私は小学校四年から女学校を卒業するまで、牛乳配達をして育った。
その日、私は街の菓子屋に牛乳を届けるために、すっかり日の暮れた師走《しわす》の舗道を歩いて行った。ぼたん雪の降る暖かい夕べであった。と、街角に慈善|鍋《なべ》が棒に吊《つ》るされ、傍らに救世軍の人たちが、メガホンで道行く人々に募金を呼びかけていた。
私は立ちどまって、人々が慈善鍋に金を投げ入れる様子を眺《なが》めた。一銭ダラが鍋の底を埋めつくしていて、中には穴あき銭の五銭十銭も何枚か、街灯に光っていた。人々は意外に多く立ちどまり、財布をあけて行く。その様子が小学生の私にはおもしろく、じっと眺めていた。が、そのうちに、自分には投げ入れる一銭の金もないことに気づいて、急に淋《さび》しくなった。私が持っていたのは、一升入りの重い牛乳缶だけであった。
私はその場を離れた。菓子屋に行って牛乳缶を渡すと、職人の一人が「お駄賃《だちん》だよ」といって、大きな袋一杯にケーキの耳を入れてくれた。私はその袋を抱えて店を出た。
少し行くと、三味線を弾きながら、安来節《やすぎぶし》をうたっている、子供づれの盲人が通りにいた。子供の持っている空き缶には、小銭が幾らか投げ入れられてあった。私はちょっとためらったが、袋の中からケーキの耳を鷲《わし》づかみにして、その子にやった。その時その男の子のあかぎれの指が、わたしの手にふれた。
クリスマスが近くなると、なぜか私は、慈善鍋とあの子のあかぎれの指を思い出すのである。