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孤独のとなり17

时间: 2020-02-23    进入日语论坛
核心提示:学歴は問題ではない人それぞれの道[#「人それぞれの道」はゴシック体]  高校生の多くは、当然のように進学を話題にする。い
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学歴は問題ではない

人それぞれの道[#「人それぞれの道」はゴシック体] 
 高校生の多くは、当然のように進学を話題にする。いまはそういう時代なのであろう。誰《だれ》もが大学に行く。そんな中にあって、家庭の事情で大学に行けない人たちは、どんな思いでその友人たちの話を聞くことだろう。
そして春四月、友人は大学に、自分は実社会へと巣立って行く。その時、どんな思いが、実社会へ進む人たちの胸を占めることであろう。
もし大学を出ないということでコンプレックスを持っているとしたら、無理もないとは思いながらも、私はやはりその人たちに問いたいのだ。いや、その人たちだけではない、進学した人たちにも問いたいのだ。
「何のために大学へ行くのか」と。
本当の話、大学に勉強のために行く人は、そう多くはないと思う。
「大学を出た」
と、いいたいために大学を出る人が、実は多いのではないか。学歴偏重の社会では、大学を出たか否かということで、残念ながらその後の人生街道に、大きな差異をもたらすこともあるからだ。
私の育った時代は、男子でも大学に行く人はそう多くはなかった。女子では学年から只《ただ》の一人も進学する者はなかった。薬専とか、和洋裁の専門学校に進んだ人は、二、三いた。そうした時代ではあったが、私も確かに進学の願いを持っていた。出来ることなら、私は高等師範学校に進みたかった。その時、私の親しい友人は、札幌の「専攻科」と呼ぶ教員養成所に進学した。二年間学ぶと、正教員の免許を取ることができたのである。
その入学の報《し》らせを聞いた時、私は炭礦《たんこう》街の小学校教師として赴任する話が決まっていた。私はその時彼女にいった。
「あなたは上の学校で、頑張《がんば》って勉強してね。わたしはあなたが学校で勉強している間に、実地で教師業を勉強するから」
今思い出しても、あの時のさわやかな気持ちは吾ながら心地がよい。私は、人それぞれに自分に与えられた道があると思っている。この世には、大学へ行く人も、行かない人もあっていい。行く実力がありながら、家庭の事情で行けなければ、それもいい。単純にそう思う。というのは、私は大学だけが学ぶ所だとは、思っていないからである。
私は、自分の人生が即《すなわ》ち、自分の学校だと思っている。が、ある青年がいった。
「そんなこといってもねえ。大学を出なけりゃ、出世ができないんですよ。どんなに実力があってもねえ」
出世って、一体なんだろう。課長になり、部長になり、重役になることが、それほど私たちの人生に重要なのだろうか。大学を出たとしても、みんなが部長になり、社長になるわけではない。マンモス大学が幾つもできて、年々何十万の人が大学を出るのに、その人たちが皆、部長になったり、社長になったりするわけがないのではないか。大学を出ても、いわゆる出世コースから外《はず》れる人がいくらでもある。
それよりも、快く働くことのできる仕事を探したほうが、いいのではないか。洋裁の好きな人は、職業訓練所で技術を身につければいいし、美容の好きな人は、勤めながらでもその資格を取ることができる筈《はず》だ。
私は女学校しか出なかった。女学校というのは、小学六年を卒業し、そのあと四年学ぶだけだから、今の中学三年を卒業した人たちより、一年間多く学んだに過ぎない。だが私は、独学で教師の免許状を取ったし、師範学校出の教師より、それほど劣った教師だったとは思っていない。傲慢《ごうまん》ないい方のようだが、生徒の実力が、それを物語ってくれた。
私が女学校を卒業する時、藤界雄《ふじくにお》という歴史の先生がこういわれた。
「学校を卒業したということは、どういうことか。それは独学できるということである」
私はこの言葉を忘れない。実に名言である。高校を出れば、十分独学できるのである。
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