8
その夜はホテルの一室で「杭州市革命委員会」の歓迎宴が行われた。
特別のことではない。北京でも西安でも(杭州のあとに訪れた上海でも広州でも)、私たち訪中取材チームの到着の夜はそのような夕食の宴が準備されていた。大がかりのものでもない。この夜のそれも同行の外務省官吏二人を含めた私たち七人とほぼ同数の招待側のメンバーが、中国料理の円卓を囲んだ。
「革命委員会」という名称も形式的なもので、この時期どこに行っても、都市でも町でも工場でも学校でも農村でも、あらゆる機関、組織のヘッドはそう呼ばれていた。「杭州市革命委員会」とは杭州市庁当局という意味で、その夜の招待側のチーフは「外事辧※[#底本では「辧」の「刀」に代えて「力」、第3水準1-92-50]公室主任——いわば渉外関係の責任者だった(中国で「主任」という地位はきわめて高い)。
ただし市庁の幹都というイメージとは、およそかけ離れた人物だった。長身痩躯※[#底本では「身+區」、第3水準1-92-42→包摂適用 躯]、白髪が美しい。招待側出席者たちの中でひとりだけ、青色でなく上品な灰色の人民服を着ていたと記憶しているが、人物の印象からの誤った記憶の可能性もある。
宴のはじめに老主任が穏やかな口調で歓迎の挨拶を述べた。内容は型通りに新しい中日両国の友好関係を願うというものだったが、他の諸都市での招宴の挨拶と違って、革命とか政治とか建設というような言葉、毛主席の名前さえも一切口にしなかったことが、強く印象的だった。
そのために招かれた側の代表として、一番年長の私が答礼の挨拶をするときも、華国鋒政権の新しい方針というようなことは一切触れずに、古都杭州の魅力と西湖の信じ難い美しさについてだけ、つまり本当に感じたことだけを率直に語ることができた。午前中に絹織物工場で知ったこの古都の暗くおぞましい印象については、礼儀上全く触れはしなかったけれども。
穏やかな宴だった。次々と運ばれてくる杭州料理の味も精妙だった。開かれた窓からは湿気を帯びているはずなのに爽やかな、湖の水と岸の樹々の緑の匂いを含んだ夜気が快く流れこんでくる。
隣席の老主任は、私が他の出席者たちの話に気を取られたりしていると、実にさり気なく私の小皿に料理を取り分けてくれている。長い箸を使うその手つきが実に優雅だ。杭州の名物料理「泥棒鶏」の由来なども、これは伝説ですと断りながら、ユーモアをまじえて静かに語ってくれた。この人が「革命委員会」の委員、市の行政当局者とは、いよいよ信じ難くなるのだった。
「……のために」と小さく細長いグラスで茅台酒の乾杯が、双方の出席者たちの誰かの音頭で繰り返された。初めは「中日友好のために」から始まって、「日本のいっそうの発展のために」「中国の新しい社会主義建設のために」「(私たちの)新聞社のために」「杭州市のために」「東京のために」「西湖のために」……やがて「泥棒鶏の元をつくった間抜けな泥棒のために」となり、私は「比類ない湖心亭の睡蓮のために」と立って言った。必ずしも乾杯毎に強い茅台酒を呑みほさなくてもいいのだが、酒に強いと自称する写真部の若いカメラマンは全員の拍手を受けてすべての乾杯の杯をあけているうちに、ついに椅子から立ち上がれなくなってしまった。
酒に弱い私はほとんど呑んでいないつもりだったのに、それでも幾らか酔いがまわり始めたようだった。いやアルコール分ではない、ふしぎな古都杭州に、西湖の夜に酔ったのだ。
老主任は幾度か杯を空にしているはずだが、少しも酔った気配はない。このひとはまるで文人か詩人のようだ、毛沢東の額が掛かっているに違いない「革命委員会」の主任室より、あの「西冷印社」の上の白壁の書院風の部屋に坐っている方がずっとふさわしい、と考えたりしながら老主任に言った。
「きょう西冷印社で、奇妙な古い水墨画を見せてもらいました。水墨画にくわしいわけではありませんが、私は即座に|牧谿《もっけい》ではないか、と思ったのです。西湖の暮色を描いたものでした。あの独特の描法で。それ以外に考えられないような神韻縹渺たる逸品でした。少々傷んでおりましたが。でも……」
