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孤独のとなり12

时间: 2020-02-23    进入日语论坛
核心提示:生き残るということ青森|埠頭《ふとう》に飛びかかるように波がしぶきを上げ、その波におし上げられるように低く飛んでいる二羽
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生き残るということ

青森|埠頭《ふとう》に飛びかかるように波がしぶきを上げ、その波におし上げられるように低く飛んでいる二羽のかもめを、わたしは船室の窓から眺《なが》めていた。
青森の街が次第に遠ざかる。倉庫の立ち並ぶ岸壁に、グリーンの三角の旗が、パタパタと音が聞こえるかと思うほど激しく風にはためき、湾は白く三角に波立っている。
わたしはふと、洞爺《とうや》丸台風のことを思い出した。「氷点」には、洞爺丸遭難の場面が出てくるが、わたしはその取材のため夜の連絡船内甲板に立って、まっくらい巨大な海を見つづけたことがあった。
そして、この海に千何百の人が、一人一人恐怖と絶望の中に沈んで行ったことを思いやらずにはいられなかった。翌朝、わたしは洞爺丸で遭難し、九死に一生を得た人に会って話を聞いた。
その人は某大学の絵の教授だった。羽織、はかまをはいた、体格のよいその教授が、わたしの前に現われた時、わたしは思わずハッとした。教授の姿に、わたしは言いようのない悲しみが漂っているのを感じたからだ。
九死に一生とも言うべき、奇蹟《きせき》的な生還は人を自信に満ちた人間につくり変えるのではないかと、わたしは浅はかにも想像していた。教授は、
「あまり、思い出したくないのです」
とおっしゃった。教授はゼミナールの学生たち何人かと、本州に渡ろうとして洞爺丸に乗り、あの台風に遭い、学生たちが全部死んで、結局ご自分だけが助かったのである。
「貴重な体験だったと人は言いますがね、いくら命が助かったところで、あんな体験はしないほうがよかったのです」
教授は寂しそうに述懐された。
愛する若い学生たちを失った教授の悲しみが、わたしにもよくわかった。その思い出したくない遭難の模様を、冷酷にもわたしは聞き得る限り聞いたのである。画家らしい的確な描写で、氏はその模様をかなり詳しく語って下さった。
函館山の麓《ふもと》にある、山小屋のような喫茶店で語る教授の顔は、孤独だった。生き残るということの辛《つら》さ、生きていることの哀《かな》しさをわたしはこの時ほど身にしみて思ったことはない。
それ以来、わたしは、津軽海峡を渡る毎に教授を思い、洞爺丸事件を偲《しの》ばずにはいられない。
この教授と同様、同行の中で自分一人だけ助かった人々の、その後の人生はいかがであろう。特にあの帯広と札幌の外人宣教師に、救命袋をゆずられて助かった若い人たちは、どんな思いで生きているだろう。たしか、一人はクリスチャンになり、YMCAでよい働きをしていると聞いたが、一人の人の命と引きかえに助かった辛さは、言いようもないものであろう。
わたしは、そんな事を止めどもなく考えながら、ふっと立ち止まるような思いであった。あの大東亜戦争で死んだ人たちのことを思ったのだ。わたしの兄も大尉で死んだ。いわば、わたしは戦争の生き残りなのだ。数知れぬ尊い犠牲の上に、わたしたちの生活は営まれているのだ。
けれども、尊い命と引きかえに与えられた命とは思わず、当然のように顔を上げて生きているのだ。わたしは、深いかげりを持った教授の痛みを、今更のように尊く思い返した。
船は既に海峡に出ていた。見渡す限りの大海原の彼方《かなた》に、弧をえがいた水平線があった。その水平線に、白い船影がぽつりと見えた。わたしはその時、遮《さえぎ》るものの何一つない、見渡す限りの大海原とは言っても、人間の視得《みう》る視界は、せいぜい一〇キロどまりであろうかと、気落ちしたような思いだった。あの船影が肉眼で捉《とら》え得るところ、即ち水平線だということは、水平線が弧をえがいているということと共に、わたしにとって新たな発見だった。
戦いで死んで行った人への思いやりも、船で死んで行った人への嘆きも、決して限りないものではないのだと、わたしは弧をえがく水平線をみつめながら思った。
〈要するに、自分が生きているという事は生き残っているという事なのだ〉
わたしは、そんなことを思いながら、風の激しいデッキを、よろけるように歩いて行った。
船尾の上、低く、かもめが二つ強風にあおられながら、漂うように、いつまでもいつまでもついてきた。
この旅を終えて旭川に帰ると、画家の杉本さんの奥さんが逝《な》くなったという報《しら》せが待っていた。杉本明子さんは、わたしが啓明に勤めていた時、六年生だった。純粋な美しい人だった。わたしはまたしても、生き残っている、と思わずにはいられなかった。
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