返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

孤独のとなり74

时间: 2020-02-24    进入日语论坛
核心提示:家事寸感わが家の家事を受け持っていた、三浦の姪《めい》の隆子がこの五月に結婚した。わたしが雑貨屋をしはじめた当時から、今
(单词翻译:双击或拖选)
家事寸感

わが家の家事を受け持っていた、三浦の姪《めい》の隆子がこの五月に結婚した。わたしが雑貨屋をしはじめた当時から、今日に至るまで十一年半、彼女はわが家のハウスキーパーであった。
わたしは掃除も洗濯《せんたく》も炊事も彼女に任せっ放しで、雑貨屋の経営に当たり、のちには小説に専心した。
彼女のあと、自薦他薦の後任者はあったが、今のところわたしはすべてを断わっている。幸い秘書が女で、炊事ぐらい手伝いますよと言ってくれているし、わたし自身も、たまには台所に立ってみたいからである。
ずい分久しぶりに、庭木や芝生に水をやったり、炊事をしたり、掃除、洗濯などをやってみた。家事は一応の段取りさえしておけば、とにかく事が片づいていく。小説のように、一日中書いてはみたが、全部はじめからやり直しということはまずない。働いただけのことが目に見える。
掃除をすれば、散らかった部屋がきちんと整頓《せいとん》され、洗濯をすれば、汚れ物がきれいになる。料理をすれば、とにかく口に入る物が食卓に並ぶ。それは少々下手でも、拙《まず》くてもとにかく全く一日の労働が無駄《むだ》になるということはない。
わたしはそのことを改めて認識した。そして、もし、働きというものが、すべてこのように、よい結果をもたらすものだとしたら、どんなによいことだろうとしみじみ思った。が、世に一日中、足を棒にして歩いても、一つもまとまった仕事にならなかったセールスマンや、半年の労働が気候不順に災いされて無駄になる農家などの例があるのである。その他の仕事にも、これに似た嘆きは多いにちがいない。わたしたち主婦は、家事と、夫の仕事の、そうした本質的なちがいにも、理解と思いやりが必要ではないかと、今更のようにわたしは気づいたのである。
もう一つ、家事にたずさわりながら気づいたことがあった。家庭の主婦はたしかに忙しい。やろうと思えば際限なくやることがある。にもかかわらず、考えようによっては、実にたっぷりと自分の時間を持っている。
というと、冗談じゃない、自分の時間など持てはしないという人があるかも知れない。たしかに、ゆっくり本を読んだり、遊びに出かけたりという時間を持てないほど多忙な人はいるかも知れない。
しかし、少なくとも、ものを思う時間は、職業人よりもゆっくり持てるような気がする。ミシンをかけながら、電気掃除機をつかいながら、または野菜をきざみながら、子供のことを考えたり、夫の言葉を思い出したり、自分の娘時代のことを考えたり、というように、ものを思う時間は多いのではないだろうか。
職場にあっては、妻や子のことを思い出すひまもないほど、次々と仕事に追い回される夫族とは、だいぶちがった、心の風景がそこにはあるとわたしは思う。
性格によっては「ながら」仕事をできない人もあろうが、わたしには家事の時間は、手は確実に仕事を処理しつつ、心の中は何を思ってもよいたっぷりの時間が持てて、実にぜいたくな豊かな時間に思われてならない。
少し意識すれば、家事をしながら、俳句や短歌もつくれるし、哲学的な思索にも耽《ふけ》ることができようし、読書の感想を反すうできるし、意外と自分の時間はあるではないかと思った。以上二つ、再び家事にたずさわりはじめたわたしの感想だが、いかがなものであろうか。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%