一
「ゴーン、ゴーン」
明け六つの良参寺の鐘《かね》が鳴る頃《ころ》には、音吉はもうあらかた水を汲《く》み終わっていた。雀《すずめ》が賑《にぎ》やかに囀《さえず》りながら礫《つぶて》のように庭に飛び降りる。かと思うと、ぱっと飛び立つ。左右を忙しく窺《うかが》いながら餌《え》をあさる雀を横目で見て、音吉は最後の水汲みをする。
水汲みが終わると、庭の掃《は》き掃除《そうじ》、廊下の拭《ふ》き掃除が待っている。雨戸をあけ放った縁側に立って、船主の樋口源六は、家の者たちの働きを見ている。
赤土で造られた竈《へつつい》に飯を炊《た》く者、蔵の中から荷を運ぶ者、誰もがそれぞれ忙しい。コの字型の船主の家は、その中央に立てば、家の者の働きを見て取ることが出来る。
音吉は庭を掃き始めた。その頃にはもう飯の炊き上がる匂いが流れてくる。音吉は先ず庭に水を打ち、竹箒《たけぼうき》を持つ。
「掃き掃除はの、風の向きに逆ろうてはならん」
父の武右衛門から、もう何年も前に音吉は教えられた。その教えられたとおりに、掃除の前に音吉は必ず風の向きを見定める。そして竹箒の先を跳《は》ね上げぬようにきちっととめながら、ごみを集める。その音吉を見て、
「ふーん」
と、源六は満足そうにうなずく。今までこんな掃《は》き方をする者はいなかった。風に向かってごみを撒《ま》きちらすように掃く者が多かった。注意しても、すぐに忘れて埃《ほこり》を立てる。たったそれだけのことを、なぜ幾度も注意されねばならぬのかと、根が穏やかな源六も、腹に据《す》えかねることが度々《たびたび》あった。だが音吉は、最初の日から源六の心に叶った。
(さすがは武右衛門の倅《せがれ》じゃ)
源六は心の中で感歎《かんたん》する。その源六の視線を気にもとめず、音吉は門の外の掃除《そうじ》に取りかかる。この時が音吉の一番うれしい時だ。左手一|丁《ちよう》半|程《ほど》向こうに、自分の家が見えるからだ。家はすぐそこにあるというのに、しかし一旦《いつたん》他人の家に住みこむと、自由に帰ることができない。
音吉は竹箒を使いながら、幾度も視線をわが家のほうに向ける。
(父《と》っさまの具合はどうだろう)
(母《かか》さまは、一人で大変だろうなあ)
自分が家にいた時は、水汲みや食事の後始末などをしてやった。薬を煎《せん》じるのも、父の足をさするのも音吉の仕事だった。それらの仕事を、母が畠《はたけ》仕事の傍《かたわ》ら、一人でしなければならない。そう思うと胸が重くなってくる。
(長助はいつ帰るんだろう)
御蔭参《おかげまい》りをする者を咎《とが》めては神罰《しんばつ》が下るというが、傍《はた》迷惑なことだと、内心音吉は母が憐《あわ》れになってくる。
蔵の周囲を掃《は》く頃《ころ》に、必ず妹のさとが駈《か》けて来る。音吉は掃く手を止めずに、頃合《ころあ》いを計ってわが家のほうを見る。さとの小さな影が家から飛び出すと、つづいて母の姿が見える。母がさとのうしろ姿を見送っている。さとはふり返りふり返り駈けてくる。母が手を上げる。自分のほうを見ているのかも知れぬと、音吉も手を上げる。こんなに母が懐かしいものかと思うほど、胸のつまるひと時だ。
「兄さ!」
息を切らしながら、さとが音吉の傍《そば》に駈け寄ってくる。
「さと、父《と》っさまはどうだ」
「うん、ねてる」
返ってくる言葉はいつも同じだ。幼いさとには、顔色がいいとか、痛みが少ないようだとか、告げる術《すべ》を知らない。さとには、父はいつも寝ているだけなのだ。それでもいい。
「父っさまはどうだ」
と聞くことで、音吉の心は休まる。
さとがすぐに門のほうに駈けて行く。これから日暮れまで、さとの子守が始まるのだ。裏の竹林が風にさわさわと鳴った。その手前の鉄砲百合の群れがゆっくりと首をふった。門のうちから風鈴《ふうりん》の音が涼しく聞こえた。音吉は竹箒《たけぼうき》を持ったまま、朝なぎの海に目をやる。カモメがひと所に群れて白い紙を撒《ま》きちらしたように光って見える。
