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孤独のとなり75

时间: 2020-02-24    进入日语论坛
核心提示:料理上手になるにはわたしはどう見ても悪妻である。理由はいろいろあって、いちいち数えられない。恐らく、自分の気づかぬ理由も
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料理上手になるには

わたしはどう見ても悪妻である。理由はいろいろあって、いちいち数えられない。恐らく、自分の気づかぬ理由もたくさんあるにちがいない。
わたしは魚の料理が下手だ。鮭《さけ》を割いて切り身にしたり、その切り身を焼いたりするという、そんな簡単なことさえ満足にできない。それで魚の扱いを三浦によく頼む。三浦はどこで覚えたのか、器用に庖丁を使って鮭を切り分けたり、焼いたりしてくれる。特に魚の焼き方が上手だ。過日、秘書からシシャモをみやげにもらった。たまたま札幌から来た兄に、このシシャモを焼いて馳走《ちそう》した。いうまでもなく、焼いたのは三浦である。
「うん、これはうまい。実にうまく焼けている。家では、いつもカチカチに焼いたのを食わされるんで……」
兄は大層ご満悦のていであった。好みによっては、黒くこげるほどに焼くのが好きな方もいるだろう。が、それはともかく、魚の焼き方一つでもむずかしいものだ。三浦のを見ていると、魚に火が平均に当たるように配慮するらしい。肉のうすいところは黒こげ、厚いところは火が通らぬ、ということのないように心を配る。申し訳ないが、わたしは三浦の焼いた魚が一番うまい。
「漁師の人たちが、命がけで獲ってきてくれた魚だからな」
ある時三浦はそう言った。わたしは、はっとした。これだと思った。ふだんわたしは、三浦の舌が肥えているとか、食通だとか思っていた。が、そうではないのだ。魚一匹にも、これがどんなに多くの人の苦労があって、食膳に供されるかを、実感していたのだ。
「主婦は、一度にたくさんのことをするからね。焼くことばかりに気を遣ってもいられないさ」
と慰めてくれたこともあったが、問題は忙しいかどうかではない。命がけで取ってきてくれたものを、あだやおろそかに扱わないという、この感謝の思いが大事なのだ。この心構えで料理をするなら、魚のみならず、米でも芋でももっと美味《おい》しく料理できるにちがいない。わたしは、今頃になってしきりにそう思っている。
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