どう生きるか
この間、高校生数名と食事をした。
「三無主義って言われていたけど、今は四無主義なんです。無気力、無責任、無関心、無感動の四無ね」
一人が言った。わたしはたずねた。
「まあ、どうしてそんなになったのかしら」
「多分、行く先が決まってるからでしょう」
他の一人が答えた。つまり、自分の進学した高校で、大体行くべき道が決まる。そして将来の社会的地位もわかるということであるらしかった。
わたしと話し合っていた学生たちの中には、幸い四無主義に陥っている人はいないようであった。が、もしこれが、若い人たち一般の視点だとしたら、大変暗い問題だと思った。おそらく来年あたりは、これに無軌道か無道徳が加わって五無主義となり、その翌年は六無主義になって行くのではないか。わたしはそう思って暗然とした。
現代の若い人たちは、中学に入るや否や、教師から親から、どの高校に進学せよとか、するなとか、介入(指導のつもりかも知れないが)されて混乱する。そして、塾だ、補習だと試験勉強に追い立てられる。高校時代も同じだ。どの大学に行くか、何の仕事につくか、これが彼らの悩みの種になる。時には友だちを敵のようにして競《せ》り合う。どうにか希望の大学に入り、進むべき自分の将来がわかっても「ま、大したことがない」と虚《むな》しくなる。
大宅歩は、「学生運動は虚無のあらわれであり、大人たちはそれを知らない」といって死んだ。確かに、そうした声の出てくる状況に、いまの若い人たちはおかれているのであろう。
なんにせよ、むなしいということは悲しいことだ。そこには喜びも希望もない。わたしもかつて、深い虚無に陥ったことがあった。それは、敗戦によって、自分の信じていたものが根底から覆されたからであった。それまで、若い情熱を注いで打ちこんできたことが、全く誤りであったと知らされたからであった。
あの希望のない暗い日々を思い出すと、四無主義に陥っている若い人たちの話は、とても他人事とは思われない。
ところで、わたしは思うのだが、わたしの陥った虚無と、行く先が決まったために陥った現代の虚無とは、どこかが少しちがうような気がするのだ。わたしが悩んだのは、
「どのように生きたらいいのか」であって、
「何になるか」ということではなかった。
「どのように生きるべきか」と、
「何になるか」は悩みの次元がちがう。
人間は、「何になるか」を考える前に、まず「どのように生きるべきか」を考えるべきではないだろうか。生きるということは、そういうことだと、私は思う。
だが、親も教師も、子供の学力は問題にし、将来性を問題にするが、生き方のほうはあまり問題にしない。
「お前は数学ができるからあの会社がいい」「お前は国語ができないから、その職にはなれない」などと言って、生き方についての指導は軽視されているかに見える。
少なくとも、人間たる者は、医者になるとか、政治家になるという目標よりも、どんな生き方の医者になりたいか、どんな生き方の政治家になりたいかを問題にすべきではないのだろうか。もし、そのように親や教師と話し合っていれば、
「どうせ課長どまりだ」とか、
「未来はどっちみち灰色」などという、絶望的な生き方にはならないのではないだろうか。
わたしの友人は、先日教会で言っていた。「ぼくが税務署にいた時、皆が次々と第一組合から、第二組合に変わって行った。遂にはぼく一人が残った。これでは到底出世は望めない。が、節は曲げたくない。その自分を支えてくれたのは妻である。妻はぼくに偉くならなくても、首を切られても、節を曲げるよりはいいでしょう、と励ましてくれた。おかげで節を曲げずにすんだ」
これが、人間としての真の生き方だとわたしは思う。
「何になるか」はパンの問題である(使命の問題であることもあるが)。
「どう生きたいか。どんな人間になりたいか」は魂の問題である。それは人間の尊厳の問題であり、真の意味の自由の問題である。むろん、パンの問題も大事だが、人間それだけで生きるものではない。
とにかくお互いが「何になりたいか」よりも先に「どう生きたいか、どんな人間になりたいか」を問題にするなら、大人も若い人も、共に、もっともっとちがった人生が展開するのではないだろうか。
伊藤整氏であったか、
「たとえ、信仰は持っても持たなくても、青年は教会に行くべきだ」と書いておられたと記憶する。氏はきっと、教会という、人生について深くまじめに話し合いのできる場が、特に青年時代に必要だと言いたかったのであろう。