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孤独のとなり82

时间: 2020-02-24    进入日语论坛
核心提示:あとがき私はよく物忘れをする。事柄を忘れるだけでなく、自分の持ち物をどこへでも置き忘れて歩く。叱られたことも忘れる。金を
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あとがき

私はよく物忘れをする。事柄を忘れるだけでなく、自分の持ち物をどこへでも置き忘れて歩く。叱られたことも忘れる。金を貸したことも忘れれば、自分自身が怒ったことも忘れる。こんな私を、三浦は、
「綾子は実に楽天的な性分だ。綾子といるとほっとする」
と、ほめてくれる。
が、これが私の天性であるのか、どうか。過去を顧みると、そうとばかりも思えないのだ。
私の自伝小説「石ころのうた」や「道ありき」にもあるとおり、私にも暗い日々があった。敗戦のショックがもたらした虚無的な生活、つづいての十三年にわたる長い療養生活、その間における恋人の死など、私にも暗い孤独な日々はあったのである。
私は若い頃、孤独という言葉が好きだった。だが本当に孤独を味わった時、孤独は好きなどと言えるものではないことを知った。孤独は単に淋しいなどというものではない。もっと深い、沈潜したものだ。誰にも理解されず、また理解されることを望みもせず、只じっと自分の心の中をのぞきこんでいる。人をも神をも、自ら拒絶した姿、それこそが真の孤独の姿なのだ。まわりにはたくさんの友がいる。肉親もいる。
しかし、自分の心の底の、この誰にも訴えようのない孤独は、どうしようもないものなのだ。
「雑沓の中の孤独」
という言葉がある。まわりにいくら人がいても孤独を癒すことはできない。私はこうした孤独の生活を何年か持った。だが幸い、遂に私はその孤独の淵から立ち上がることができた。立ち上がらせてくれたのは、私の場合、イエス・キリストの父なる神であった。
自分が孤独だと思っていた時、実はすぐそのとなりに神がいたのである。私は只、目をかたくなにつぶって、となりにいる神の存在を知らなかっただけなのだ。
神を信ずるようになって以来、私は明らかに変わった。外目にはどう映ったかわからないが、私の心の、癒え難かった孤独の病いは遂に癒えた。そして何年か経った後には、楽天家といわれるような、のんきな人間に変わってしまった。信仰を得て以来、私はほとんど孤独に悩まされることはなくなったのだ。
それは、真の神と対することを知ったからだ。祈ることを知ったからだ。自分のすべてを知っていてくださる神の視線を感ずるからだ。私はもはや、一人ではないのだ。
私がこの拙ない随筆集に、「孤独のとなり」と題したのは、つまり、
「孤独のとなりに神がいる」
という、誰かに聞いた言葉を、人々に伝えたかったからだ。今、この世には、孤独に悩み苦しんでいる人がどんなに多いことか。私は深い痛みをもって、その人々を思うのである。
むろん、私のこの随筆集は、多くの新聞や雑誌に掲載したものを集録したわけだから、そのすべてが、この題にふさわしいわけではない。だが、この随筆集を「孤独のとなり」と題したことで、全篇を通じて私の心の底に流れるものを感じていただけたら幸いである。
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