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海嶺09

时间: 2020-02-28    进入日语论坛
核心提示:截断橋     二 岩松は、人で賑《にぎ》わう街道筋を横切って、その裏手の路地に入った。この路地には、長屋が向かい合って
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截断橋
     二
 岩松は、人で賑《にぎ》わう街道筋を横切って、その裏手の路地に入った。この路地には、長屋が向かい合って建ってい、突き当たりには井戸があった。大八車《だいはちぐるま》が一台入れるか入れないかの狭い路地だ。この裏長屋には、大工や船職人が多く住んでいた。その長屋の中程《なかほど》に岩松の家はあった。どの家も、戸をあけ放しにして、中は丸見えだ。閉じているのは、独《ひと》り者の住まいだけだ。あちこちから赤子の泣き声や、子供の笑う声が聞こえる。
「おや、岩さんじゃないか」
家の中から岩松を見て、声をかける女もいる。
「よう、しばらく」
岩松は答えるのももどかしく通り過ぎた。と、自分の家から、ひょいと出て来た男がいた。半纏姿《はんてんすがた》の若い男だ。男は岩松に気づかずに、井戸の近くの一番奥の長屋についと入って行った。晴れ晴れとしていた岩松の顔が、ふっとかげった。岩松は考える目になって、自分の家に入った。
「おや、岩松! まあ! 岩松じゃないか」
驚きの声を上げたのは、養母の房だった。
「今、帰った。おっかさん変わりは」
「ああ変わりはないよ」
答える房に岩松は、六畳ひと間に四畳半二つの小さな家の中を、土間に突っ立ったまま見まわして、
「お絹は?」
と尋《たず》ねた。岩松が帰って来て、絹が家にいなかったことは、今までになかったことだ。
「ああお絹な、お絹はの、表の古田屋さんに頼まれたでな、この春からずっと、手伝っているのさ」
房は肥った体を、それほど大儀そうにもせず、すすぎのたらいに、水桶《みずおけ》の水を汲《く》みながら言った。
「古田屋?」
岩松はむっとする。古田屋はこの裏長屋を持つ大きな旅籠《はたご》屋だ。が、このあたりの旅籠屋には、飯盛《めしも》り女が置かれている。飯盛り女は、いわば宿場女郎《しゆくばじよろう》だ。まさか、人妻の絹を飯盛り女に使いはしまいと思いながらも、岩松の胸は波立った。
熱田には神宮と渡し場があるために、旅籠屋の数も東海道随一だ。大小百五十軒からの旅籠屋が、目白押しに並んでいる。そのほかに、大名の泊まる本陣が二つ、脇本陣格《わきほんじんかく》の大旅籠が十四、五軒ある。だが古田屋はその脇本陣格の中には入らず、飯盛り女を置いていた。
むっとしたまま、わらじを解いている岩松に気づかず、房はうれしさのあまり言葉をつづける。
「ねえ、岩松、驚くわのう。この御蔭参《おかげまい》りの賑《にぎ》やかなことと言うたら。江戸から、博多から、新潟から、仙台から、日本国中から、次から次とやって来るだでねえ。まるで人間が湧《わ》いて来るようなものさ。はじめはお伊勢に参る人たちでな、ここの渡し場が賑わったもんだが、今はお伊勢参りと、熱田参りが重のうたでな、そりゃ大変なものさ」
「…………」
「何でも、お伊勢さんから熱田さんに、ぼうっと光る神魂《かみだま》が飛んで来たとかでな。まあお前も行って見い。本殿《ほんでん》の上に、その神魂が光って見える言うことだで。……と言うわけでな、猫の手も借りたい忙しさだで、長屋の女たちも表に狩り出されてな。みんな大喜びだよ。なにせ、お宝が少しでももらえるわけだからさ」
