一
良参寺の境内《けいだい》に、大きな楠《くす》の木が緑の葉を色濃く繁《しげ》らせている。その下に、十坪ほどの寺子屋《てらこや》が建っている。子供たちは神妙な顔をして筆を持ち、手習いの最中だ。当山の大和尚《おおおしよう》、魯覚玄道禅師《ろかくげんどうぜんじ》が、一人一人の手習いをうしろから手を添えて直してやる。
今日は久吉も音吉も、珍しく寺子屋に来ていた。音吉は父の看病と母への手伝いで忙しかったし、久吉も父について漁に出かけることが多く、月に二、三度も寺子屋に出席できない。
音吉はまじめな顔をして、「い、ろ、は、に、ほ」と書いていく。父の武右衛門が、
「音、船乗りになるんなら、字を覚えて置かねばならん。読み書きのできんもんは、船頭にはなれんでのう」
と、よく言う。船頭は日誌もつけなければならない。荷主や役人と、文書もかわさなければならない。
(どうせ船に乗るんなら、いつかは船頭にならにゃあ)
と、音吉も思っている。一心に字を習っているその音吉のうしろに来て、
「音、うまいぞ、なかなかいい字じゃ」
と、和尚《おしよう》が頭をなでてくれた。音吉の小さな髷《まげ》に和尚の太い指が当たった。すぐ前にいた久吉が、くるりとふり返って音吉を見、ニヤリと笑った。
「ほめられたな、音吉」
久吉の鼻の先に墨がついている。久吉と並んでいる琴もふり返ってうなずいて見せた。女は琴と、松乃という、庄屋の娘の二人だけだ。女には、裁縫、活《い》け花などを教える寺子屋があったが、琴と松乃はどうしたわけか読み書きが好きだった。琴は仮名ばかりか、漢字もかなり覚えている。
「ようし、今日はみんな、おとなしくよく勉強したで、少し話をしてやろう」
和尚が正面の台に腰をおろした。
「このお寺は、何というおっさまをまつっとるか、その一人でも知っとるかな」
血色のよい和尚の口が、ぱくぱくと大きくひらく。久吉はその口の形ばかりをみつめている。ぱらぱらと手が上がった。
「お琴、答えて見い」
お琴はぱっと赤くなったが、元気よく答えた。
「はい。空海《くうかい》さまです」
途端に久吉が、
「ちがう! 弘法大師《こうぼうだいし》だで」
と笑った。和尚が、
「久吉、空海も弘法大師も、同じお方じゃ」
子供たちがどっと笑った。久吉はぺろりと舌を出してまたうしろをふり返り、音吉を見た。
「では、もう一つ聞くでな。ほら、この寺にまつってある薬師如来《やくしによらい》様な、あれは漁師共の崇拝《すうはい》の的《まと》じゃが、それはなぜじゃか知っとるか」
今度は誰も手を上げない。
「うん、昔な、今から五十五、六年前の話じゃ。安永《あんえい》三年の話じゃからのう。中村|良重《よしえ》という網元《あみもと》がおっての。ある日、地曳《じび》き網をひいていたところが、魚の中にぴかーっ、ぴかーっと光るものがある」
「うん」
久吉が一人、相槌《あいづち》を打つ。
「何じゃろう、と網元は胸をとどろかせた。金の鯛《たい》か!? と思うたんじゃのう」
「わかった、それが如来様じゃ」
久吉が、また一人で口を挟《はさ》む。
「そうじゃ、久吉、よくわかったのう」
「馬鹿でもわかるで、和尚さまぁ」
「これは一本参ったのう。久吉は賑《にぎ》やかな子じゃ」
子供たちは再びどっと笑った。
「では、今日はこの寺について、もう少し話を聞かそう」
子供たちは一斉《いつせい》にうなずく。
「この寺はのう。順応禅師《じゆんのうぜんじ》という方が、天正《てんしよう》十三年につくられたのじゃ。天正十三年というのはのう、秀吉公《ひでよしこう》が関白《かんぱく》の頃《ころ》のことじゃ。今から二百四十何年も前の話じゃ」
「へえーっ、二百四十年も前。ずいぶん昔の話だなあ、みんな」
久吉は立ち上がって、ぐるりとみんなの顔を見渡す。三十人余りの子供が久吉を見る。音吉ははらはらした。なぜ黙って聞いていられないのか。音吉には不思議なのだ。だが、この賑《にぎ》やかな久吉を音吉は好きだった。
「そうじゃ、昔の話じゃ。この和尚《おしよう》は偉かったでのう。ここに寺をひらいて、十六年程経った慶長《けいちよう》五年のこと、九鬼嘉隆《くきよしたか》という大将が、あの伊勢から……」
と、和尚は伊勢湾の向こうの伊勢の方角を指さし、
「大船に数千人の兵をひきいて、この小野浦に攻めて来た」
「うん」
「徳川家康討伐《とくがわいえやすとうばつ》のための軍用金をつくろう思うて乗り込んで来たのじゃ。秀吉の子、秀次《ひでつぐ》の命令を受けてな」
「うん」
「手に手に槍《やり》を持ち、刀を持って、そこの上《あ》ゲノ浜から襲って来た」
「うん」