掃き掃除《そうじ》が終わると、次は拭《ふ》き掃除だ。小さなたらいに水を汲《く》み、音吉は昨日洗って乾かして置いた五枚の雑巾《ぞうきん》をたらいに入れた。一枚一枚きっちり絞って、縁《えん》に置く。そして四つん這《ば》いになって、きゅっきゅっと力をこめて、磨くように拭《ふ》いていく。これは母の美乃に習ったことだ。雑巾を一度に洗っておき、それを四つに畳むと、裏表八回使うことが出来る。すると、幾度も雑巾を洗わずとも、一度で仕上がると教えられていた。その拭き方をも、源六はうなずきながらみつめている。長年よく拭きこまれてきた欅《けやき》の廊下は、顔が映るほどだ。コの字に建った家のうち、その二辺が縁になっている。縁を拭き、敷居《しきい》を拭き、次は柱を磨く。樋口家の柱は、これも伊豆の欅造りだ。これは糠袋《ぬかぶくろ》でみがく。
柱を磨く途中で、たいてい朝食になる。
「音さん、ご飯だよ」
女中に呼ばれて、音吉が広い台所にいくと、みんなはもう朝飯を食べ始めていた。豌豆《えんどう》の味噌汁《みそしる》と茄子《なす》の漬《つ》け物《もの》だけがお菜《さい》だ。麦は入っているが、米の割合が音吉の家より多い。腹が空《す》いている音吉には、味噌か塩だけでも充分にうまい。
音吉は飯を食べながら、さとのほうを見る。さとは、もう赤ん坊を背負って、庭先で立ち食いをしている。握り飯をその小さな手に持たされて、さとは背をゆすりゆすり食べている。口もとに飯粒が二粒三粒ついている。音吉の視線は、茶の間の琴のほうに行く。源六と、琴の母紋、琴の弟甚一、そして琴がちゃぶ台を囲んでいる。
音吉の場所から見えるのは、甚一と、紋の背中、琴の横顔、源六の正面の顔だ。
みんなが黙々と食べている。飯の時に話をするのは行儀《ぎようぎ》が悪いとされているからだ。食べているうちに、誰の額にも汗が滲《にじ》む。
(今日も暑いな)
鳴き出した蝉《せみ》の声を聞きながら、音吉はまたひょいと琴を見た。と、琴が音吉のほうを見た。音吉の胸が大きく動悸《どうき》を打つ。琴がにこりと笑う。
(ああ、今日も俺を見てくれた)
音吉は体に力がみなぎるのを感じた。この家に来て半月、琴は必ず音吉を見、微笑を送るのだ。それが音吉の大きな喜びであった。
音吉は急いで食事を終え、他の者より先に立ち上がった。これも武右衛門の仕込みなのだ。
「人より後に箸《はし》を取り、人より先に箸を置く。その心がけがなければ、人さまに遅れを取るでな」
これは兄の吉治郎にも、まだ幼いさとにも、よく武右衛門が言って聞かせる言葉だ。さとのほうを見ると、さとはまだ握り飯を持っていた。
音吉は庭の桐《きり》の下に、莚《むしろ》を敷《し》き、そこにいじこ(藁《わら》の籠《かご》)を運んで来た。この場所は、家と木の蔭《かげ》になり、日の当たらない涼しい場所なのだ。琴の母親の紋は、家の中で赤子が泣くのを嫌《きら》い、暑い昼日中《ひるひなか》でもさとの背中に負わせて外に出した。さとは涼しい場所を選んで子守をしたが、それでも、赤子の胸にもさとの胸にも汗疹《あせも》が出来た。それで音吉が、庭にいじこを置かせてもらって、朝食が済むと、その中に赤子を置いた。さとは赤子が好きで、赤子もまたさとが好きだった。さとは飽きずにいじこを揺すったり、話しかけたり、歌をうたったり、時にはかわいい声を上げて笑ったりさえした。
今も音吉は、さとの背から赤子を受けとり、いじこの中に入れて、
「さと、目を放すでないぞ。ええな」
と、さとの頭をなでた。
「うん」
さとがあどけなくうなずいた。他人の中で見るさとは、音吉にはとりわけ愛くるしく思われる。音吉は再び柱磨きを始めた。指の滑りそうな欅《けやき》の柱を、音吉はより一層力をこめて磨く。糠《ぬか》の油で手がすべすべになる。
