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孤独のとなり14

时间: 2020-02-23    进入日语论坛
核心提示:情熱の空費はむなしいわたしは情熱家だとよくいわれたものだ。自分ではさほど情熱的だと自覚したことはないが、今もって、女学校
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情熱の空費はむなしい

わたしは情熱家だとよくいわれたものだ。自分ではさほど情熱的だと自覚したことはないが、今もって、女学校時代の友から「あなたは学年一情熱家だったわ」
といわれる。いわれてみれば、あれもその現われであったかと思うことが幾つかある。
他の土地ではどうか知らないが、わたしの育った旭川《あさひかわ》では、八月の旧盆には盆踊りがある。夕食を終わったころ、あちこちの踊り場から、盆踊りの太鼓の音が聞こえてきたものだ。その音を聞くと、わたしは姉とつれ立って、見に行かずにはいられなかった。踊りが好きなせいもある。が、そればかりでもない。
当時の盆踊りといえば、ぴかぴか光る赤や黄や青の豆電気の点滅する前掛けをしめたり、女装をしたり、ちょんまげ姿をしたり、衣裳《いしよう》にもさまざまな趣向をこらした。そんな中で、ありふれた紺の浴衣《ゆかた》を着た一人の青年がいた。柔和《にゆうわ》な、上品な感じの青年で、踊りに他の男のような粗雑さがなかった。
(踊りの師匠かしら)と思わせる踊りだった。その青年を見たくて、わたしは姉と二人で毎晩見に行ったのだ。多分、盆踊りは十晩ほどつづいたと思う。そんなある夜、わたしのそばにいた赤子を抱いた女性が、その青年を見て、「あら、福田さん」といった。その青年は、赤ちゃんをやさしく抱き、二言、三言、言葉をかわしたが、また踊りの輪の中に入って行った。わたしはそこで、青年が福田という姓であることを知った。いつものように踊りの輪が散る時、わたしは青年が、北のほうに帰って行くのを見た。
盆踊りの季節は終わった。が、わたしはそれから毎日、旭川市の北部を丹念《たんねん》に、一軒一軒福田という家を探して歩いた。別段、あの青年と話をしようとか、つき合おうという気持ちからではない。ただ、あの好ましい青年がどこに住んでいるかを突きとめれば、それでよかったのである。
晴れた日も、雨の日も、風の日もわたしは一軒一軒表札をのぞいて歩いた。福田という家は、それほどたくさんはなかった。あっても、それがかの青年の家かどうか、わかるわけもない。が、その福田という家を何軒も見つけ出し、ある一軒の福田という家を、この家こそあの人の家だと決めてしまった。それは、石狩川の堤防下にある、ひっそりとした二階建ての家だった。わたしはその家を彼の家だと決め、それを確かめるため、実に毎日のようにそのあたりをうろうろしたのである。そして、ある日曜の午後、わたしは遂に、その家からかの青年が出てきたのを確かめたのである。その時の喜びは、何にたとえようもなかった。深い満足感であった。広い市内の中から、福田という家を何軒も探し出し、その一軒をここだと狙《ねら》い定めたのだ。それが、あまりにも見事に的中したのだ。
その家を確かめたあとは、わたしは二度とそのあたりをうろつくことはなかった。確かめることだけが、わたしの目的だったのだから。
今、この女学校時代の自分の姿を思う時、なるほど、わたしは大変な情熱家だったとも思う。が、何とその情熱を、むだなことに注いだものか、とも思う。
わたしのこの行動は、青春時代、誰《だれ》もが一度は通る、無意味な行動ではないだろうか。情熱は尊い。ひたすらな姿は美しい。唯《ただ》一つの目的に対して、何の計算も打算もなく、まっしぐらであることはすばらしい。
しかし、わたしたちは往々にして、その尊いエネルギーを、何に注ぐべきかを知らずに動きまわることがある。情熱が空転することがある。
ある人は、学生運動に、ある人は、恋することに、ある人は学ぶことに、ある人は怠けることに、ある人は虚無的になることに、そしてある人は、死に対してさえ情熱的になることがあるのだ。それは、時にはあまりにも痛ましい青春の姿だと、わたしは思う。
自分の生きる目的がわかっていると、このひたすらな情熱が、何に注がれるべきかを知ることができるのだ。情熱が生かされるには、正しい目的がわかるということが先決になる。でなければ、殺人や復讐《ふくしゆう》にさえ情熱を抱くことができるのだ。
とにかく、あなたがたの情熱を、わたしが福田という家を探しまわったような、愚かなことに費やしていただきたくないと、切にねがうのである。わたしたちの人生は、二度とくり返すことのできない尊いものだからである。
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