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孤独のとなり10

时间: 2020-02-21    进入日语论坛
核心提示:幸福な家族幸福な家族とは何か。わたしたちは、ものわかりのよさそうな夫と、にこやかに微笑する妻が、愛らしい幼な子の手をひい
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幸福な家族

幸福な家族とは何か。
わたしたちは、ものわかりのよさそうな夫と、にこやかに微笑する妻が、愛らしい幼な子の手をひいて、歩いている姿を見て、
「ああ、幸せそうだ」
と思うことだろう。人はそのような受け取り方をする。
わたしの知人に、毎朝、大きな犬を散歩させる仲のよさそうな夫婦がいた。御主人はいかにも実直で、優しそうに見え、奥さんはいとも聡明《そうめい》に見えた。センスのよいブラウスとワイシャツのペアスタイルが、一層二人を幸せそうに見せた。
が、ある日、その御主人は家を出た。いわゆる蒸発なのである。一見幸せそうに見えたあの二人に、既にそのような不幸の種が蒔《ま》かれ、芽生えていたのであろうか。どのようにして、あの二人に不幸な種が蒔かれたのであろう。
「幸せそうに見える」ということと「幸せである」ということは別なのであろうか。わたしは考えこまざるを得なかった。が、その奥さんは言った。
「わたしは幸せだったのよ。彼がいなくなるまで。彼もいつも幸せだといっていたのよ」
それなのに、御主人には既に若い愛人がい、その若い愛人と共に逃げたのだった。
また、わたしはこんな例も知っている。その親子は仲がよかった。夫婦とも頭がよく、息子と娘も成績がよかった。特にその息子は、小、中、高とトップクラスで、夫婦の自慢の種だった。四人はよく語り合い、且つよく笑った。誰《だれ》の目にも、幸せな家族だった。そして恐らく、彼ら自身も自分たちを幸せな家族だと自認していたにちがいない。
が、ある夏の朝だった。いくら経《た》っても起きてこない息子の部屋に、母親が起こしに行った。
「あまり朝寝坊をすると目がとけて流れるわよ」
ドアを開けながら、そういった母親は、凝然と立ちすくんだ。ゆうべ遅くまで自分たちと話していた息子が、首を吊《つ》って死んでいたのである。
わたしは、この話を聞いた時の言いようもない衝撃を忘れることができない。あれ以上に幸せな家族はないと思われた家庭に、突如おそったこの事件を何と考えてよいのだろうか。
このあと、わたしは「甘い生活」という外国映画を見た。その中でも、これに似た事件が描かれていた。美しい妻と、愛らしい子供のいる幸せそうな友人の家に招かれた主人公は、その幸福を羨《うらや》んで帰る。ところが、その後間もなく、その幸福そうな友人がピストル自殺をしたと知るのである。
「幸福な家族」と言い得る存在は、この世にいないのではないか。それ以来、わたしはこう思うようになった。わたしと三浦も、多分この世では仲のよい方に属する夫婦であろう。二人で日曜毎に教会に行き、共に聖書を読み、共に祈る。朝から晩迄、同じ部屋にいて、飽きることも飽きられることもない。自分たちは幸せだと思ってくらしている。確かに「幸福な家族」であるかも知れない。
しかし、わたしは、それでもなお自分たちは「幸福な家族である」と胸を張って言い得るかどうかと懸念《けねん》する。
「少なくとも今は幸福です」
とは言い得ても、
「明日も明後日も、いついつ迄も幸福です」
とは言えないような気がする。
人間というものは、そのような危険性や、問題性をたぶんにはらみつつ日々生きているのではないだろうか。
前記の犬をつれた仲のよい夫婦も、夫が他の女と逃げてはじめて、その内面にあった問題が外に出たのである。その日まで、その妻は幸せだった。夫は他の女を愛しながら、苦しんでいたのかも知れない。もちろんその苦しみをつゆ程も知らなかった妻に責任があるとは言えない。しかし、まさしく、夫は早くからサタンのとりことなっていた事だけは事実なのだ。いつ、わたしたちの夫が、妻が、こんな形で離れて行かないと断言できるだろう。
息子や娘にしてもそうである。喜びの源であった息子や娘が、いつ悲しみの種となるかはかり知れないのだ。ある日突如として、盗みをするか、横領をするか、交通事故で死ぬか、どこの誰とも知らぬ男の子を産むか、わからないのだ。
人間は変わりやすく、弱く、愚かで、堕《お》ち易い面を持っている。だからわたしたちが、もし、自分の家族や周囲に起こる出来事にふり廻されて生きる限り、
「あの子のことが解決しなければ」
「夫が、もとの夫に返らぬ限りは」
という風に、なかなか幸福にはなり得ないのである。いつも[#「いつも」に傍点]、いつ迄も幸福な家族[#「いつ迄も幸福な家族」に傍点]というのはあり得ない。わたしたち人間は自分たちが、常に危機にさらされ易い一人一人であることを知って、謙遜《けんそん》に神に頼まなければならないのではないだろうか。そして、家族に問題が起きるたびに、振りまわされる生き方ではなく、主の前に、静かに頼む、神と直結した生き方を与えられなければならないのではないか。くり返すがわたしは今は幸せである。しかし、
「今日は幸せだ。しかし明日はわからない」
という謙遜さが、必要ではないかと、わたしはわたしに言い聞かせている。そして、決して変わることなき神の愛をこそ、信じてゆかねばならぬと思っている。
一見、不幸そうな人々もまた、
「今日は不幸だ。しかし明日は幸せになるかも知れない」
という望みを以て、不幸な事情の好転に望みを置きつつ、神のみが変わり給うことなき愛の力であることを、堅く信じていってはいかがであろう。
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