朝食が終わった源六が爪楊子《つまようじ》を使いながら、座敷に入って来た。
「音、それが終わったら、一の蔵《くら》の片づけをするでな」
「はいっ」
音吉の声は元気よく出る。濁りのない声だ。
「昼からは八幡神社に、わしと一緒に行くんだ」
「はいっ」
「その後はな、一の蔵の二階の整理じゃ」
「かしこまりました」
気持ちのよい声がまた返る。満足げに源六がうなずいた時だった。いつのまに来たのか、琴が源六に言った。
「じいさま。じいさまったら、朝から晩まで、音、音って、音吉つぁんばかり使いなさる。音吉つぁんは休む暇がないではないか」
と詰《なじ》った。音吉はどぎまぎした。用を言いつけられるのは、音吉には光栄なことだ。源六からばかりでなく息つく暇もないほどに、あちこちから、
「音、これを頼む」
「音、これを運んでくれ」
と声がかかる。しかも今日は、日頃《ひごろ》から一度入って見たいと思っていた土蔵《どぞう》の中に入ることができるのだ。その上、八幡神社に供をするのは、そう悪い仕事ではない。供物を持って行けばよいだけのことだ。
琴の抗議に、源六が首をなでて、
「おや、そうじゃったか。音吉は満足のいく仕事をしてくれるでな。それでつい、音、音と、声がかかるのじゃ。しかしお琴、お前はまだ年端《としは》もいかぬに、人のつらさがよくわかるのじゃな」
「そりゃあわかる。誰も彼も音吉つぁんばかり使う。うち気の毒だわ」
琴は率直だった。音吉は、琴の言葉がうれしかった。が、二人の話は耳に入らぬかのように、音吉はせっせと柱磨きに精を出した。
「そりゃ悪かったのう。これからは気をつけるでな」
源六の妻は三年前に死んだ。息子の重右衛門は千石船《せんごくぶね》に乗って留守勝ちだ。重右衛門の妻紋は口が重く、話し相手にはならない。が、琴は気性《きしよう》が勝ってはいても、明るく思いやりがある。源六にはこの孫娘がかわいくてならないのだ。
明け六つの良参寺の鐘《かね》が鳴る頃《ころ》には、音吉はもうあらかた水を汲《く》み終わっていた。雀《すずめ》が賑《にぎ》やかに囀《さえず》りながら礫《つぶて》のように庭に飛び降りる。かと思うと、ぱっと飛び立つ。左右を忙しく窺《うかが》いながら餌《え》をあさる雀を横目で見て、音吉は最後の水汲みをする。
水汲みが終わると、庭の掃《は》き掃除《そうじ》、廊下の拭《ふ》き掃除が待っている。雨戸をあけ放った縁側に立って、船主の樋口源六は、家の者たちの働きを見ている。
赤土で造られた竈《へつつい》に飯を炊《た》く者、蔵の中から荷を運ぶ者、誰もがそれぞれ忙しい。コの字型の船主の家は、その中央に立てば、家の者の働きを見て取ることが出来る。
音吉は庭を掃き始めた。その頃にはもう飯の炊き上がる匂いが流れてくる。音吉は先ず庭に水を打ち、竹箒《たけぼうき》を持つ。
「掃き掃除はの、風の向きに逆ろうてはならん」
父の武右衛門から、もう何年も前に音吉は教えられた。その教えられたとおりに、掃除の前に音吉は必ず風の向きを見定める。そして竹箒の先を跳《は》ね上げぬようにきちっととめながら、ごみを集める。その音吉を見て、
「ふーん」
と、源六は満足そうにうなずく。今までこんな掃《は》き方をする者はいなかった。風に向かってごみを撒《ま》きちらすように掃く者が多かった。注意しても、すぐに忘れて埃《ほこり》を立てる。たったそれだけのことを、なぜ幾度も注意されねばならぬのかと、根が穏やかな源六も、腹に据《す》えかねることが度々《たびたび》あった。だが音吉は、最初の日から源六の心に叶った。
(さすがは武右衛門の倅《せがれ》じゃ)
源六は心の中で感歎《かんたん》する。その源六の視線を気にもとめず、音吉は門の外の掃除《そうじ》に取りかかる。この時が音吉の一番うれしい時だ。左手一|丁《ちよう》半|程《ほど》向こうに、自分の家が見えるからだ。家はすぐそこにあるというのに、しかし一旦《いつたん》他人の家に住みこむと、自由に帰ることができない。
