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聖岩 Holy Rock22

时间: 2020-02-21    进入日语论坛
核心提示:火星の青い花 どちらから書き始めようか。青い花から、それとも火星の黄色い荒地から? どちらからでも多分同じことのはずだ。
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火星の青い花

 どちらから書き始めようか。青い花から、それとも火星の黄色い荒地から? どちらからでも多分同じことのはずだ。
 三年近く前、私は悪性の病気の手術で、一か月大きな病院に入院した。その間友人知人たちが見舞いにきてくれた。花を持って来た人たちが多い。艶やかな深紅のバラや大きな籠いっぱいの高価なランの花束など。
私がいたのは六階の個室で東側の一方が広いガラス窓になっている。べッドは明るい窓の方に頭がくるように置かれている。窓は出窓風になっていて、花ビンが置けるほどの広さの平たい部分がある。持ってきてくれた花は、入院病棟に大小さまざまな形がそろっている適当な大きさの花ビンに入れて、そこに並べた。
不安がちな気分のため、初めは華やかな深紅のバラ数本を一番よく見える位置に置く。
(眠りにつくまでは、ベッドの上で頭と足の位置を逆にしている。そうでないと窓外の眺めも花も眺められないから)
ところが検査が続いて手術の日が近づくにつれて、バラの花が気分を圧迫し始めた。上質のビロードのドレスを思わせる真紅のバラは、妖艶な女ざかりの女、気が強くて肉体的自己主張の強い女、派手好きで情感たっぷりにいかにもおしつけがましく女らしい女、世に言う”|宿命の女《ファム・ファタル》”の濃密なにおいを帯びて感じられ出したのである。
もちろんこちらの神経も弱まってきたせいだろうが、日ましにその感触、その連想が耐え難くなる。人並にはそのタイプの女性にこれまで魅せられてきたこともあったけれど、ついに自分からベッドをおりて、バラの花ビンを床におろしてベッドの上からは見えないようにした。
代ってこれまで部屋の隅の方に形だけ花ビンにさしておいた|竜胆《りんどう》の青い花が何となく興味を引いた。青色の花というのはきわめて少ないが、とくにその竜胆の花は|桔梗《ききょう》の花のように紫っぽく淡い水色とちがって濃い青色だ。前の晩に雨と風が荒れて思いきりスモッグを吹き払った朝などまれに東京でも空がそのように純粋に青くなることがある。中学生のころ余りに鮮やかなその青さに魅入られて、理科教室の棚から放課後、盗み出した硫酸銅とそっくりの、一種この世のものならぬ青である。
手術前日、終日窓のその青い花を眺めてすごした。開腹するとすでに体内各部にガン細胞が転移している可能性もあった。その不安な精神状態を、濃すぎる青い花は静かに吸いとってくれるようだった。ある意味では極端に身体的になっている私の意識を、そっと別の次元に切りかえてくれるようでもあった。
そうして翌朝、全身麻酔による手術のあと集中治療室での一晩をすごしてから、次の日の昼過ぎ移動ベッドで自室に戻ったとき、まだもうろうとしている私の眼を最初に捉えたのが、窓際の青い花だった。室内の他の物体も私自身の身体の感覚も絶えまなくゆらめいている状態の中で、竜胆の花だけがしんと静まり返っていたのである。
深紅のバラが”宿命の女”だったとすれば、青い花はいったい私にとって何の象徴だったのだろう。それは少なくとも性を越えた何か、集中治療室で深夜に目ざめるまで十数時間の完全な暗黒状態のあとにも、私が意識をもっていることの信じ難いしるしのようであった。世界がありそして私がそれを意識できるというほとんど神秘的な事態。
個室に戻ってからも三日間ほどは、数時間おきに注射してくれるモルヒネ系鎮痛剤の副作用で、間断ない幻覚、幻聴に苦しめられたが、その合間にふっと意識が冴えて戻るとき、青い花はつねに変ることなく私の最も身近にあった。
(手術前のようにべッドに逆向きに寝られないので、体の位置を変えなくても目に入るべッド横の床の上に、竜胆の花ビンを置いてもらっていた)