と言いかけた私の言葉を引き取って老主任は言った。
「|牧谿《もっけい》の真筆は残ってないはず」
「そう聞いていました。日本に渡って残っているものも偽作があるとか。西冷印社の人に確かめようとしたのですが……」
「答えなかったでしょう」
老主任は紹興酒の杯を含んで微笑した。それから窓の方を向いて言葉を探している風だった。西湖も小島もしっとりと深く闇に隠れて「弧山」らしい小山の影だけがかろうじて見分けられるだけだ。
「|牧谿《もっけい》はこのあたりの旧家にまだ幾つか残っていたのです。それがわかったのは最近のこと、文化大革命の最中に、古いものは何でもぶち壊せ、と造反派の連中が次々と旧家を襲って、秘蔵の文物を引っ張り出して焼き棄てようとしたときでした。それを押しとどめて、幾つもの古い絵や書を救い出したのが、西冷印社の人たちだったのです」
静かな口調だったが、声のうちには憤りの色がこもっているのが感じられた。
「何人か傷を負ったとも聞いてます。そのことに触れられたくなかったのでしょう。それに真筆かどうか専門家たちにいま綿密に鑑定させているはずですから」
この地の測り知れぬ深い陰鬱と奥深さに、改めて私は驚くばかりだった。
通訳が伝える老主任の言葉に、室内は静かになっていた。他の記者たちも「ああ」と感嘆の声を洩らした。翁一派が傷つけたのは反対派の身体だけではなかった。もし真筆なら|牧谿《もっけい》の隠され残された信じ難い作品さえ灰になるところだったのだ。
「あの影のような、まるで昔の仙人のような西冷印社の人たちが……」
と私が感動して言いかけるのを微笑して眺めながら、老主人は言葉を継いだ。
「|牧谿《もっけい》も座禅を組んで絵を描いていたばかりではありません。時の宰相賈似道の非道を批判して怒りを買い、一時ここを逃がれたこともあったのです」
(そのときはその名前さえ知らなかったのだが、南宋皇帝三代の宰相だった賈似道は、南宋悪宰相のひとりで、兵役免除の特権がある僧侶免許状を売りまくって仏教堕落の一因をつくった人物と、水上勉氏は書いている)
しばらく座は「四人組」のこと、午前中に聞いた翁一派の暴力とその犠牲者たちの話題でにぎわった。老主任はそれを眺めて静かに杯を傾け、私は枯淡繊細なだけではなかったこの地の古今の芸術家、詩人、文人のことを考えていた。毛沢東という謎めいた人物のことも。みずから詩を書き史書を読み耽りながら、彼は旧文化一掃の口火も切った。
恐らく華国鋒政権になってから「革命委員会」に加わったと思われるこの文人的な老主任も、「文化大革命」中には想像を越える様々なこと、迫害も苦難もあり反発も抵抗もしたに違いないと思った。
この宴席のほかは広壮なホテルは物音ひとつなく、着剣した兵士が立っている眼下の明るいホテル正門以外に窓からひとつの灯も見えず、古都の五月の夜は二千年の興亡と栄華と頽廃と悪と美の影を溶け合わせて、ただ墨一色にひろがっている。
だが先ほど見せてもらった|牧谿《もっけい》かもしれない西湖の水墨画の、おのずからうごめき漂う明暗の奥には、天と地、自然とわれわれ自身の魂の芯を貫く永遠に真なるものの不可視の一点が、見すえられていたような気もした。いやそれも茅台酒の酔いが呼び出した一片の幻想かもしれない。最上質の茅台酒は暗黒の洞穴の奥で天然の氷塊とともに熟成して透き徹ります、と宴の初めに老主任がそっと教えてくれた。
宴|闌《た》けても背筋がゆるむことのない老主任が、顔を寄せて囁くように言った。
「四庫全書というものをご存知ですか」
「清の乾隆帝が命じて作らせた中国最大の書物の大叢書ということしか知りませんが」
「当時全国から集められる限りの書物らしい書物十七万巻が集められました。そのうちほぼ半数が清書され、著者の履歴、書の内容、その書への批評が”提要”として付けられ、残りの半数は書名だけを記録して提要を付けた」
