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孤独のとなり73

时间: 2020-02-24    进入日语论坛
核心提示:ありがたい年賀状十二月も二十日を過ぎて、郵便局から問い合わせがあった。年賀状をいつ配達したらよいかというのである。年賀状
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ありがたい年賀状

十二月も二十日を過ぎて、郵便局から問い合わせがあった。年賀状をいつ配達したらよいかというのである。
年賀状は元旦《がんたん》に配達されるべきものとは思っているが、世間の事情が変わっているし、元旦ぐらいは、誰《だれ》でも休みたいにちがいないと思って、年末配達を指定した。
すると、十二月三十日、七百枚程の年賀状が束になって配達された。毎年千枚余り来るから、あとの三百枚はさみだれ式に配達されるのだろう。
私はその厚い束を見ているうちに、一種の感動を覚えた。七百枚の年賀状は、いうまでもなく七百人の人々によって書かれたものである。この年賀状の束には、七百人の生活が関《かか》わっているのだ。一体この年賀状の主たちは、どんな一年を過ごして、こうした年賀状を書いたのか。人はそれぞれ、その人にしかない人生がある。そう思って、私はいい難い感動を覚えたのだ。
さて束の中には、新珠三千代さん、池内淳子さん、大空真弓さんからのものもあったし、家出をして来て、私の家に泊まって行った何人かの青年男女たちから来た年賀状もあった。三十年以上、結核で臥《ふ》している人のもあれば、母国を遠く離れて、日本に骨を埋めようとしている外人宣教師からの立派な日本文の年賀状もあった。
夫に自殺されて、路頭に迷っていた婦人、新婚早々の夫婦、何十年えん罪を叫びつつ獄にある人、事業に失敗して一家離散の憂き目にあった人、一枚一枚、年賀状は実に多種多様の方からのものである。
そして、昨年は幸せそうに年賀状をよこした何人かが、本人が亡くなり、家族が亡くなられて、今年はその名を見ることのできない方もあった。
七百枚の年賀状には、活版刷りもあれば、手製の版画もある。ペン字もあれば、達筆な毛筆もある。家族と共に写した写真が刷りこまれているのもあれば、びっしりと細字で一面に書きこまれたのもある。
そうした中の一枚に、旭川将棋会館理塀久男と、すばらしい書体で書かれた名前があった。葉書の右肩には金泥《きんでい》で鮮やかな草書体で書かれた「寿」という字、そして、銀泥で描かれた高い峰と低い山があり、低い山には松の木立が書き添えられている。秀峰の左の元旦という書も、空に舞うカラスも、見事というほかはない。
この理塀さんという方を、私たち夫婦は深く敬愛している。というのは、実は理塀さんは、生まれて一歳にならぬうちに小児|麻痺《まひ》にかかられ、足が不自由なのである。立つことができないのである。右肩にも麻痺が来ているとか聞いたが、にもかかわらず実に性格の明朗な方だ。いつもニコニコと、明るい笑顔で人に接する理塀さんにお会いすると、私たちはそのたびに、生きる姿勢を正されるような思いがする。
緑橋通りという、いわば街のどまん中に将棋会館を開いていて、三段の腕前である。更に特筆すべきことは、右肩が不自由であるというのに、書道は師範の免状を持っていられるのである。細字は右手で書くが、大字は右肩が悪いので、左手で書くそうだ。その左手で書いた横額が、旭川将棋会館に飾られている。
将棋の好きな三浦が、二年余り前から、時折り理塀さんの所にお邪魔するようになったが、その額をはじめて見て来た時の驚きようといったらなかった。三浦は多趣味で、書道もいささかたしなむものだから、そのうまさがよくわかったのだろう。「何ともいえないいい字だよ。綾子、一度見に行ってごらん」と言った。
以来三浦は、しばしば理塀さんの書をほめ、人柄をほめる。理塀さんは、書と共に絵もなさるのだろう。水墨画も部屋にかかげていられる。
私は、理塀さんが心をこめて書かれた年賀状を眺《なが》めながら、一つの芸術を見るような厳粛な思いがした。一字を学ぶのに、その一字を何百回となく書いたものだとおっしゃっていたのも思い出される。その根気強い練習があって、理塀さんは師範の免許を取られたわけだが、それを思いこれを思ってこの一枚の年賀状を眺めると、言葉にはいい尽くし難い思いが、私の胸に湧《わ》くのである。
どの年賀状もありがたい。だが「ありがたい」という言葉を文字どおり感じさせるのは、この年賀状であった。「あることが難い」とは、これなのだと私は自分自身にいいきかせて、三浦と共に、理塀さんの年賀状をくり返し眺めたのである。
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