その三日間のはげしい幻覚と幻聴に驚き怯えながらも、私がそれらをほとんど明確に幻覚、幻聴と意識していたのは、多分その透きとおる深すぎる青さの平静さのせいだったろう。
青という色がこれほど私にとって貴重な色だったとは(グリーンではなくあくまでブルーの青だ)。そしてこんなに濃く鮮やかな青い花がこの地上にあったとは。
生命力などというあいまいなものではなく、それははっきりと意識の色、そして宇宙的な色だ。
 さて火星のことだ。
それは三年前のことではなく、ようやく回復し始めたこの数箇月来のことである。
(回復といっても、まだ転移予防の免疫強化剤を一日おきに注射しに病院に通っているので、身体的にはもちろん精神的にも本当は回復とは言えない)
実は私は昔から砂漠か好きだった。実際に砂漠で暮すのが好きという意味ではなく、映画や写真で見る砂漠の風景に憧れに近い親しみをもってきただけだが、手術の少し前に、ある雑誌から「世界じゅうでどこでも好きなところに出かけてエッセイを書きませんか」という申し出があったとき、直ちに「砂漠」と答えるくらいには本気だったのである。
アフリカのサハラやナミブ砂漠は遠すぎるので、中国奥地のタクラマカン砂漠を私は希望した。そして雑誌社の若い編集者とふたりで、北京とウルムチ(新疆ウイグル自治区)を経由し、小型飛行機で天山山脈を越えて、崑崙山脈のふもとにあるオアシスの町ホータンまで行った。
普通、世界地図にdesertと書かれているところは、必ずしもわれわれが考える砂丘の果てしない連なりとしての砂漠ではない。荒れて乾いた地面が露出した不毛の平原——いわば土漠も含んでのことであって、純粋な砂漠はそれほど多くはない。中国語では砂漠のことを沙漠と書くがこれは純粋な砂丘の連なりをさし、石ころがごろごろしている荒地はゴビと言うらしい(漢字でどう書くのか忘れた)。
タクラマカンは本格的な沙漠であった。鳥取砂丘を上まわる大砂丘が、ホータンの町はずれから見渡す限りに連なっていた。春の、しかも一年三日しか降らないという雨の翌日だったせいもあるが、私たちはほとんど狂喜して砂丘を登っては下り、下りてはまた登った。真夏の烈日とか、砂嵐の荒れる時だったら、砂漠は恐ろしい相貌をみせただろうが、この日は大気も澄んで静まり返り、地平線まで続く砂丘を見渡すことができた。
数時間程度私たちは砂漠の中へと歩いたが(その程度ではほんの端をかすめたに過ぎない)、片時も退屈することがなかったのはふしぎである。想像しうる限りの曲面があり、微風とともに刻々に変化する曲線があった。その一種抽象的な形の変化は実に豊かで爽やかであった。私は多年の想像をはるかに越える美しさに十分満足して帰国した。帰国してからも繰り返し砂丘の曲線を思い出して心慰められた。
ところがこの最近のことだ。砂漠は豊かに美しすぎる、と急に思い始めた。なだらかな曲面の連なりの記憶が次第に身近さを失い始めたのである。
代って尖って不規則な岩の破片が一面に散乱する光景が、意識の奥からせり出してきて懐しいと言いたいほどの濃い感情を伴い始めた。それも普通の荒地の風景ではなく、徹底的に荒れて、眼球に突き刺さってくるような眺めだ。
きっかけらしい特別の出来事があったわけではない。むしろ体調も意識の状態も少しずつ確実に安定しかけていたはずである。あるいはそのようなわずかながらも安定化の傾向そのものへの反発が兆し始めたのかもしれない。むしろ三年前の手術前後の危機的な状態の方が、実は私の意識は深層が剥き出しになって活性化していたのではないか、それに比べていま私の知覚は受身に目に見えるものしか見えなくなった。
一日おきに病院に通いながら、退院して一年後ほどまでは、自分が入っていた六階の病室と窓およびその窓から見える別病棟の屋上のあたり——手術直後の夜々にさまざまな異形の幻覚が動きまわり飛び交ったあたりの空間が、陽炎のようにゆらめいて見えていたのに、いつの間にかその空間が閉じて他の空間と同じようにしか見えなくなったのである。いまはもう幾ら夜空に意識を集中しても、異形の影は浮かんでこない。あの幻覚の夜々は耐え難いほど恐ろしかったのに、人間とは勝手なものだ。