「十七万巻の一巻ずつに概要と批評を付け加えたのですか」
「十年の歳月と莫大な費用をかけて」
老主任は淡々と語るが、私はめまいのようなものを覚えた。だがそれは単なるお話でも伝説でもない。この取材旅行に出る少し前に司馬遼※[#底本では「二点しんにょうの遼」→包摂適用 遼]太郎氏が北京の故宮内の地下室で、四庫全書の一部を見せてもらったことを書いた文章を読んでいたからだ。日頃冷静な司馬氏が「いま漉いたばかりのような紙、いま刷り上げたばかりのような文字、いま綴じたばかりのような絹の書物のうずたかい山」と興奮して書いていたのを覚えている。
「また提要だけを集めた”四庫全書総目録”というものを別に作りました。全体を経・史・子・集の四部に、四部をさらに易、礼、四書、正史、雑史、伝記、地理、農家、天文、琴譜、雑技、食譜、草木鳥獣虫魚その他に細かく分類して、時代順に配列したものです。目録だけで二百巻あった」
そう続けながら老主任も少しずつ興奮してくるのが感じられた。
「そこには太陽と星々の運行、山と河と森と湖の配置、歴代王朝と諸国の歴史、神話と伝説と物語、諸々の宗教と思想、築城と灌漑と建築、陶磁器の技術、医学と呪術、すべての動物と木と草と虫の観察、英雄たちの伝記、庶民生活の記録、法と習慣、経済と天変地異、節気と風水の理、悲恋と犯罪、葬儀と長命の術……つまり中国全土にかつて在り現に在りこれからも在るすべて、人間が考え感じ想像し夢みたすべてについて書かれた文章が集められた。中国のすべてとは、私たちにとって世界のすべて、宇宙のすべてなのです」
老主任の高揚する意識の波が次第に私を浸し、溶かし昂らせ、私の意識も窓の外から西湖の上、静まり返る夜の果てへと無限の波紋を描いて広がってゆくのを感ずる。
(中国語のできない私は、その話のすべてを通訳を介して聞いたはずなのに、通訳の姿と声もこの時点の私の記憶からは完全に脱落していて、老主任と私は直接に語り合い、同じ意識のゆらめき広がる波長を共にしたようにさえ思う)
「世界の無限を記録した無限の言葉」と私も|魘《うな》されたように繰り返した。
「そう、混沌に対する人間の精神の|証《あかし》です。自然はそのままでは無だ。言葉によって自然が世界になる、無限の陰影と層位と筋道と変化と意味を帯びて……」
本当に、いまは閉じている睡蓮の花の昼の残り香を含んで湖上に広がる一面の闇が、ひそかにうごめき流れて微妙な黒の階位を描き始めるような気がした。
ふたりとも、しばらく言葉なく湖上の夜の広がりを眺めていた。
ふっと老主任が振り向いてさり気なく言った。
「その四庫全書が、この杭州にあるのですよ」
思いがけなかったことなので、危うく私は声をあげるところだった。ゆるやかな窓外の闇のうごめきが激しく渦巻き始めるように感じられた。
「そして翁の一味はその四庫全書まで焼き払おうとしたのです」
老主任の声は再び暗く激しい調子を帯びた。杯を持つ手が震えて見えた。
「乾隆帝は全巻を七部だけ刷らせ、北京の二か所と奉天と熱河と鎮江と揚州と杭州の七か所に置かせました。北京、奉天、熱河の四か所は非公開、あとの三か所で公開されたのですが、のちの暴動の戦火で鎮江と揚州では焼失し、ここ杭州にだけ唯一の公開の四庫全書が残っていたのです」
私は胸が不吉な動悸を打つのを感じた。
「それで……ここの四庫全書も焼かれてしまったのですか」
とかろうじて私は言った。現実のこととは思いえない物語の結末を聞くような気分だ。世界に等しい書物を焼く焔と煙は、何昼夜どころか何十、何百昼夜をかけて空を覆いつくしたであろう。
老主任は椅子を動かして体ごと私の方に向き直った。それから静かに言った。
「それを守ったのも、先程あなたが影のような、と言われた西冷印社の人たちだった」
「あの人たち……」
