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孤独のとなり20

时间: 2020-02-23    进入日语论坛
核心提示:一人の生き方の大切さ小学校の教師を勤めていた頃、私は毎日二キロ半の道をテクテクと歩いて通ったものだ。が、近頃は、毎日の通
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一人の生き方の大切さ

小学校の教師を勤めていた頃、私は毎日二キロ半の道をテクテクと歩いて通ったものだ。が、近頃は、毎日の通勤に、二キロ半の道を歩いて通うという人は、ほとんどない。バスか、ハイヤーか、マイカーか、とにかく車を利用する。
考えてみるまでもなく、私たちの毎日の生活は、乗り物に乗ることをぬきにしては成り立たないといってもよいほどだ。この乗り物に、気持ちよく乗るか乗らぬかで、その日一日が左右されることさえある。
今朝のバスの運転手は不親切だったとか、ハイヤーの運転手は、ろくに返事をしなかったという話は、しばしば耳にするところであり、新聞の投書欄にもよく見かけるとおりである。私自身もそんな不愉快な目に幾度か遭ってきた。
だが、私は大変幸いな経験を持っている。あれはもう、八、九年も前のこと、ある週刊誌に「裁きの家」という小説を書くために、札幌に出かけた時だった。
流しのタクシーを拾った私と三浦は、石狩河口に車を向けた。車が目的地に着いた時、私は恐る恐る、
「あのう、このあたりを少しノート取りたいんですが、待っていただけますか?」
といった。それまでの経験によると、
「そんなことなら、すぐ降りて下さい」
と、剣もほろろの答えが返ってくる。待たせることで損はさせないからと頼むのだが、諒承《りようしよう》してもらえない。で、その時も恐る恐るいったのが、
「どうぞどうぞ、ごゆっくり」
という意外な返事であった。安心して、三浦と私は、砂丘を歩いて行った。砂丘には、子供の小さなサンダルや、ジュースの空《あ》き缶《かん》や流木などが散乱していて、それがまた、いかにも石狩の河口らしいされざれとした光景であった。死人の顔色にも似た青い小さな蟹《かに》が渚《なぎさ》をのろのろと這《は》っている様子も、私たちには珍しかった。それらを一つ一つノートに記録しながら、
「運転手さん待っているわね」
と、私はうしろをふり向いた。いくらいい返事はしても、いらいらと待っているにちがいない様子を想像しながら、ふり返って私は驚いた。私たちのすぐ近くに、運転手さんもまた楽しそうにぶらぶらと歩いていたのである。
その時の私たち二人のうれしさといったらなかった。ほっと心が解放される思いであった。そのことを運転手さんにいうと、
「いやあ、お客さんにはお客さんの、いろいろな目的がおありですからね。その目的を達してくだされば、私たちもお役に立ったというものです。たまには私も、こうした景色を眺《なが》めることができて、ありがたいです」
私たちに気を遣わせまいとする、実に見事な挨拶《あいさつ》であった。
その時以来、私たちは札幌に出るたびに、この運転手佐々木幸一さんを指名することにした。佐々木さんの不在の時は、他の運転手さんが廻されてきたが、社風なのか、スズランハイヤーの運転手さんたちは、どの人もみな、親切であった。
というわけで、佐々木さんとは洞爺《とうや》まで、苫小牧《とまこまい》まで、小樽《おたる》までと、長距離によくご一緒してもらった。
ある時、江別のキリスト村に行ってみたいと私は洩《も》らしたことがある。そこは、賀川豊彦と、札幌のニシムラビルの先代、西村久蔵氏が拓《ひら》かれたキリスト者たちの村であった。西村氏に信仰の指導を受けた私は、ぜひ一度、氏の拓かれたその村を自分の目で見たかったのである。
それからしばらく経《た》って、私たちは札幌に出て、キリスト村を訪ねることになった。とその時、佐々木さんはいった。
「キリスト村にお出《い》でになりたいと伺っていたので、公休の日に、下検分に行って来ましたよ」
私たちは、この言葉に、一段と大きな感動を覚えた。わざわざ札幌から、江別の郊外まで、大事な公休の日を利用して、佐々木さんは私の尋ねたかった家を二軒、既に突きとめておいてくれたのである。私たちが感謝すると、
「いや、ぼくもキリスト村を知らなかったものですから。札幌に住んでいて、近郊に知らない所があるのは、不勉強だと思いまして」
と、さりげない語調でいわれるのだった。こうして、スズランハイヤーを知ってからというもの、札幌に出ることも楽しくなった。また佐々木さんも旭川を通る時、立ちよって下さるようになった。帯広の近くの新得《しんとく》のそばなどを土産《みやげ》に持って来て下さったり、今はもう、客と運転手という間より、友情の通った間柄になっている。一人の人間のあり方というものは、実に大きなものである。
現代は、親子兄弟の間でさえ、利害打算に毒されて、歪《ゆが》んだ関係になっていることが多いと聞く。だが、その生き方によっては、見も知らぬ行きずりの人間同士が、親しい友人と変わり得ることも可能なのだ。佐々木さんを思うたびに、私はそう思うのである。
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