平原に向かって私は立っていた。
ふとひとの気配を感じた。靴音もなくひっそりと穏やかな気配。横を向くと、アボリジニの老人がいつのまにか並んで、平原を見つめていた。カーキ色の半袖の作業上衣と半ズボンを着ているが、靴ははいていない。きのうも見かけた覚えのあるモーテルの下働き風の老人だった。
顔も髪の色も濃い褐色だが、顎のひげには金色に近い黄色もまじっている。大岩の方角に目を向けたまま、口の中で低く歌のようなものを口ずさんでいる。ゆるやかな抑揚に合わせて、全身をかすかにゆすっている。横顔に表情はなかったが、心を穏やかに開いていることが自然に感じられた。
傍に立っているだけで、ざわめいていた気分が次第に鎮まるのがわかった。
「人間、死んだら、どこに、行くのだろうか」
そんな言葉が誘い出されたように、私の口から出た。一語ずつ区切ってゆっくりと英語で言った。そんな普通なら未知の他人にいきなり口に出来ないような質問が、この老人には少しも失礼にも気恥かしくも感じられない。この人たちはいつもそんな根本的なことを考えている、そんな秘密に近く生きている、と体でわかった。
思った通り、私の方を向いた老人の顔には、驚いた様子も奇異の表情もなかった。通りがかりに道を尋ねられでもしたように落ち着いて、片手を上げて人さし指を黙って空に向けた。
「では、空に上がって、何になるのだろう」
続けて私は尋ねた。
途端に老人は俯いて片手を口に当て、クックッと小声で笑い出した。おかしくてたまらないという様子なのだ。子供でも知っているそんなことを、いいおとなが本気できくなんて、という仕草だった。
ひとしきり屈みこんで笑い声を洩らしてから、上体を起こして、老人ははにかむように一語だけ答えた。
「|風《ウィンド》」
聖なる岩の上で渦巻いて大平原を吹き過ぎる風の顔を、私は一瞬見たように思う。
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