岩松はぬるい水で乱暴に足を洗い、雑巾《ぞうきん》で拭《ふ》くと、
「それで、おっかさん、お絹は古田屋に泊まりっきりですかい」
「いえね、寝る時だけは、帰って来るでな。夜遅くな。しかし、おまんまは朝昼晩と、古田屋さんで食べさせて下さるで、こんなありがたいことはないよ」
岩松は足を洗った水を、路地に向かってばさっと音を立てて撒《ま》き、
「夜にならなきゃあ、帰らねえか」
と、家に上がった。
「よかったねえ、無事に帰って来てさ」
房はいそいそと行李《こうり》から浴衣《ゆかた》を出し、あぐらをかいた岩松に言った。
「ひるはすんだのかい。ちょうど銀次さんにもらった団子があるよ」
「銀次、聞いたことのない名前だな。どこのどいつだ」
「この五月に移って来た、船大工の銀次さんだよ。独《ひと》りもんで、気前のいい男さ。団子だ、まんじゅうだ、せんべいだと、あたしの好きなものを、いつも持って来てくれるでな」
「ふーん、いやに親切な野郎じゃないか」
「ほんとうに親切な人さ。お父《と》っつぁんも大喜びでな」
「ふーん。その銀次ってえの、今しがたここから出て行った男じゃねえのか」
「ああそうだよ。お前見かけたのかい。いい男前だったろ」
岩松は答えずに、ごろりと横になった。何か不安だった。
「お父っつぁんは?」
養父の仁平は今は瓦《かわら》職人をやめて、家でぶらぶらしていた。
「そうそう、それがさ。お父っつぁんまで、古田屋の風呂|焚《た》きに狩り出されてさ。ま、みんなそろって働けるのは、ありがたいことだで」
岩松は、僅《わず》かの間に、自分の家ががらりと変わったような気がした。いつもなら、絹がこの部屋で仕立物をしている。器用な女で、六つ七つの頃《ころ》から自分の着物を縫ったという絹は、誰に教えられたわけでもなく、人の物さえ縫えるようになった。その仕立物の仕事もさておいて、絹は古田屋でどんな毎日を送っているのか。只《ただ》でさえ人目につく女だ。男たちが黙って見過ごすだろうかと、岩松の不安は次第にふくらんで来た。
岩松は不意に体を起こして浴衣《ゆかた》に着替えると、
「ちょっと行ってくるぜ」
「まあ、どこへさ。団子は食べんのかい」
驚く房に、
「団子はいらん」
言い捨てて、岩松は下駄《げた》を突っかけて外に出た。
岩松たちは、古田屋の店子《たなこ》だ。その古田屋に頼まれれば、店子は拒むわけにはいかない。古田屋も無茶を言う人間ではない。客までとらせはしまいとわかっていながら、いや、わかっているだけに、岩松は文句の言い様がない。だが、久しぶりに帰って来て、絹の顔を見ることができないのは、何としても不満だった。
岩松は古田屋の前に立ち止まった。その店先は、出る客、入る客でごった返しだ。旅人たちは誰も彼も、柄杓《ひしやく》を腰につけている。この柄杓さえつけていれば、泊まるにも食うにも心配はない。
(御蔭参《おかげまい》りか。迷惑な話だ)
岩松は絹の姿を求めて、しばらく古田屋を眺《なが》めていたが、諦《あきら》めてぶらぶらと歩いて行った。向こうから「大神宮御蔭参り」と墨で書いた白い菅笠《すげがさ》をかぶった旅人たちがまた一団やって来た。先頭の男が幟《のぼり》を立てている。岩松は、茶漬けや茶菓の接待をしている休み所を横目で見ながら、次第に孤独になっていった。御蔭参りへの施行《しこう》は、小金を持つ一般の民衆や豪商、そして各藩の蔵屋敷からも出ていた。参詣がこう集団化されては、接待をゆるがせにはできない。いつ不測の暴動が起きるかわからないからだ。三月だけでも、二百二十八万の伊勢参りがあったというこの騒ぎは、次第に下火になったとはいえ、七月の今日にも、七里の渡しのある熱田の宮宿《みやじゆく》は、相変わらぬ賑《にぎ》わいがつづいていた。その賑わいの中を、岩松は淋《さび》しい顔をして歩いて行く。
