「人間関係を持続する」というテーマを編集者から与えられた時、
「冗談ではありませんよ。わたしのほうで聞きたいことですよ」
とわたしは答えた。まったくの話、わたしは人間関係について語る資格はない。
結婚十六年(昭和五十年現在)、幸いにしてわたしと三浦は円満である。二人の間に危機のあったことはないし、自分たちとしても、仲のいい夫婦だと思っている。
しかしこれは、三浦という男性とたまたま結婚したからであって、わたしの努力によるものではない。彼は熱心なキリスト者であって、むろん浮気をしたこともなければ、ギャンブルもしない。日曜日には教会に行き、毎日聖書を読み、祈りをし、わたしにはいつもやさしい。そして適度にきびしい。わたしからいうと、文句のつけようのないよい夫なのである。この三浦と結婚し、うまく行っているからといって、それは当然の結果であって、わたしの手柄ではさらさらない。
姑《しゆうとめ》は三浦の兄と同居している。わたしは月に一、二度姑を訪ねるだけである。母はほとんど毎週、わたしたちと同じ教会に来ていて、時間の都合のつく時は、教会の帰りに共に食事をする。別段トラブルが起こる原因もない。これも姑が信仰に立って生きている人だからで、もしわからず屋の人であれば、わがままなわたしはけんかをしていたかも知れない。
と、考えてくると、わたしはいつも周囲に良い人が与えられて、楽々と平和な関係を保つことができたといえる。友だちにしてもそうだし、仕事関係についてもそうである。
しかし、これでは人間関係を持続するという主題を押し進めようがないから、わたしなりに日頃考えていることを、少し述べてみたいと思う。