「そう、あの人たちです」
今度はきっぱりと言った。白髪が揺れた。
「あの文人たちが世界を守った……」
私は自分に言い聞かせるように繰り返した。
老主任の顔には微笑が戻っていたが、目は暗くきびしく光っていた。この老文人も一緒だったのではないか、とも思いかけたが、それは尋ねるべきことではなかった。弱々しそうにさえ見えた西冷印社の人たちが、どこでどのようにして、鉄パイプをあるいは自動小銃さえ手にしていたに違いない翁とその手下たちの手から、膨大な四庫全書を守り抜いたのかも、尋ねる気がしなかった。
この古都に、この夜の底のどこかに、世界の無限を記した無限の文字がいまも生き続けていることに、畏怖の念を覚えてわれを忘れた。
取材チームの新聞記者としては、メモ帳を取り出して改めて幾つもの事実を尋ねるべきだったのだろうが、いま老文人が「革命委員会外事辧※[#底本では「辧」の「刀」に代えて「力」、第3水準1-92-50]公室主任」として語ったのではないように、私も取材記者として聞いたのではなかった。混沌の、自然そのものの不可測の暗い力のうねりに惹かれながらも、形ある何かを書き描き続けるという人間の行為に幾らかなりとかかわりと責任をもつ人間のひとりとして、私は聞いてきたのだったし、老文人もそのような私を信じて話してくれたのだと思った。
事実によって世界が成り立っているのではなく、世界を支えるのは理念なのだと考えた。私たちは湖岸の夜に、世界という理念について了解し合ったのだった。言葉が文字が文章が書物がその総体が、世界なのだということを。
和やかに宴を終えて、自室に戻った私は窓を思いきり開いて長い間、推測も想像さえも超えるふしぎな古都の夜の深みを眺めていた。その深みでは、世界を創る力と壊す力と守る力とが絡み合って、激しくひそかに時代を超えて息づき続けているようだった。そしてベッドに入っても眠れぬ昂りのままに思った——不可測の自然の暗い力と言葉との尽きることのない戦いが、人間の歴史なのだ、と。
特別のことではない。北京でも西安でも(杭州のあとに訪れた上海でも広州でも)、私たち訪中取材チームの到着の夜はそのような夕食の宴が準備されていた。大がかりのものでもない。この夜のそれも同行の外務省官吏二人を含めた私たち七人とほぼ同数の招待側のメンバーが、中国料理の円卓を囲んだ。
「革命委員会」という名称も形式的なもので、この時期どこに行っても、都市でも町でも工場でも学校でも農村でも、あらゆる機関、組織のヘッドはそう呼ばれていた。「杭州市革命委員会」とは杭州市庁当局という意味で、その夜の招待側のチーフは「外事辧※[#底本では「辧」の「刀」に代えて「力」、第3水準1-92-50]公室主任——いわば渉外関係の責任者だった(中国で「主任」という地位はきわめて高い)。
ただし市庁の幹都というイメージとは、およそかけ離れた人物だった。長身痩躯※[#底本では「身+區」、第3水準1-92-42→包摂適用 躯]、白髪が美しい。招待側出席者たちの中でひとりだけ、青色でなく上品な灰色の人民服を着ていたと記憶しているが、人物の印象からの誤った記憶の可能性もある。
宴のはじめに老主任が穏やかな口調で歓迎の挨拶を述べた。内容は型通りに新しい中日両国の友好関係を願うというものだったが、他の諸都市での招宴の挨拶と違って、革命とか政治とか建設というような言葉、毛主席の名前さえも一切口にしなかったことが、強く印象的だった。
そのために招かれた側の代表として、一番年長の私が答礼の挨拶をするときも、華国鋒政権の新しい方針というようなことは一切触れずに、古都杭州の魅力と西湖の信じ難い美しさについてだけ、つまり本当に感じたことだけを率直に語ることができた。午前中に絹織物工場で知ったこの古都の暗くおぞましい印象については、礼儀上全く触れはしなかったけれども。
