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孤独のとなり31

时间: 2020-02-23    进入日语论坛
核心提示:置きみやげ先日、札幌《さつぽろ》から旭川《あさひかわ》へ帰る車中のことであった。三人づれの男が通路を隔てた向こうの席に坐
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置きみやげ

先日、札幌《さつぽろ》から旭川《あさひかわ》へ帰る車中のことであった。三人づれの男が通路を隔てた向こうの席に坐《すわ》っていた。三人のうち四十代の男二人は公務員ふうであり、白髪の紳士は、商社マンのようであった。四十代の男たちは、
「ああ、そうですか。それは困りましたな」
というようなものの言い方をし、紳士は、
「さようでございます。私どもにはどうも、そこのところが、わからないんでございますよ」
と、ていねいな言葉を遣っている。私は何となく、その紳士を、同情をもって眺《なが》めた。上品な顔立ちであった。
そのうちに、私は何か白い粉が私の膝《ひざ》のほうに飛んで来るのに気づいた。何かと思って横を見ると、件《くだん》の紳士は坐席のひじかけにひじを立て、指に挟《はさ》んだタバコを、通路三分の一くらいまで、突き出しているのである。そしてその灰が通路に落ち、それが時折、私の膝のほうまで吹かれてくるというわけであった。通路だから、むろん人が通る。が、彼は気づかず、その火のついたタバコを突き出していた。私の、彼に対する同情は、この時消えた。そして、反射的に思い出したのは、建部直文氏のことであった。
建部直文氏は数年前、北海道新聞旭川支社長をしておられた方で、現在は札幌本社の編集局長をしておられる。私の小説「泥流地帯」が、北海道新聞に載るようになったのは、氏のご好意によるものであった。氏は論説委員として、卓越した識見をもって鋭い社説を数多く書かれた方だが、いつお会いしても、何とも言えないあたたかさを感じさせる方である。
この建部氏の後に来られた伊藤支社長から、私は次のような話を聞いた。
伊藤氏が移って来たのは社宅である。つまり、建部氏の後に入られたわけである。まだ雪の深い三月、旭川は寒い。火の気がなければ、我慢ができない。何よりも先にストーブをつけなければと思っていたところ、建部氏は私物のストーブを、つけたままにして置いてあった。むろん、煙突のついたファンつきの石油ストーブである。そればかりか、外の石油タンクには石油が半分も残されていた。
建部氏が残して行ってくれたのは、そればかりではなかった。米と、そしてすぐに使える野菜とが、きちんと台所に置かれ、洗面器や、その日ただちに風呂に入ることのできるように、石鹸《せつけん》や風呂道具までも用意されてあった。
恐らく建部氏夫妻は、幾度も転勤した体験を通して、移転して来た当日、何が必要かをよく承知しておられたのであろう。そしてその必要な物を、後任者のために配慮して、こまごまと置いて行かれたのであろう。
伊藤支社長が電話で礼を言うと、
「いやあ、古くなったストーブですから、捨てて来たんですよ」
と答えられたそうだ。が、伊藤支社長の話によると、そのストーブはまだまだ使える高価なものであったという。そして、石油タンクに石油を半分残したのも、深い配慮から出たにちがいないという。つまり、満タンにしては、かえって恐縮させるという心づかいであったらしいと、いうのである。
「何せ、引越しというのは、大変なことですからねえ。助かりましたよ。とにかく偉い人ですよ、建部さんは」
つくづくと伊藤氏は感謝しておられた。
建部氏の後任者に対するこの配慮は、多分この時に始まったことではないと私は思う。氏はそれ以前にも、転勤のたびに、後から来る人のために配慮されたにちがいない。それは単に、住居におけることだけではなく、直接の仕事の上において、実に行き届いた配慮をなさってきたにちがいないと想像される。
いつか私は、何人かの主婦たちと、子供に何を残すかという話し合いをしたことがあった。家と土地だけはという人もあり、学歴だけは身につけさせたいという人もあった。子供のない私はその時言った。
「親が子に残すのは、やはりその生き方ではないか」と。思えば生意気な言葉であった。
考えてみると、自分がどんな生き方をしているか、自分では意外とわからぬものだ。言葉のていねいな、一見紳士ふうの人でさえ、汽車の通路にタバコを突き出し、床を白くするほど灰をこぼしていた。ましてこの私のような者が、世を去る時何を置きみやげにできるだろう。建部氏のような、配慮の行き届いたものでないことだけは、確かである。
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