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孤独のとなり47

时间: 2020-02-24    进入日语论坛
核心提示:母なるもの母が死んで、もうじき四か月が来る。私は母の死後、母のことを人に語る気がしなかった。何かに書く気もしなかった。思
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母なるもの

母が死んで、もうじき四か月が来る。私は母の死後、母のことを人に語る気がしなかった。何かに書く気もしなかった。思い出すのがつらかったからである。
母は平生健康な人であった。私と一緒に旭山の動物園に行き、あの広い園内をすたすたと歩いたものだった。私が、
「ここに坐っていかない?」
と、ベンチに坐りこむと、
「どうして?」
と、母は不思議そうに私を見た。
「だって母さん、疲れたでしょう」
と私がいうと、母は笑って、
「疲れたのは母さんじゃなくて、綾ちゃんでしょ。母さんはこれくらいじゃ疲れませんよ」
と言われて、参った記憶がある。ふだん、団体旅行で日本各地を歩いていた母にとって、動物園を一周するぐらいは、何の造作もないことだったのだ。
その母が、単純と見える病気で入院し、その下痢がとまらぬままに体が衰弱し、やがて不意に血圧が高くなり、意識不明におちいって半月後に死んだ。入院した母も、私たちも、母はすぐに帰ってくるものと思っていた。だから私にとって、全くたまらないのである。
通夜の席で、旭川別院の輪番さんは、
「理性と愛情のバランスの取れた、珍しい女性であった」
と、その説教の中でいってくれた。私はその言葉に、もう七、八年も前の、弟の事故死の時の母を思い浮かべた。弟は、見通しのよい横断歩道を歩いていて、猛スピードの車に撥ねられ、三日目に死んだ。四十五歳の働き盛りであった。まだ中学生と、高校生の、いわばまだ父親を必要とする年代の息子が二人いた。親思いのやさしい弟であった。
その弟が車に撥ねられたのである。あと一歩という所で、弟は撥ねられた。が、即死ではなかった。加害者は、私たち家族や親戚《しんせき》と共に、弟の手術後の状況を案じて、病院の椅子《いす》に夜を明かした。
母は声をしのんで泣いていたが、みんなが食堂に朝食をとりに行くと、ふらふらと立ち上がった。そして加害者に近づいて行った。私は母が何を言いに行くのかと、母の姿をみつめていた。すると母はすぐに、私の傍《そば》に戻《もど》って来た。
「何を言いに行って来たの?」
尋ねる私に、母はひっそりと答えた。
「あなたご飯を食べましたかって、言って来たの」
私は驚いて母を見た。愛するわが子をスピード違反で撥ねた犯人に、ご飯を食べたかと、母は尋ねたのである。いや、尋ねずにはいられなかったのである。
母はもう七十代の半ばを過ぎていた。愛する子を撥ねた犯人が憎くて、武者振《むしやぶ》りついたとしてもいたしかたのない年齢である。驚く私に母は言った。
「轢《ひ》かれた昭夫は、もちろん可哀想だよ。でもね。轢いた人も、もし昭夫が死んだら、賠償金を払わなければならないでしょう。中小企業の人だというから、金繰りがそんなに楽なわけはない。過失は過失だけれど、金繰りのことを思ったりしてまんじりともしなかっただろうと、可哀想でね」
母はしみじみとそう言った。私には、思いもよらぬことであった。一週間前にも、スピード違反で免停になったというその人の、不注意な運転に腹が立ってならなかった。恐らく私の兄弟親族も同じ思いであったろう。母は、そうした私たちの気持ちを知っていた。知っていたからこそ、廊下の片隅《かたすみ》にしょんぼりと坐っている加害者に、言葉をかけずにはいられなかったのであろう。
私はこの時、母にはかなわないと思った。そして、よくぞ言葉をかけてやってくれたと感謝した。
私が今後何年生きるとしても、私は母のような気持ちで、
「あなた、ごはんを食べましたか」
と、加害者に向かって言える人間には、なり得ないであろう。あのような愛と理性は、全く天与のものである。
母はまた、こう言っていたことがあった。
「結婚|披露《ひろう》宴の帰りに、みんなお引き物の風呂敷《ふろしき》包みを持って帰るでしょう。あの姿を見るたびに、どこの人の結婚式かはわからないけど、とにかく幸せであって欲しいって、母さんは思うのよ」
母というのは、わが子のみではなく、いつしか他の人にまで愛を及ぼす存在となるのであろうか。子供のない私は、母のその言葉を聞いて、つくづくとそう思ったことであった。
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