「さあ、村は上を下への大騒ぎ。みんなあわてふためいて、山へ逃げた」
「うん」
「ある男は、先祖伝来の熊の皮をかぶって山奥に逃げ、熊の皮|清兵衛《せいべえ》という名前をもろうた」
子供たちはまた笑った。
「もっとも、これは熊の皮ではなく、牛の皮だったという話もある。逃げたのではなく戦こうたのだという話もある。それで、牛皮という苗字《みようじ》を賜《たまわ》ったとも言われておる」
「どっちが本当やろ」
久吉が頓狂《とんきよう》な声を出すと、他の一人が、
「熊の皮着て逃げたのが、ほんとやないか」
と答える。
「とにかくのう、四|斗樽《とだる》の水の中にかくれた男もいて、そいつは水いたちという仇名《あだな》を取った。寺の雲水《うんすい》もみな逃げた。だが、この順応禅師は、只一人じーっと坐禅《ざぜん》しておられたのじゃ」
「ふーん」
また久吉が相槌《あいづち》を打つ。
「ところがじゃ。それを見た兵が、いきなり禅師の首を斬《き》り、九鬼嘉隆のところに持っていった。九鬼嘉隆は、それが順応禅師と知っただでのう、いたく後悔したという話じゃ。その時、惜しくもこの寺まで焼かれてしもうた」
今度は久吉も声が出ない。子供たちも残念そうに吐息をつく。
「だが、そのあとこんな立派な寺が建ったのじゃ。そして、お前たちも知ってのとおり、大名が訪ねて来るほどのな、格式のある寺となった。ひとつの寺にも、いろいろな歴史があるものじゃ」
「和尚《おしよう》さまぁ。惜しいことをしたなあ。坐禅などせんで、熊の皮をかぶって逃げたら、助かったになあ」
久吉は本気で悔《くや》しがった。
「しかしのう、久吉。人間はみんな死ぬもんじゃ。いつか教えてやった歌を知ってるじゃろう。一休《いつきゆう》和尚の詠《よ》まれた歌じゃ、人はみな死ぬという歌じゃ」
子供たちは首をひねった。覚えているようだが思い出せない。下の句は覚えているが、上の句は忘れている。上の句は覚えているが、下の句は忘れている。そんな顔だ。その中で、音吉の手が上がった。
「おお! 音! 覚えていたか」
和尚がうれしそうに言った。
「はい。生まるれば死ぬるなりけりおしなべて釈迦《しやか》も達磨《だるま》も猫も杓子《しやくし》も」
「うむ、よーく覚えていた。みんな思い出したか。みんな声を揃《そろ》えて言うてみい」
「生まるれば死ぬるなりけりおしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も」
とりわけ久吉の声が大きくひびいた。
今日は久吉も音吉も、珍しく寺子屋に来ていた。音吉は父の看病と母への手伝いで忙しかったし、久吉も父について漁に出かけることが多く、月に二、三度も寺子屋に出席できない。
音吉はまじめな顔をして、「い、ろ、は、に、ほ」と書いていく。父の武右衛門が、
「音、船乗りになるんなら、字を覚えて置かねばならん。読み書きのできんもんは、船頭にはなれんでのう」
と、よく言う。船頭は日誌もつけなければならない。荷主や役人と、文書もかわさなければならない。
(どうせ船に乗るんなら、いつかは船頭にならにゃあ)
と、音吉も思っている。一心に字を習っているその音吉のうしろに来て、
「音、うまいぞ、なかなかいい字じゃ」
と、和尚《おしよう》が頭をなでてくれた。音吉の小さな髷《まげ》に和尚の太い指が当たった。すぐ前にいた久吉が、くるりとふり返って音吉を見、ニヤリと笑った。
「ほめられたな、音吉」
久吉の鼻の先に墨がついている。久吉と並んでいる琴もふり返ってうなずいて見せた。女は琴と、松乃という、庄屋の娘の二人だけだ。女には、裁縫、活《い》け花などを教える寺子屋があったが、琴と松乃はどうしたわけか読み書きが好きだった。琴は仮名ばかりか、漢字もかなり覚えている。
「ようし、今日はみんな、おとなしくよく勉強したで、少し話をしてやろう」
和尚が正面の台に腰をおろした。
「このお寺は、何というおっさまをまつっとるか、その一人でも知っとるかな」
血色のよい和尚の口が、ぱくぱくと大きくひらく。久吉はその口の形ばかりをみつめている。ぱらぱらと手が上がった。
「お琴、答えて見い」
お琴はぱっと赤くなったが、元気よく答えた。
「はい。空海《くうかい》さまです」
途端に久吉が、
「ちがう! 弘法大師《こうぼうだいし》だで」
と笑った。和尚が、
「久吉、空海も弘法大師も、同じお方じゃ」
子供たちがどっと笑った。久吉はぺろりと舌を出してまたうしろをふり返り、音吉を見た。
「では、もう一つ聞くでな。ほら、この寺にまつってある薬師如来《やくしによらい》様な、あれは漁師共の崇拝《すうはい》の的《まと》じゃが、それはなぜじゃか知っとるか」