穏やかな宴だった。次々と運ばれてくる杭州料理の味も精妙だった。開かれた窓からは湿気を帯びているはずなのに爽やかな、湖の水と岸の樹々の緑の匂いを含んだ夜気が快く流れこんでくる。
隣席の老主任は、私が他の出席者たちの話に気を取られたりしていると、実にさり気なく私の小皿に料理を取り分けてくれている。長い箸を使うその手つきが実に優雅だ。杭州の名物料理「泥棒鶏」の由来なども、これは伝説ですと断りながら、ユーモアをまじえて静かに語ってくれた。この人が「革命委員会」の委員、市の行政当局者とは、いよいよ信じ難くなるのだった。
「……のために」と小さく細長いグラスで茅台酒の乾杯が、双方の出席者たちの誰かの音頭で繰り返された。初めは「中日友好のために」から始まって、「日本のいっそうの発展のために」「中国の新しい社会主義建設のために」「(私たちの)新聞社のために」「杭州市のために」「東京のために」「西湖のために」……やがて「泥棒鶏の元をつくった間抜けな泥棒のために」となり、私は「比類ない湖心亭の睡蓮のために」と立って言った。必ずしも乾杯毎に強い茅台酒を呑みほさなくてもいいのだが、酒に強いと自称する写真部の若いカメラマンは全員の拍手を受けてすべての乾杯の杯をあけているうちに、ついに椅子から立ち上がれなくなってしまった。
酒に弱い私はほとんど呑んでいないつもりだったのに、それでも幾らか酔いがまわり始めたようだった。いやアルコール分ではない、ふしぎな古都杭州に、西湖の夜に酔ったのだ。
老主任は幾度か杯を空にしているはずだが、少しも酔った気配はない。このひとはまるで文人か詩人のようだ、毛沢東の額が掛かっているに違いない「革命委員会」の主任室より、あの「西冷印社」の上の白壁の書院風の部屋に坐っている方がずっとふさわしい、と考えたりしながら老主任に言った。
「きょう西冷印社で、奇妙な古い水墨画を見せてもらいました。水墨画にくわしいわけではありませんが、私は即座に|牧谿《もっけい》ではないか、と思ったのです。西湖の暮色を描いたものでした。あの独特の描法で。それ以外に考えられないような神韻縹渺たる逸品でした。少々傷んでおりましたが。でも……」
と言いかけた私の言葉を引き取って老主任は言った。
「|牧谿《もっけい》の真筆は残ってないはず」
「そう聞いていました。日本に渡って残っているものも偽作があるとか。西冷印社の人に確かめようとしたのですが……」
「答えなかったでしょう」
老主任は紹興酒の杯を含んで微笑した。それから窓の方を向いて言葉を探している風だった。西湖も小島もしっとりと深く闇に隠れて「弧山」らしい小山の影だけがかろうじて見分けられるだけだ。
「|牧谿《もっけい》はこのあたりの旧家にまだ幾つか残っていたのです。それがわかったのは最近のこと、文化大革命の最中に、古いものは何でもぶち壊せ、と造反派の連中が次々と旧家を襲って、秘蔵の文物を引っ張り出して焼き棄てようとしたときでした。それを押しとどめて、幾つもの古い絵や書を救い出したのが、西冷印社の人たちだったのです」
静かな口調だったが、声のうちには憤りの色がこもっているのが感じられた。
「何人か傷を負ったとも聞いてます。そのことに触れられたくなかったのでしょう。それに真筆かどうか専門家たちにいま綿密に鑑定させているはずですから」
この地の測り知れぬ深い陰鬱と奥深さに、改めて私は驚くばかりだった。
通訳が伝える老主任の言葉に、室内は静かになっていた。他の記者たちも「ああ」と感嘆の声を洩らした。翁一派が傷つけたのは反対派の身体だけではなかった。もし真筆なら|牧谿《もっけい》の隠され残された信じ難い作品さえ灰になるところだったのだ。
「あの影のような、まるで昔の仙人のような西冷印社の人たちが……」
と私が感動して言いかけるのを微笑して眺めながら、老主人は言葉を継いだ。
「|牧谿《もっけい》も座禅を組んで絵を描いていたばかりではありません。時の宰相賈似道の非道を批判して怒りを買い、一時ここを逃がれたこともあったのです」
