人間五十を過ぎると、こうもぼけるものなのだろうか。実によく物忘れをする。特に人の名前を忘れるのには、自分ながら呆《あき》れる。
昨日も東京からの客が来て、その方に本を贈ろうとサインをしていたのだが、突如その方のお名前を忘れてしまった。何としても思い出せない。つい、今の今まで話し合っていたのに、まるで映画のフィルムが切れたかのように、そのお名前が出てこない。
幸い、傍《そば》で三浦が、
「草冠に官……。英雄の雄……」
などと助け舟を出してくれて、どうやら恥をかかずにすんだ。
こんなことはまあ、度忘れということで、誰《だれ》しも経験するし、許されることでもあろう。
が、何度も会っていながら、いつまで経《た》っても名前と顔が一致しないのは、これはもう無責任というものだ。いろいろ努力もするのだが一向に駄目《だめ》である。
「綾子は、人の目しか見ないからいかんのだ。大体綾子は、人物描写にしても、黒い目だとか、涼しい目だとか、目ばかり書く。人間は、一つ目小僧や三つ目小僧じゃないんだ。もっと顔全体に目を向けて、特徴をつかめ」
三浦からも、再々こんなことをいわれる。考えてみると全くそのとおり、わたしは人の顔を見る時、相手の目以外は見ていない。
だから、別れたとたんに相手のイメージは消えてしまう。目だけで、あの人、この人と覚えていられればいいわけだが、そんなわけにはいかない。
ところが世の中には、わたしのような人間とは反対に、人の顔を覚える天才的人物がいる。
こんなことがあった。十二年前、五十嵐広三さんが旭川市長候補として立った時のことである。たまたま選挙演説に、わたしの住んでいる町内に来られて、所信を話された。話が終わって、司会者から、
「皆さん、どんなことでも意見をいってほしい」
といわれた時、わたしはひと言ふた言自分の思ったことを述べた。
それから何日位たった時のことだろう。多分二、三か月後だったと思うのだが、他の場所で五十嵐さんに会った。五十嵐さんはわたしの顔を見るなりいわれた。
「先日はよいご忠告、ありがたく拝聴しました。お言葉よく覚えております」
わたしはびっくりした。何十人か集まっていた演説会場である。しかも、そうした会場を一日に幾つも廻らねばならない。それが連日である。どこで誰が何をいおうと、一々覚えていられるわけはないのだ。だが、五十嵐さんは覚えていられたのだ。
今のように、小説でも書いていれば、あるいは覚えられるかも知れない。が、あの時わたしは雑貨屋をやっていた。いわば名もなき一主婦であった(今も同じ人間で、別に変わってはいないのだが)。わたしの意見がとりわけよかったわけでもない。むろん美人からは程遠い。わたしは只《ただ》驚くより仕方がなかった。
その後、五十嵐さんと何度か会って、なるほどとわかった。すべてがおざなりでないのである。実に誠実なのだ。
わたしには到底そうした誠実さがない。だから、人様の顔も名前も次々に忘れてしまうのだ。もう少し誠実さがあれば、たとえ五十を過ぎようと七十を過ぎようと、こんなことにはなる筈《はず》がない。省みて恥ずかしい限りである。
と、書いてきて、このこともどこかで書いたのではないかと、ギョッとした。