いつしか岩松は、截断橋《さいだんばし》のたもとに来ていた。截断橋は幅三間程の精進《しようじん》川にかかっていた。橋のたもとに、擬宝珠《ぎぼし》がある。孤独な思いになると、岩松は子供の頃《ころ》から、よくここに来たものだ。そして擬宝珠に彫られた悲しい仮名文字を読む。それは、天正《てんしよう》十八年に、わが子を合戦《かつせん》に失った母親が、この橋を建立《こんりゆう》して、わが子の菩提《ぼだい》をとむらった時の言葉である。
〈天正十八年二月十八日に、小田原への御陣、堀尾金助《ほりおきんすけ》と申す十八になりたる子を発《た》たせてより、またふた目とも見ざる悲しさのあまりに、今この橋を架けるなり。母の身には落涙《らくるい》ともなり、即身成仏《そくしんじようぶつ》し給え。
逸岩世俊《いつがんせいしゆん》と後《のち》の世のまた後の世まで、この書きつけを見る人は、念仏し給えや。三十三年の供養《くよう》なり〉
この言葉を読むと、なぜか岩松は悲しみや淋《さび》しさが静まってくるのだ。「逸岩世俊」とは、十八歳で戦に死んだ金助の法名《ほうみよう》と聞いている。三十三年の供養と書いてあるから、死んだ子が五十一になった年の言葉ではないか。とすればこの母は、とうに白髪《しらが》の老婆の筈《はず》である。何と長い間、母親という者は悲しみを持って生きているものかと、生母を知らぬだけに岩松はその言葉が身に沁みるのだった。
(逸岩世俊)
岩松は心の中でその法名を呟《つぶや》いてみる。何を信ずることはできなくても、この截断橋を建立《こんりゆう》した母の心だけは、真実である。この橋の擬宝珠《ぎぼし》に彫られた言葉を岩松に教えてくれたのは、同じ長屋に住む占い師の男であった。岩松はその男のあごに、黒いひげが長く垂れていたことだけを知っている。長屋の者たちは竹軒《ちくけん》先生と呼んでいた。岩松もその男を竹軒先生と呼んでいた。本名は知らない。岩松が仮名を覚え、僅《わず》かでも漢字を覚えているのは、この占い師にかわいがられて、教えてもらったお蔭《かげ》である。この占い師は岩松が千石船《せんごくぶね》に乗ると言い出した時、何を思ったかこの橋につれて来て、これを読ませたのであった。そして、天正十八年には秀吉が北条氏《ほうじようし》を攻めるべく、小田原に戦いを進めていたこと、その合戦で、この金助なる若武者が死んだこと、それを悲しんで母親が、このように悲しい言葉を残したことなどを聞かせたのだ。
「世には真実な心というものがあるものじゃ。求めていけば、いつかはその真実にめぐり会うものじゃ。岩松の今の父《とと》さま母《かか》さまも、この母の心と同じ心でお前を育てたのじゃ。それを決して忘れるまいぞ」
こう諭《さと》してくれたのであった。それが年を経るにつれ、岩松の心の底に深く沈んでいった。占い師はいつしか長屋を去ったが、その言葉だけは胸に残った。
「お絹」
岩松は妻の名を呼び、絹だけは決して自分を裏切らぬと、自分自身に言い聞かせた。その岩松を、久吉が橋の上でみつめていることに、岩松は気づく筈《はず》もなかった。
「お蔭《かげ》でさ、するりとな、脱《ぬ》けたとさ」
また一陣、幟《のぼり》を押し立てた御蔭参りの一団が賑《にぎ》やかに踊りながら近づいてくるのを岩松は見た。
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