三浦とわたしの共著「太陽はいつも雲の上に」の中に、わたしは田村さんのことを書いた。
「呑舟《どんしゆう》の魚は支流に棲《す》まず」という言葉について感想をのべ、北海道の片|田舎《いなか》に育った少年田村武が、日本の労働者のリーダーの一人になったことにふれた。全くの話、舟を呑《の》むほどの大きな魚は、支流には棲めないと、わたしは田村さんを見る度に思うのだ。
田村武さんは三浦と少年時代からの友人で、年も一つしかちがわない。職場も同じだった。その田村さんの少年時代の思い出を語るたびに三浦はしばしば次のことを言う。
「若い時から、実にバランスの取れた男でね。何度もいうことだが、彼の将棋を見ていて忘れられないことがある。横で見ていたわたしは、彼が考えているのを見て、なぜ激しく敵陣を攻めないのかと口を出した。それに答えて彼はいった。いや、ここでは一発自陣を守っておくところではないか、とね。彼のその言葉がねえ、未《いま》だに忘れられないんだ」
このことは、三浦はよほど感服したらしく、結婚以来十六年の間に、幾度聞かされたかわからない。若い頃というのは、いや、人間というのは、相手を責めるのに急なものだ。つまり自己主張が強い。自分自身を顧みない。ところが田村さんは、いつも自分の足元をしっかりと見る人間だったそうだ。
そして、実によく人の言葉に耳を傾ける少年だったそうだ。人の言葉に耳を傾けるということは、簡単なようで、実は仲々できないことだ。人間耳が二つで口が一つ。だから、「聞くことを多くし、語ることを少なくせよ」といわれるが、大抵はこの反対だ。
田村さんが、反対の立場にある人にも、説得力のある人間として尊敬されるのは、この少年時代からの、人の言葉に耳を傾け、常に己れを顧み、徒《いたず》らに自己主張をしないところにあるのではないか。いよいよもって彼は大いなる魚になるだろうが、いつまでも北海道にいてほしいと、わたしたち夫婦は願っている。