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孤独のとなり69

时间: 2020-02-24    进入日语论坛
核心提示:目を天に向け真の気魄《きはく》を育てようこの間テレビで、ロッキード問題の関係者喚問の様子を見た。証人たちは、いずれも大会
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目を天に向け真の気魄《きはく》を育てよう

この間テレビで、ロッキード問題の関係者喚問の様子を見た。
証人たちは、いずれも大会社の社長もしくは重役であった。政界の黒幕といわれる男もいた。が、その証人たちすべての答えはあいまいで、視線は宙を泳いでいた。気魄のある答えをした人は、一人もいなかった。それは一体なぜであろう。
気魄!
広辞林には、それを、精神とか気概とかの意と書かれてある。
「あいつは気魄がない」
「物凄《ものすご》い気魄の男だ」
このように、人々は気魄という言葉を使う。が、それは、精神とか気概というよりも、わたしには、もっと底深い、魂の奥底から発する迫力とでもいいたい気がする。
わたしの知る限りでは、次に述べる聖書の一節ほど、その気魄を的確に示したものはないような気がする。
これはイエスが、弟子のユダに裏切られて、官憲に引き渡される時の記事である。
〈さてユダは、一隊の兵卒と、祭司長やパリサイ人(キリストに批判されたユダヤ教の知識人)の送った下役共を引きつれ、たいまつやあかりや武器をもって、そこへやって来た。しかしイエスは、自分の身に起ころうとすることをことごとく承知しておられ、進み出て彼らにいわれた、「誰《だれ》を捜しているのか」。彼らは「ナザレのイエスを」と答えた。イエスは彼らにいわれた、「わたしがそれである」。イエスを裏切ったユダも、彼らと一緒に立っていた。イエスが彼らに「わたしがそれである」といわれた時、彼らはうしろに引きさがって地に倒れた[#「彼らはうしろに引きさがって地に倒れた」に傍点]〉(ヨハネ十八章)
何という凄いイエスの気魄であろう。自分を十字架につけるために、武器を持ってやって来た兵卒の一隊が、引きさがってうしろに倒れるほどの答えを、イエスはなさったのである。
死刑を目前に、これほどの気魄を誰が示し得ようか。わたしは他にこのような例を知らない。
イエスのこの気魄は、その全く清く、全く正しく、全く真実であるところから出た。そして気魄は、このような義・聖・真実の中に育つのだと、わたしは思う。
単なる強がりや、ライバル意識や、ただ自分を駆り立てるだけの上すべりの生活からは、真の気魄は決して生まれない。清さも、正しさも、真実も求めない所に、どうして気魄が生まれよう。もしわたしたちが、気魄を内に育てたいと思うなら、目を天に向けることだ。より高い所に目を向けることだ。より高いところ、それは、卑劣や、悪意や、汚濁《おだく》や、不真実の住まぬ世界だ。
わたしは、より高いところに、若人の清い瞳《ひとみ》が向けられることを切にねがわずにはいられない。
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