(そのときはその名前さえ知らなかったのだが、南宋皇帝三代の宰相だった賈似道は、南宋悪宰相のひとりで、兵役免除の特権がある僧侶免許状を売りまくって仏教堕落の一因をつくった人物と、水上勉氏は書いている)
しばらく座は「四人組」のこと、午前中に聞いた翁一派の暴力とその犠牲者たちの話題でにぎわった。老主任はそれを眺めて静かに杯を傾け、私は枯淡繊細なだけではなかったこの地の古今の芸術家、詩人、文人のことを考えていた。毛沢東という謎めいた人物のことも。みずから詩を書き史書を読み耽りながら、彼は旧文化一掃の口火も切った。
恐らく華国鋒政権になってから「革命委員会」に加わったと思われるこの文人的な老主任も、「文化大革命」中には想像を越える様々なこと、迫害も苦難もあり反発も抵抗もしたに違いないと思った。
この宴席のほかは広壮なホテルは物音ひとつなく、着剣した兵士が立っている眼下の明るいホテル正門以外に窓からひとつの灯も見えず、古都の五月の夜は二千年の興亡と栄華と頽廃と悪と美の影を溶け合わせて、ただ墨一色にひろがっている。
だが先ほど見せてもらった|牧谿《もっけい》かもしれない西湖の水墨画の、おのずからうごめき漂う明暗の奥には、天と地、自然とわれわれ自身の魂の芯を貫く永遠に真なるものの不可視の一点が、見すえられていたような気もした。いやそれも茅台酒の酔いが呼び出した一片の幻想かもしれない。最上質の茅台酒は暗黒の洞穴の奥で天然の氷塊とともに熟成して透き徹ります、と宴の初めに老主任がそっと教えてくれた。
宴|闌《た》けても背筋がゆるむことのない老主任が、顔を寄せて囁くように言った。
「四庫全書というものをご存知ですか」
「清の乾隆帝が命じて作らせた中国最大の書物の大叢書ということしか知りませんが」
「当時全国から集められる限りの書物らしい書物十七万巻が集められました。そのうちほぼ半数が清書され、著者の履歴、書の内容、その書への批評が”提要”として付けられ、残りの半数は書名だけを記録して提要を付けた」
「十七万巻の一巻ずつに概要と批評を付け加えたのですか」
「十年の歳月と莫大な費用をかけて」
老主任は淡々と語るが、私はめまいのようなものを覚えた。だがそれは単なるお話でも伝説でもない。この取材旅行に出る少し前に司馬遼※[#底本では「二点しんにょうの遼」→包摂適用 遼]太郎氏が北京の故宮内の地下室で、四庫全書の一部を見せてもらったことを書いた文章を読んでいたからだ。日頃冷静な司馬氏が「いま漉いたばかりのような紙、いま刷り上げたばかりのような文字、いま綴じたばかりのような絹の書物のうずたかい山」と興奮して書いていたのを覚えている。
「また提要だけを集めた”四庫全書総目録”というものを別に作りました。全体を経・史・子・集の四部に、四部をさらに易、礼、四書、正史、雑史、伝記、地理、農家、天文、琴譜、雑技、食譜、草木鳥獣虫魚その他に細かく分類して、時代順に配列したものです。目録だけで二百巻あった」
そう続けながら老主任も少しずつ興奮してくるのが感じられた。
「そこには太陽と星々の運行、山と河と森と湖の配置、歴代王朝と諸国の歴史、神話と伝説と物語、諸々の宗教と思想、築城と灌漑と建築、陶磁器の技術、医学と呪術、すべての動物と木と草と虫の観察、英雄たちの伝記、庶民生活の記録、法と習慣、経済と天変地異、節気と風水の理、悲恋と犯罪、葬儀と長命の術……つまり中国全土にかつて在り現に在りこれからも在るすべて、人間が考え感じ想像し夢みたすべてについて書かれた文章が集められた。中国のすべてとは、私たちにとって世界のすべて、宇宙のすべてなのです」
老主任の高揚する意識の波が次第に私を浸し、溶かし昂らせ、私の意識も窓の外から西湖の上、静まり返る夜の果てへと無限の波紋を描いて広がってゆくのを感ずる。