なだらかに曲線的な砂漠ではなく、意識に突き刺してくるように徹底的に荒涼たる風景——それがちょうどタクラマカン砂漠に行った頃にレーザーディスクで見た火星の風景だったごとも、はっきりと思い出した。アメリカがあいついで送り出した火星探査機「バイキング」1、2号が無事火星に着地して地球に送信してきた初めての本ものの火星表面の写真である。そのレーザーディスクもほとんど徹夜して興奮して見たのだが、当時の私には地球の砂漠の魅力をおしのけるほどには印象強くなかったらしい。
レーザーディスクは太陽系惑星探査機「ボイジャー」撮影の分と二枚、銀座までわざわざ買い求めに行ったのだが、レーザーデッキまで買う余裕がなくて友人から一時借りたデッキを使った。つまりいまこれを書きながら改めてディスクを見直すことはできないのだが、五年近くたつだろうか、その映像の記憶は意識の奥に強く残り続けていたのである。その記憶の映像が、砂漠の記憶の奥から浮き出してきた。
だが単にレーザーディスクの記憶が偶然に甦ったということではない。五年前以上になまなましくいま私の意識には見えるのだ。実際にこの目で眺めたタクラマカン砂漠以上の異様な現実感をもって、その黄色い土砂、褐色の尖った岩片の群、淡くピンク色の空が。
「バイキング」が着地したその地点に、私が立っているような気さえする。いや私は立っている。荒涼とした黄褐色の風景を、思い出すのでも想像するのでもなくて、しばしばありありと知覚する。
なだらかな地球の砂丘の細やかな砂粒の流れがつくる微妙な曲面よりも、岩の破片だらけの鉱物的風景の荒々しさを、より親しいと感ずるものが私の内部で育ち始めている。
火星には二酸化炭索の薄い大気がある。平均して秒速二メートル余の風が吹いている。太陽から遠いので寒いが、地球にほぼ等しい一日のうち日中は零下三十度ぐらい。零下三十度なら冬のシベリアの最寒地帯より暖いくらいだ。
微風は砂にゆるやかな起伏を生むが、岩の破片の角を風化させるほど強くはない。散乱する尖った岩の破片が、きわめて火星的な風景である。そして風景全体の黄色の色調。空は青くない。水分は地下や岩石中には存在し、極地方では広い氷の層をつくるが、地表を流れる水はない。
アメリカとロシアは火星に人間を送りこむ計画をもっている。経済状態の悪化は当初の予定をかなり遅らせるだろうが、時期的な多少の遅れはそれほど問題ではない。二十年後だろうと百年後だろうと。それは技術的、経済的な偶然の問題である。必然的なのは専門家ではない私のような人間も、意識の深層でその世界を、その風景を見始めているということだ。天国でも地獄でもないひとつの惑星の風景を。
われわれが深くしかもある程度持続的に思念し想像して具体的なイメージを描けることは、遅かれ早かれ現実となるのだ。物質的事実を全く無視するわけにはゆかない。だがわれわれにとってこの現実、この世界、この宇宙をつくり出すのは、われわれ自身の意識である。意識が知覚を生み、知覚が現実をつくる。
オリンパス山とすでに名づけられている、太陽系中最大の火山の頂が、黄色い地平線の一部に見える。高さ実に二万六千メートル。
月面の映像は多数見ているが、大気の全くない月面の風景にはほとんど色がない。強烈な直射日光と濃い影の世界だ。それに比べて火星には色があるのがうれしい。
この私が生きて火星を訪れることはないであろう。だが急速に私は、この私という個的実体の感覚が薄れ始めている。この肉体が死んでも霊が残って転生するというような迷妄を信じるからではない。
私と基本的に同じ脳の構造と脳神経細胞の回路をそなえた人間は、同じ条件下で私と同じように知覚し思考し行動するだろうと考えるからだ。単性生殖でない限り正確に同じ遺伝子配列、精密に同じ脳構造ということはありえない道理だが、遠からず百億人に達する男女の遺伝子の組み合わせは、いずれどこかでこの私にほぼ近い脳神経細胞の回路を偶然に実現するだろう。それは私ではないだろうか。この私だって年齢によって、日々の気圧の変化によってさえ厳密には同じ意識状態ではない。
