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孤独のとなり27

时间: 2020-02-23    进入日语论坛
核心提示:ヨナタン君の祈りわたしはこの間、小腸をこわして三十八度の熱を出した。熱は三日間つづき、腹膜炎《ふくまくえん》のように腹部
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ヨナタン君の祈り

わたしはこの間、小腸をこわして三十八度の熱を出した。熱は三日間つづき、腹膜炎《ふくまくえん》のように腹部がふくれた。二日断食をし、やがて粥食《かゆしよく》となり、普通食にもどったのは、一週間目である。
その間、わたしは臥《ね》ていたわけだが、同じ町内にいる母が心配しているので、一週間目に母の家に行った。母の家の隣には教会があって、オーストラリヤから来た宣教師がいられる。
教会の前に宣教師の息子さんのヨナタン君が遊んでいた。四歳のヨナタン君は、わたしを見ると、人形のような愛らしい顔をパッと輝かせ、大声をあげて自分の家にかけこんで行った。
わたしは何ともいえない感動を覚えた。というのは、ヨナタン君は、わたしたち夫婦のために毎日お祈りをしてくれているのだ。彼はまだ日本語がよくわからない。
だから、多分英語でわたしたちのために祈ってくれているのだろう。わたしが腸をこわしている間は、その回復を祈ってくれていたのだろう。
「神さま、どうぞ、三浦のおばさんのおなかをなおしてあげてください」
という祈りを、英語でささげながら、そのふっくらとした小さな手を合わせて、真剣に祈ってくれていたにちがいない。だから、わたしが外出できるようになった姿を見て、彼はパッと顔を輝かせ、すぐに母親に、
「三浦のおばさん、元気になったよ」
と告げに行ったのであろう。
わたしはヨナタン君に、
「ミスター・ヨナタン、お祈りありがとう。おかげですっかり元気になったのよ」
とお礼をいった。彼は恥ずかしそうに、しかし、何ともいえないうれしそうな顔をした。
人のために祈る、これほどすばらしいことがあるだろうか。わたしは、これこそ人間教育の根本であり、第一の躾《しつけ》だと、つくづく思った。
わたしたちは、幼い時からいろいろと躾けられてきた。また、わが子にも躾をする。
「おはよう」「おやすみなさい」「行ってまいります」「ただいま」「いただきます」などと、挨拶《あいさつ》も教える。
だが、人のために祈るという躾をしている親がどれほどあるだろう。親きょうだい、親戚《しんせき》、知人、友人の幸福のために、幼い時から祈ることを教えるという躾ほど、すばらしい躾はない。
夜ねる前、朝起きた時、人の幸福のために祈ることを憶《おぼ》えた幼い魂と、それを知らずに育った魂には、おそらく大きな差があるにちがいない。
幼子に祈りを教えるためには、親もまた敬虔《けいけん》に祈ることを知らねばならない。親が人の幸せのために祈る姿ほど、幼子を思いやりある人間に育てることはないであろう。
近所のおばさんであるわたしの病気のために祈っていたからこそ、ヨナタン君は、わたしの元気になった姿がうれしかったのだ。ほんとうに祈っていてこそ、心からの挨拶もできるというものだ。祈っていてこそ、
「よかったよかった、元気になって」
と、共に喜ぶことができるのだ。ここにはおざなりがない。不真実がない。「教育の根本」を熟語で「宗教」というと、花園大学の学長の山田無文先生がいわれたが、ヨナタン君を見て、わたしはほんとうだと改めて思ったことだった。
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