音吉は竹箒を使いながら、幾度も視線をわが家のほうに向ける。
(父《と》っさまの具合はどうだろう)
(母《かか》さまは、一人で大変だろうなあ)
自分が家にいた時は、水汲みや食事の後始末などをしてやった。薬を煎《せん》じるのも、父の足をさするのも音吉の仕事だった。それらの仕事を、母が畠《はたけ》仕事の傍《かたわ》ら、一人でしなければならない。そう思うと胸が重くなってくる。
(長助はいつ帰るんだろう)
御蔭参《おかげまい》りをする者を咎《とが》めては神罰《しんばつ》が下るというが、傍《はた》迷惑なことだと、内心音吉は母が憐《あわ》れになってくる。
蔵の周囲を掃《は》く頃《ころ》に、必ず妹のさとが駈《か》けて来る。音吉は掃く手を止めずに、頃合《ころあ》いを計ってわが家のほうを見る。さとの小さな影が家から飛び出すと、つづいて母の姿が見える。母がさとのうしろ姿を見送っている。さとはふり返りふり返り駈けてくる。母が手を上げる。自分のほうを見ているのかも知れぬと、音吉も手を上げる。こんなに母が懐かしいものかと思うほど、胸のつまるひと時だ。
「兄さ!」
息を切らしながら、さとが音吉の傍《そば》に駈け寄ってくる。
「さと、父《と》っさまはどうだ」
「うん、ねてる」
返ってくる言葉はいつも同じだ。幼いさとには、顔色がいいとか、痛みが少ないようだとか、告げる術《すべ》を知らない。さとには、父はいつも寝ているだけなのだ。それでもいい。
「父っさまはどうだ」
と聞くことで、音吉の心は休まる。
さとがすぐに門のほうに駈けて行く。これから日暮れまで、さとの子守が始まるのだ。裏の竹林が風にさわさわと鳴った。その手前の鉄砲百合の群れがゆっくりと首をふった。門のうちから風鈴《ふうりん》の音が涼しく聞こえた。音吉は竹箒《たけぼうき》を持ったまま、朝なぎの海に目をやる。カモメがひと所に群れて白い紙を撒《ま》きちらしたように光って見える。
掃き掃除《そうじ》が終わると、次は拭《ふ》き掃除だ。小さなたらいに水を汲《く》み、音吉は昨日洗って乾かして置いた五枚の雑巾《ぞうきん》をたらいに入れた。一枚一枚きっちり絞って、縁《えん》に置く。そして四つん這《ば》いになって、きゅっきゅっと力をこめて、磨くように拭《ふ》いていく。これは母の美乃に習ったことだ。雑巾を一度に洗っておき、それを四つに畳むと、裏表八回使うことが出来る。すると、幾度も雑巾を洗わずとも、一度で仕上がると教えられていた。その拭き方をも、源六はうなずきながらみつめている。長年よく拭きこまれてきた欅《けやき》の廊下は、顔が映るほどだ。コの字に建った家のうち、その二辺が縁になっている。縁を拭き、敷居《しきい》を拭き、次は柱を磨く。樋口家の柱は、これも伊豆の欅造りだ。これは糠袋《ぬかぶくろ》でみがく。
柱を磨く途中で、たいてい朝食になる。
「音さん、ご飯だよ」
女中に呼ばれて、音吉が広い台所にいくと、みんなはもう朝飯を食べ始めていた。豌豆《えんどう》の味噌汁《みそしる》と茄子《なす》の漬《つ》け物《もの》だけがお菜《さい》だ。麦は入っているが、米の割合が音吉の家より多い。腹が空《す》いている音吉には、味噌か塩だけでも充分にうまい。
音吉は飯を食べながら、さとのほうを見る。さとは、もう赤ん坊を背負って、庭先で立ち食いをしている。握り飯をその小さな手に持たされて、さとは背をゆすりゆすり食べている。口もとに飯粒が二粒三粒ついている。音吉の視線は、茶の間の琴のほうに行く。源六と、琴の母紋、琴の弟甚一、そして琴がちゃぶ台を囲んでいる。
音吉の場所から見えるのは、甚一と、紋の背中、琴の横顔、源六の正面の顔だ。
みんなが黙々と食べている。飯の時に話をするのは行儀《ぎようぎ》が悪いとされているからだ。食べているうちに、誰の額にも汗が滲《にじ》む。