今度は誰も手を上げない。
「うん、昔な、今から五十五、六年前の話じゃ。安永《あんえい》三年の話じゃからのう。中村|良重《よしえ》という網元《あみもと》がおっての。ある日、地曳《じび》き網をひいていたところが、魚の中にぴかーっ、ぴかーっと光るものがある」
「うん」
久吉が一人、相槌《あいづち》を打つ。
「何じゃろう、と網元は胸をとどろかせた。金の鯛《たい》か!? と思うたんじゃのう」
「わかった、それが如来様じゃ」
久吉が、また一人で口を挟《はさ》む。
「そうじゃ、久吉、よくわかったのう」
「馬鹿でもわかるで、和尚さまぁ」
「これは一本参ったのう。久吉は賑《にぎ》やかな子じゃ」
子供たちは再びどっと笑った。
「では、今日はこの寺について、もう少し話を聞かそう」
子供たちは一斉《いつせい》にうなずく。
「この寺はのう。順応禅師《じゆんのうぜんじ》という方が、天正《てんしよう》十三年につくられたのじゃ。天正十三年というのはのう、秀吉公《ひでよしこう》が関白《かんぱく》の頃《ころ》のことじゃ。今から二百四十何年も前の話じゃ」
「へえーっ、二百四十年も前。ずいぶん昔の話だなあ、みんな」
久吉は立ち上がって、ぐるりとみんなの顔を見渡す。三十人余りの子供が久吉を見る。音吉ははらはらした。なぜ黙って聞いていられないのか。音吉には不思議なのだ。だが、この賑《にぎ》やかな久吉を音吉は好きだった。
「そうじゃ、昔の話じゃ。この和尚《おしよう》は偉かったでのう。ここに寺をひらいて、十六年程経った慶長《けいちよう》五年のこと、九鬼嘉隆《くきよしたか》という大将が、あの伊勢から……」
と、和尚は伊勢湾の向こうの伊勢の方角を指さし、
「大船に数千人の兵をひきいて、この小野浦に攻めて来た」
「うん」
「徳川家康討伐《とくがわいえやすとうばつ》のための軍用金をつくろう思うて乗り込んで来たのじゃ。秀吉の子、秀次《ひでつぐ》の命令を受けてな」
「うん」
「手に手に槍《やり》を持ち、刀を持って、そこの上《あ》ゲノ浜から襲って来た」
「うん」
「さあ、村は上を下への大騒ぎ。みんなあわてふためいて、山へ逃げた」
「うん」
「ある男は、先祖伝来の熊の皮をかぶって山奥に逃げ、熊の皮|清兵衛《せいべえ》という名前をもろうた」
子供たちはまた笑った。
「もっとも、これは熊の皮ではなく、牛の皮だったという話もある。逃げたのではなく戦こうたのだという話もある。それで、牛皮という苗字《みようじ》を賜《たまわ》ったとも言われておる」
「どっちが本当やろ」
久吉が頓狂《とんきよう》な声を出すと、他の一人が、
「熊の皮着て逃げたのが、ほんとやないか」
と答える。
「とにかくのう、四|斗樽《とだる》の水の中にかくれた男もいて、そいつは水いたちという仇名《あだな》を取った。寺の雲水《うんすい》もみな逃げた。だが、この順応禅師は、只一人じーっと坐禅《ざぜん》しておられたのじゃ」
「ふーん」
また久吉が相槌《あいづち》を打つ。
「ところがじゃ。それを見た兵が、いきなり禅師の首を斬《き》り、九鬼嘉隆のところに持っていった。九鬼嘉隆は、それが順応禅師と知っただでのう、いたく後悔したという話じゃ。その時、惜しくもこの寺まで焼かれてしもうた」
今度は久吉も声が出ない。子供たちも残念そうに吐息をつく。
「だが、そのあとこんな立派な寺が建ったのじゃ。そして、お前たちも知ってのとおり、大名が訪ねて来るほどのな、格式のある寺となった。ひとつの寺にも、いろいろな歴史があるものじゃ」
「和尚《おしよう》さまぁ。惜しいことをしたなあ。坐禅などせんで、熊の皮をかぶって逃げたら、助かったになあ」
久吉は本気で悔《くや》しがった。
「しかしのう、久吉。人間はみんな死ぬもんじゃ。いつか教えてやった歌を知ってるじゃろう。一休《いつきゆう》和尚の詠《よ》まれた歌じゃ、人はみな死ぬという歌じゃ」
子供たちは首をひねった。覚えているようだが思い出せない。下の句は覚えているが、上の句は忘れている。上の句は覚えているが、下の句は忘れている。そんな顔だ。その中で、音吉の手が上がった。
「おお! 音! 覚えていたか」
和尚がうれしそうに言った。
「はい。生まるれば死ぬるなりけりおしなべて釈迦《しやか》も達磨《だるま》も猫も杓子《しやくし》も」
「うむ、よーく覚えていた。みんな思い出したか。みんな声を揃《そろ》えて言うてみい」
「生まるれば死ぬるなりけりおしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も」
とりわけ久吉の声が大きくひびいた。