今年の夏は暑かった。二年分の夏だと人々は言ったが、わたしは三年分の夏のような気がした。その暑い最中、七月二十日から私たち夫婦は取材のために、愛知《あいち》県の知多《ちた》半島に出かけた。出入り十日間の旅だった。
湯気のまつわるような知多半島の暑さは凄《すご》かった。同行は松田穣画伯と、「週刊朝日」の編集者で、都合四人の旅であった。
毎日私たちは食事を共にしたわけだが、その席で、ある日小学校時代の教科書の話が出た。松田画伯と私たちの習った教科書が同じだったから、
「キグチコヘイは死んでも口からラッパを離しませんでした」
という修身の話や、「ハナハト、マメマス」などの話も出た。そしてその中で、三保《みほ》の松原の天女の話も出た。三浦は、漁師が天女に羽衣を返したことが、何とも残念で仕方がなかったと、少年の日の感想を話した。私は、漁師が、
「ああ恥ずかしいことを申しました」
と言う言葉が、心に残っていると言った。確か漁師は、天女から羽衣を返してほしいと言われて、
「天人の舞いを舞ってくれたら返す」
と言ったはずである。天女は羽衣がなければ舞えぬと言う。漁師は、羽衣を返せば、舞わずに帰って行くだろうと疑う。すると天女は言ったのだ。
「天人はうそを申しません」と。
それに対して、漁師は、
「ああ恥ずかしいことを申しました」
と、答えるのである。私は子供心に、この言葉に、はっと胸を突かれたのだ。
(そうか、恥ずかしいとはこういうことなのか)
私はそこではじめて、人間にとって恥ずかしいとは、こういうことなのだと知った。私はそれまで、多分、恥ずかしいということは、人の前で話をすることだとか、先生に問われて答えられないことだとか、思っていたような気がする。
ところで、人は一体、何を恥ずかしいと思って生きているのだろう。少なくとも、うそをつくことを恥ずかしいと思って生きている人間は、万人に一人もいないのではないか。
「記憶にありません」
というロッキード事件の言葉をここで思い出すが、そんな人たちよりも、自分自身、いかに日々うそを言って生きていることか。夫は妻に、妻は夫に、親は子供に、子供は親に、また教師に、絶えずうそを言っているのではないか。そしてそれを決して恥ずかしいことだと反省することがない。うそを言った意識すらもない。それが吾々人間の実態ではないだろうか。
それでいて、妙なところに恥ずかしさを感ずる。たとえば、流行遅れの服を着ているとか、他人の持っている物より自分の物が劣っているとか、金がないとか、自分の人格とは関わりのないことに恥ずかしさを感じている。
小学校時代、よく弁当を手で隠して食べていた友だちが何人かいた。髪の毛が弁当につくほどに頭を下げ、片手で弁当を囲いながら食べている子は、大抵麦飯を弁当に持ってくる子であった。私も麦飯の弁当だったが、
(盗んできたのではない)
と、隠したことはなかった。
ここで私は、太宰治《だざいおさむ》の言葉を思い出す。太宰治は、
「恥ずかしいこと、それは尊敬されることだ」
と、何かに書いていた。この言葉は私にとって大きな感動を与えた。実に衝撃的な言葉であった。尊敬されることほど、誇らしく思うことはないのではないか。あの人は偉い。出来物《できぶつ》だ。頭がよい。すばらしい能力だ。人格者だ。清廉潔白だ。正直な人だ。親切な人だ。男らしい、等々、尊敬の言葉を得たさに、人々はどれほど努力していることか。
ところが太宰治は、尊敬されることは恥ずかしいことだと言い切ったのである。こう言った太宰治の胸に神があった。彼は言っている。
「自分のすべてを、何もかも見通す方がいられるのに、尊敬されるなんて、そんな恥ずかしいことがあるのか」
言葉は正確ではないが、このような意味のことを彼は言った。何とすばらしい言葉であろう。
私たちが人間として恥じなければならないのは、実はこの太宰治のように、自分自身のことではないだろうか。にもかかわらず、私たちはともすれば、自分自身ではなく、自分の持物を恥ずることが多いのではないだろうか。
「お前は何が恥ずかしいのか」
と、立ちどまって自分自身に問うことも、時に必要ではないだろうか。