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孤独のとなり60

时间: 2020-02-24    进入日语论坛
核心提示:雪は秋のさかりにも降る近頃出版した三浦とわたしの合同歌集を繰りながら、北国の秋らしい歌はないかと探してみた。  秋の陽の
(单词翻译:双击或拖选)
雪は秋のさかりにも降る

近頃出版した三浦とわたしの合同歌集を繰りながら、北国の秋らしい歌はないかと探してみた。
  秋の陽の満ちて砂白き浜べなり家々は大根を干し烏賊《いか》を干す 光世
  早目にストーブをつけよと言はれて共に診断を受けて帰り来つ 光世
  萩群るる彼方《かなた》に牛は移り行き夕陽の丘に二人のみなりき 綾子
 と拾ってきて、次の歌にぶつかった。
  雪虫の舞ふ松林出で来れば胡桃林《くるみばやし》の急に明るし 光世
 わたしはこれを見て、
「雪虫の舞う頃だから晩秋の歌ね」
と三浦にいった。三浦は、
「晩秋? それは秋のさかりの歌じゃないか」
とおどろいたようにいう。
「あら、どうして? 雪虫が飛ぶのは晩秋じゃない?」
こちらもおどろく。雪虫というのは、地方によって呼び名がちがうらしく、綿虫と呼ぶところもあるようだ。この乳白色の羽虫が漂うように飛びはじめると、一週間か十日後には必ず初雪が降る。初雪の前ぶれのようなので雪虫と呼ぶのだろうか。それとも雪に似ているので雪虫と呼ぶのだろうか。わたしは小説「氷点」にも雪虫を次のように書いている。
  雪虫が飛ぶようになった。(中略)北国では、雪の降る前になるときまって、乳色の小さな羽虫が飛ぶ。飛ぶというよりも、むしろ漂うような、はかなげな風情があって、人には寒さを迎える前のきびしい構えが、ふっと崩されたような優しい心持になるのであった。もう、少しの暖かさもなくなった晩秋の夕光の中を、啓造は病院の帰りに、街に向ってうつむきながら歩いていた。(中略)
雪虫がひたと吸いよせられるように、啓造の合オーバーについた。うすいかすかな羽が透いて、合オーバーの茶がうつった。啓造は雪虫をソッとつまんだ。しかし雪虫は他愛なくペタペタと死んだ。それは一片の雪が、指に触れてとけるような、あわあわしさであった。
 わたしは、この中にも晩秋と書いている。初雪が近いのだから、晩秋だとわたしは思いこんでいる。ところが三浦はいう。
「雪虫の飛ぶ頃は、こちらの紅葉の真盛りじゃないか。紅葉の盛りは秋の盛りだろう」
わたしの目に、燃えるような紅葉と、燦然《さんぜん》と輝くような黄葉の山野が目に浮かんだ。まさしく、秋爛漫? の姿である。
しかし、とわたしは思う。雪虫が漂う頃のあの朝夕の冷気は晩秋ではないか。しかも雪虫が来れば、すぐに初雪なのだ。
「でもね、初雪が降れば、もう初冬だもの、そうしたら、雪虫の頃は晩秋よ」
「そんな雑駁《ざつぱく》な感覚でものを書かれたら困るんだなあ」
三浦は苦笑する。彼はつまりこういうのである。
紅葉もたけなわの、即ち秋の真盛りの十月十五日頃の夕べに、雪虫が飛ぶ。そして、確かにそれが前ぶれのように幾日かして初雪が降る。初雪が、ある年は真っ白に幾センチかつもり、ある年は、紅葉の上にうっすらと降り、ある年は、地におちて、すぐにとけるほどにちらほらと降る。
しかし、いずれも程なく消えて、再び小春|日和《びより》のあたたかい日が幾日かつづくのだ。初雪と共に紅葉もほとんど散る年もあるが、雪のあと、しばらくなお鮮やかな紅葉が、徐々に徐々に色あせてゆく年もある。
初雪がきたからといって、この北国ではもう冬だと思ってはならない。なおあたたかい秋の日和がつづき、初雪の降ったことも忘れた頃にまた雪が降り、そして解け、十二月に入ってもなお暖かい年だってあるではないかと、こう三浦はいうのである。
言われてみれば、確かにその通りなのだ。北国の秋は、紅葉の真盛りに初雪もちらつく。それは、真夏の日盛りの七月の末に秋桜と呼ばれるコスモスが咲き、ふっと忍びよる秋の気配を感ずるのに似ているのだ。
雪は冬に降るものという固定観念によって、秋の盛りにちらつく初雪に、もう冬かと驚かされるのだ。こうして季節感覚が、わたしのように鈍《なま》るのであろう。
北国の秋は、つまり雪も降る秋なのだ。北国に生まれ、育ち、住んで五十年、ようやくそのことに気づいたのは恥ずかしいことだが、微妙に移ってゆく季節の移り変わりを思うと、雪は冬のものと決めてかかる固定観念に似た過ちが、まだまだわたしたち人間社会の生活にもありはしないかと、ふと立ち止まる思いなのである。
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