(中国語のできない私は、その話のすべてを通訳を介して聞いたはずなのに、通訳の姿と声もこの時点の私の記憶からは完全に脱落していて、老主任と私は直接に語り合い、同じ意識のゆらめき広がる波長を共にしたようにさえ思う)
「世界の無限を記録した無限の言葉」と私も|魘《うな》されたように繰り返した。
「そう、混沌に対する人間の精神の|証《あかし》です。自然はそのままでは無だ。言葉によって自然が世界になる、無限の陰影と層位と筋道と変化と意味を帯びて……」
本当に、いまは閉じている睡蓮の花の昼の残り香を含んで湖上に広がる一面の闇が、ひそかにうごめき流れて微妙な黒の階位を描き始めるような気がした。
ふたりとも、しばらく言葉なく湖上の夜の広がりを眺めていた。
ふっと老主任が振り向いてさり気なく言った。
「その四庫全書が、この杭州にあるのですよ」
思いがけなかったことなので、危うく私は声をあげるところだった。ゆるやかな窓外の闇のうごめきが激しく渦巻き始めるように感じられた。
「そして翁の一味はその四庫全書まで焼き払おうとしたのです」
老主任の声は再び暗く激しい調子を帯びた。杯を持つ手が震えて見えた。
「乾隆帝は全巻を七部だけ刷らせ、北京の二か所と奉天と熱河と鎮江と揚州と杭州の七か所に置かせました。北京、奉天、熱河の四か所は非公開、あとの三か所で公開されたのですが、のちの暴動の戦火で鎮江と揚州では焼失し、ここ杭州にだけ唯一の公開の四庫全書が残っていたのです」
私は胸が不吉な動悸を打つのを感じた。
「それで……ここの四庫全書も焼かれてしまったのですか」
とかろうじて私は言った。現実のこととは思いえない物語の結末を聞くような気分だ。世界に等しい書物を焼く焔と煙は、何昼夜どころか何十、何百昼夜をかけて空を覆いつくしたであろう。
老主任は椅子を動かして体ごと私の方に向き直った。それから静かに言った。
「それを守ったのも、先程あなたが影のような、と言われた西冷印社の人たちだった」
「あの人たち……」
「そう、あの人たちです」
今度はきっぱりと言った。白髪が揺れた。
「あの文人たちが世界を守った……」
私は自分に言い聞かせるように繰り返した。
老主任の顔には微笑が戻っていたが、目は暗くきびしく光っていた。この老文人も一緒だったのではないか、とも思いかけたが、それは尋ねるべきことではなかった。弱々しそうにさえ見えた西冷印社の人たちが、どこでどのようにして、鉄パイプをあるいは自動小銃さえ手にしていたに違いない翁とその手下たちの手から、膨大な四庫全書を守り抜いたのかも、尋ねる気がしなかった。
この古都に、この夜の底のどこかに、世界の無限を記した無限の文字がいまも生き続けていることに、畏怖の念を覚えてわれを忘れた。
取材チームの新聞記者としては、メモ帳を取り出して改めて幾つもの事実を尋ねるべきだったのだろうが、いま老文人が「革命委員会外事辧※[#底本では「辧」の「刀」に代えて「力」、第3水準1-92-50]公室主任」として語ったのではないように、私も取材記者として聞いたのではなかった。混沌の、自然そのものの不可測の暗い力のうねりに惹かれながらも、形ある何かを書き描き続けるという人間の行為に幾らかなりとかかわりと責任をもつ人間のひとりとして、私は聞いてきたのだったし、老文人もそのような私を信じて話してくれたのだと思った。
事実によって世界が成り立っているのではなく、世界を支えるのは理念なのだと考えた。私たちは湖岸の夜に、世界という理念について了解し合ったのだった。言葉が文字が文章が書物がその総体が、世界なのだということを。
和やかに宴を終えて、自室に戻った私は窓を思いきり開いて長い間、推測も想像さえも超えるふしぎな古都の夜の深みを眺めていた。その深みでは、世界を創る力と壊す力と守る力とが絡み合って、激しくひそかに時代を超えて息づき続けているようだった。そしてベッドに入っても眠れぬ昂りのままに思った——不可測の自然の暗い力と言葉との尽きることのない戦いが、人間の歴史なのだ、と。