火星の黄色い風景に強くひかれる人間、その荒々しさに言い難い魅惑を覚える人間は、基本的に私だ、と私は考え始めている。
 そんなことを茫々と、異常になまなましく考えて、火星に立っているこの私ではない私のことを強く想像していた夜明け近く(最近では再び夜更けまで起きていることができるようになった)、やっと机から離れて立ち上がったとき、本棚の段の一番端にあって普通は目につかない一冊の本を、意識の深みの目が捉えた。それはドイツ浪漫派の詩人ノヴァーリスの小説『青い花』の翻訳だった。その背文字を目にした途端、私は三年前の病室の竜胆の花を鮮やかに思い出した。しばらく全く忘れていたのに。
ノヴァーリスの『青い花』は私の愛読書というほどの作品ではない。とくに強い影響を受けた覚えもない。ところがもう二十年以上も前に読んだはずの青い花のイメージが、私の意識の奥に、身体的な記憶の領域にひっそりと生き続け育ち続け花開き続けていたのである(病室でノヴァーリスのことを連想したことはない)。
その青い花のイメージが、現に眼前に眺めていたような火星の風景と、ごく自然に重なり合った。火星の荒地の中に一輪の青い花が咲いているではないか。
それは竜胆の花とは違っていた。ハイビスカスの花に似た比較的大柄の花弁が開いた青い花だった。そんな大柄な青色の花を見たことはない。竜胆の花は茎に沿って小さく並んで密生していて、ひとつひとつの花は区別し難い。
だがノヴァーリスの主人公が夢の中で見た青い花のように、その花は優しい女性の顔に変貌するようなことはなかった。ノヴァーリスの花は淡い青色だったと思うが、火星の花は竜胆そっくりに濃かった。人間的な何者かの象徴ではなかった。それが象徴的だとすれば、その濃すぎる青さはまさに宇宙的なものの象徴だ。
何者かに変容することもなく、ただ岩の破片の蔭に黄色の乾ききった砂地から咲き出した一輪の花。その青さは宇宙の深い静寂と謎の無限(人によっては神秘というかもしれない)を凝縮したひとつの物体として、ひっそりとそこにあった。強いて言えば、宇宙がその神秘的な青から広がったように思えた。空間も時間もそこから生まれた。
ノヴァーリスのほこりだらけの書物を手にしたまま、私は狭い書斎の真中に立っていた。ひとつだけの窓の外では夜が明ける前の闇が最も濃かった。私は遠からず(何百年も先のことではない)火星の黄色い地面に立つだろう。そして必ず青い花に出会うだろう、という想像が自然な確信になっていった。この花に出会うために火星まで来たのだ、と。
それはかつてない喜びだった。想像ではない。身体的な喜びだった。この身体を断崖の端から連れ戻してくれた医師たちに感謝した。竜胆の花を贈ってくれた友人に感謝した。完全には回復したとは言えないこの身体があと精々数年しかもたないとしても、恐ろしがることもさびしがることもないのだと思った。自分でも意外なほど冷静に。
この私ではない私がいつか必ず火星で青い花の前に立つだろう。その私がどんな顔の私かということは、そのとき私がどんな色の宇宙服を着ているかと同じことに過ぎない。その「いつか」が何十年後であろうと百年後であろうと、問題ではないのと同じことである。
 ようやく本を本棚に戻して二階の寝室に上がってベッドに入った。もう十何年来、軽い神経安定剤を睡眠薬がわりに服用しているのだが、この夜(もう朝だ)は敢えて人工的に意識を安定させる気がしなかった。乱れて澄んだ意識をそのままに続けていたかった。
予想通り神経は安定しなかった。想像なのか知覚なのか夢なのか不明な、あるいはそのすべてがまじり合い溶け合った状態が長々と続いた。カーテンを閉じた寝室の薄闇に横たわったまま、ゆるやかにはげしい意識の浮遊状態が続いた。
病室の竜胆の記憶が、偶然ノヴァーリスに誘われた青い花が、火星の黄色い風景の中で繰り返し花開いた。
この狂おしく透明な興奮状態を味うために、この私はこのやりきれない人生を六十年も生きてきたのだな、と思った。
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