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孤独のとなり21

时间: 2020-02-23    进入日语论坛
核心提示:泣く者と共に泣く人六年間勤めてくれた秘書が、この六月に辞めた。彼女の主人が釧路に転勤したためである。彼女は純粋な信仰を持
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泣く者と共に泣く人

六年間勤めてくれた秘書が、この六月に辞めた。彼女の主人が釧路に転勤したためである。彼女は純粋な信仰を持った良い秘書だった。さてその後任は決まったが、秋からでなければ来ることのできない事情にある。では、その間をどうしたらよいか、臨時の人を頼むより仕方がない。
そう思った時、私はすぐに山田米子さんに電話をかけた。山田米子さんの娘さんに来てもらえないかと思ったのだ。私はその娘さんを知らない。が、山田さんの娘ならまちがいがないと思ったのである。
この山田さんとは誰《だれ》か。恐らくこの人の名を記したところで、知っているのは彼女に出会った人たちだけであろう。彼女は私の母の入院の時、附き添いをしてくださった方である。
私の母の生涯《しようがい》には、いろいろな苦労もあったが、幸せもあった。この山田さんに附き添ってもらったことは、母の最後の幸せであったと、私は思っている。
病人を看護《みと》るということは、大変なことだ。私は療養中に、重病人や、臥《ね》たっきりの病人が、家族にさえ飽きられ、その死を待たれている事実を幾度も見た。
ある療友は、ある朝突如自殺をした。家族が経済的負担を常に愚痴っていたからである。また、他にもちょっと書いたことだが、私はある療養所に入っていた頃のことを思い出す。看護婦が二人、安静時間中に、トイレの傍《そば》で話し合っていたのを偶然聞いたのだ。二人はこんなことを言っていた。
「○○さん、早くステッちゃえばいいのに……」
「ステッちゃえば」とは、ドイツ語と日本語のチャンポンで、「死んでしまえば」ということである。この言葉を聞いた時の衝撃を私はいまだに忘れることができない。その○○さんは危篤状態が長くつづいていた。そのために、看護婦たちは疲れていたのかも知れない。しかし、それが病人を看護する者の言葉であることに、私は驚いたのである。
また、私は多くの附き添いさんを見た。親切な附き添いさんもいたが、実に邪慳《じやけん》な人もいた。直接病人の便の始末や食事の世話をする日々の中で、附き添いさんたちはやはり疲労が重なり、病む者への同情を失い勝ちになっていたのであろう。
わが子、わが親、わがきょうだいの看病にさえ、人はいつしか倦《う》んでくる。それはどうしようもない人間の弱さなのだ。私がそうした同情を持つまでには七、八年もの療養生活が必要であった。そうならざるを得ない人間の体力気力の限界を私は肯定し、万一自分が危篤になっても、家人を病床に呼んではもらうまいとさえ、心に定めたものである。
ところが、今年私の母についてくれた山田さんの場合はちがっていた。山田さんが附添婦としてついてくれて幾日もしないうちに、母は意識不明におちいった。そんなある日、私の秘書が母を見舞いに行った。秘書が部屋に入ったことを、山田さんは知ってはいなかった。山田さんのほかに、親族の誰彼《だれかれ》が必ず附き添っていたが、その時は母の傍には山田さんだけがいた。山田さんはその時母の顔を抱いて、こう言っていたという。
「おばあちゃん、今日はもう帰りますからね。また明日来るまで、頑張《がんば》っていてくださいね」
頬《ほお》ずりせんばかりに顔を寄せて、語りかけるその姿に、私の秘書は深く心打たれたと言った。この秘書は、看護婦の仕事を十年経験している。そして、たくさんの附添婦を見てきているのだが、
「山田さんほどの、真心をこめて看病をなさる方は滅多にいませんね」
とも言っていた。
やがて母が死に、山田さんは葬式に出てくれた。そして母のために泣いてくれた。以前からの知り合いでもないのに、葬式に出て下さり涙さえ流して下さったのである。
山田さんのご主人は、教師だった。が、二人の娘さんと山田さんを残して、三年程前に亡くなられた。そのご主人の看病の中で、病人の附添婦になることを山田さんは決意なさったという。重病人のつらさ、その家族のつらさに、山田さんは深い同情を覚えたのである。だから、ボランテヤ精神で、彼女は病人に対していたのであった。
しっかりとした仕事をする人は、確かに少なくはない。しかし、意識のない病人の顔を抱いて、やさしく言葉をかけるような人は、万人に一人もいるだろうか。
この山田さんの娘さんに、臨時の秘書を私はおねがいしたのである。先に妹さんのほうが来、その後にお姉さんが来た。二人共、私の期待以上の娘さんであった。稀《まれ》に見る素直な、そしてやさしい娘さんであった。
「親をみて娘をもらえ」
という言葉があるが、私は必ずしもこの言葉を信用してはいない。が、この山田さん母子に限り、実にぴたりの諺《ことわざ》だと私は思う。
それはさておき、山田さんの生き方は、聖書の言葉、「泣く者と共に泣け」を地で行く生き方であると私は教えられるのである。
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