(今日も暑いな)
鳴き出した蝉《せみ》の声を聞きながら、音吉はまたひょいと琴を見た。と、琴が音吉のほうを見た。音吉の胸が大きく動悸《どうき》を打つ。琴がにこりと笑う。
(ああ、今日も俺を見てくれた)
音吉は体に力がみなぎるのを感じた。この家に来て半月、琴は必ず音吉を見、微笑を送るのだ。それが音吉の大きな喜びであった。
音吉は急いで食事を終え、他の者より先に立ち上がった。これも武右衛門の仕込みなのだ。
「人より後に箸《はし》を取り、人より先に箸を置く。その心がけがなければ、人さまに遅れを取るでな」
これは兄の吉治郎にも、まだ幼いさとにも、よく武右衛門が言って聞かせる言葉だ。さとのほうを見ると、さとはまだ握り飯を持っていた。
音吉は庭の桐《きり》の下に、莚《むしろ》を敷《し》き、そこにいじこ(藁《わら》の籠《かご》)を運んで来た。この場所は、家と木の蔭《かげ》になり、日の当たらない涼しい場所なのだ。琴の母親の紋は、家の中で赤子が泣くのを嫌《きら》い、暑い昼日中《ひるひなか》でもさとの背中に負わせて外に出した。さとは涼しい場所を選んで子守をしたが、それでも、赤子の胸にもさとの胸にも汗疹《あせも》が出来た。それで音吉が、庭にいじこを置かせてもらって、朝食が済むと、その中に赤子を置いた。さとは赤子が好きで、赤子もまたさとが好きだった。さとは飽きずにいじこを揺すったり、話しかけたり、歌をうたったり、時にはかわいい声を上げて笑ったりさえした。
今も音吉は、さとの背から赤子を受けとり、いじこの中に入れて、
「さと、目を放すでないぞ。ええな」
と、さとの頭をなでた。
「うん」
さとがあどけなくうなずいた。他人の中で見るさとは、音吉にはとりわけ愛くるしく思われる。音吉は再び柱磨きを始めた。指の滑りそうな欅《けやき》の柱を、音吉はより一層力をこめて磨く。糠《ぬか》の油で手がすべすべになる。
朝食が終わった源六が爪楊子《つまようじ》を使いながら、座敷に入って来た。
「音、それが終わったら、一の蔵《くら》の片づけをするでな」
「はいっ」
音吉の声は元気よく出る。濁りのない声だ。
「昼からは八幡神社に、わしと一緒に行くんだ」
「はいっ」
「その後はな、一の蔵の二階の整理じゃ」
「かしこまりました」
気持ちのよい声がまた返る。満足げに源六がうなずいた時だった。いつのまに来たのか、琴が源六に言った。
「じいさま。じいさまったら、朝から晩まで、音、音って、音吉つぁんばかり使いなさる。音吉つぁんは休む暇がないではないか」
と詰《なじ》った。音吉はどぎまぎした。用を言いつけられるのは、音吉には光栄なことだ。源六からばかりでなく息つく暇もないほどに、あちこちから、
「音、これを頼む」
「音、これを運んでくれ」
と声がかかる。しかも今日は、日頃《ひごろ》から一度入って見たいと思っていた土蔵《どぞう》の中に入ることができるのだ。その上、八幡神社に供をするのは、そう悪い仕事ではない。供物を持って行けばよいだけのことだ。
琴の抗議に、源六が首をなでて、
「おや、そうじゃったか。音吉は満足のいく仕事をしてくれるでな。それでつい、音、音と、声がかかるのじゃ。しかしお琴、お前はまだ年端《としは》もいかぬに、人のつらさがよくわかるのじゃな」
「そりゃあわかる。誰も彼も音吉つぁんばかり使う。うち気の毒だわ」
琴は率直だった。音吉は、琴の言葉がうれしかった。が、二人の話は耳に入らぬかのように、音吉はせっせと柱磨きに精を出した。
「そりゃ悪かったのう。これからは気をつけるでな」
源六の妻は三年前に死んだ。息子の重右衛門は千石船《せんごくぶね》に乗って留守勝ちだ。重右衛門の妻紋は口が重く、話し相手にはならない。が、琴は気性《きしよう》が勝ってはいても、明るく思いやりがある。源六にはこの孫娘がかわいくてならないのだ。