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聖岩 Holy Rock08

时间: 2020-02-21    进入日语论坛
核心提示:古都     2 一九七五年初めに芥川賞を受賞したとき、私は新聞社の外報部でベトナム戦争担当のデスク(次長)だったのだが
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古都
     2
 一九七五年初めに芥川賞を受賞したとき、私は新聞社の外報部でベトナム戦争担当のデスク(次長)だったのだが、間もなくサイゴンが陥落してベトナム戦争が終る。それをきっかけに新聞社では極度に緊張を要する外報部デスクの職を解いて、比較的時間の自由になる編集委員にしてくれた。
翌七六年、新聞社では同系列のテレビ局の放送で午後五時から七分間という短いニュース番組を流すことになり、そのキャスター役を命ぜられた。事実上は他人が書いてくれたニュース原稿を読むだけなのだが、テレビ局で一応の特訓を受けた。
そして秋の初めのある日、テレビ局スタジオでの放映のため新聞社を出ようとしたとき、外報部の元同僚が「毛沢東の死亡発表が間もなくあるかもしれない」と教えてくれた。資料を準備する時間はなく、不安なままテレビ局に行ってスタジオに入った。
五時から予定の原稿を読み始めて間もなく、スタシオの隅の緊急電話が鳴った。「いま重大ニュースが入ったようです。少しお待ち下さい」とカメラに向かって言って、私は原稿を読むのを中断した。電話をとったディレクターが急いで書き取った紙をまわしてきた。「毛沢東死去、正式発表。何でもしゃべり続けろ」とサインペンで走り書きしてあった。所定の原稿を読み上げるだけで精一杯の素人キャスターに、そんな臨機応変の措置がとれるはずがない。号外級の大ニュースである。極度にあわてて混乱した。
それでも一応形だけニュースらしい形で、カメラに向かってしゃべった。毛沢東の歴史的意義、その死去の影響など。だが外報部記者の経験はあっても中国が専門ではない私の頭の中の知識など知れたものだ。間もなく頭の中のテープが切れたように、何も言葉が出てこなくなった。混乱は恐怖に変り、ほとんど現実感を失った。カメラの黒く透明なレンズだけがすく前で私の顔を撮り続けている。
テレビでは四秒以上の|間《ま》をあけてはいけない、と教えられていた。四秒は忽ち過ぎたはずなのに、言葉は出てこない。スタジオは静まり返り、時間だけがごうごうと流れてゆく。恐怖はパニックに近くなった。そのとき空白になった意識に、ふっと切れ切れの言葉が浮かびかけた。「女性的で……謎めいて測り難く……不吉な……ロバのように頑固……孤独で……冷笑的でおそろしい……」。
若かった頃に読んでその箇所だけが異常に強く記憶に残ったアメリカの女性ジャーナリスト、アグネス・スメドレーの『中国の歌ごえ』の中の、延安の洞窟で初めて会ったときの毛沢東の印象を記した言葉だと咄嵯に気付いたが、そんな言葉をこの死去の際に口にすることはできない。
圧し潰すような非現実感だけが続き、七分間の所定の放映時間が終っていたことさえ、私はわからなかった。カメラが|退《ひ》いてやっと我にかえって、傍のディレクターに「どのくらい穴をあけたんだ」と尋ねると、「十二秒も」と不機嫌に答えた。
数日後、私はキャスター役の辞任を新聞社幹部に申し出た。十二秒間の長い恐怖とテレビカメラに晒される嫌悪感が強く残った。
それからあの空白の中でどうして、ずっと以前に読んで意識的には忘れていたはずのスメドレーの言葉の断片が、急に浮かんできたのだろう、という自分自身への怪訝な思いも残った。私自身も漠然とながら彼女と同じような感情を、毛沢東に対して、とくにその「文化大革命」に対して、心の奥では抱くようになっていたのではあるまいか。その感情が、ありきたりな「偉大な毛沢東」を悼む言葉をしゃべっている間に、いわば反発的に誘い出されて、遠いスメドレーの文章の記憶を呼び出したのかもしれない。
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