近頃は共稼《ともかせ》ぎの夫婦が増えて、母親たちも子供と話をする機会がないという。児童心理学者の品川孝子さんは、こうした忙しい親たちに、夜眠る前のひと時、子供と五分でも話をしてくださいとおっしゃる。
幼稚園の頃の子供は、盛んに話を聞きたがる。自分が語るよりも、まだ聞きたい年頃なのではないだろうか。
幼稚園の頃の子供は、盛んに話を聞きたがる。自分が語るよりも、まだ聞きたい年頃なのではないだろうか。
わたしはいま、朝日新聞の夕刊に「積木の箱」という小説を連載している。この中には、心の交流のない親子や、またその反対に、いつも心の通い合っている親子の像も書かれている。
この小説の中の、心の通いあっている親子は、雑貨店を経営する、母一人子一人の、いわゆる母子家庭である。忙しいこの母は、夜眠る前のひと時、小学校一年生の男の子と語りあうことに決めている。その母はその子の名前和夫をとって物語の主人公とし、自分の作った童話を聞かせるのである。現実と童話の世界のまだ見境のつかない和夫は、母の童話の中で語られた和夫が、自分だと錯覚する。それは強い暗示力を持った、ひとつの教育方法である。
和夫は、賢くやさしい母との会話の中で、心の美しい、のびやかな性格が作られていく。童話の中では、子供は素直に、何の抵抗もなく、大事な教訓を身につけていくのではあるまいか。正面切って、あれをしてはいけない、これをしてはいけない、ああしなさい、こうしなさいと言われると、反撥《はんぱつ》する子も、この童話を通じて語りかけられると、案外深い感激をもって共感するのではないだろうか。
この小説の中の、心の通いあっている親子は、雑貨店を経営する、母一人子一人の、いわゆる母子家庭である。忙しいこの母は、夜眠る前のひと時、小学校一年生の男の子と語りあうことに決めている。その母はその子の名前和夫をとって物語の主人公とし、自分の作った童話を聞かせるのである。現実と童話の世界のまだ見境のつかない和夫は、母の童話の中で語られた和夫が、自分だと錯覚する。それは強い暗示力を持った、ひとつの教育方法である。
和夫は、賢くやさしい母との会話の中で、心の美しい、のびやかな性格が作られていく。童話の中では、子供は素直に、何の抵抗もなく、大事な教訓を身につけていくのではあるまいか。正面切って、あれをしてはいけない、これをしてはいけない、ああしなさい、こうしなさいと言われると、反撥《はんぱつ》する子も、この童話を通じて語りかけられると、案外深い感激をもって共感するのではないだろうか。