五
今日も昨日にひきつづいて、朝からからりとした秋晴れである。久吉と音吉は、それぞれ大きな風呂敷を肩から斜めに結んで歩いて行く。音吉の風呂敷の中には、小作頭《こさくがしら》伝八への、源六の手紙が入っている。久吉の風呂敷は空である。
朝飯が終わるとすぐ、二人は源六に呼ばれた。
「この手紙はな、音吉。大事な手紙だでな、落とさずに伝八の所に届けるのだぞ」
言われて渡された手紙を、音吉は源六の前でくるくると風呂敷に包んだ。そして、途中でほどけぬように、音吉は風呂敷のまん中を細ひもで結んだ。
「うん、相変わらず音吉は周到じゃのう」
源六は満足げにうなずき、
「伝八はきっと、畠《はたけ》の物を何か背負わせてくれるにちがいない。久吉も大きな風呂敷を持って行くがええ」
言われて、二人は揃《そろ》って外へ出た。
外へ出るや否や久吉は、
「俺、使いが大好きや。走ろう」
と、音吉を促した。
「どうして走る?」
「どうしてって、音、走ったら時間が浮くがな。山には木《もく》まんじゅう(あけび)や、茸《きのこ》がたくさんあるだでな」
そう言いながら、久吉は走り出していた。が、たちまち二人共|片腹《かたはら》が痛くなった。
「いかん、食べてすぐ走るのは」
久吉ががっかりしたように言い、二人は顔を見合わせて笑った。
久吉が熱田から戻《もど》っておよそ四十日になる。長助が江戸に行ったと知った時、又平は激怒《げきど》した。そして長助の代わりに、久吉を源六の家に奉行させることにしてしまった。
今まで音吉がしていた庭|掃《は》き、水汲《みずく》み、拭《ふ》き掃除《そうじ》などは久吉がするようになった。が、音吉は樋口家の将来の跡取りとして、算盤《そろばん》や字を習うために、仕事の合間を見ては、良参寺の寺子屋にやられるようになった。音吉の仕事は、ほとんど源六の傍《そば》にいて、源六の小間使いをすることであった。
源六が外に出る時は、必ず音吉が供をする。こうして音吉は、源六から、千石船《せんごくぶね》の生活や体験、その他様々な知識を毎日のように与えられるようになった。
久吉は、琴と音吉が許婚者《いいなずけ》になったと聞いた時、目を丸くして驚いたが、すぐににやりとして音吉の耳にささやいた。
「音吉、俺とお前で、お琴ば仲間にせんか」
「仲間?」
「そうや。別に減ることあらせん。お前だけでひとりじめすることはないでな」
「そ、そんな」
驚く音吉に、
「何や、俺とお前は、友だちやないか。けちけちするな」
「けちとちがう!」
音吉が気色《けしき》ばむと、久吉は、
「阿呆《あほ》やなあ。冗談や、冗談や」
と、笑ったものだった。それ以来、音吉は何となく久吉の言葉が気にかかる。
(あれは冗談や)
そうは思っても気にかかる。
道べの白い芒《すすき》が秋日に輝く。松の幹に絡まる葛《つた》の葉はまだ色づかない。山道にかかった二人の耳に、潮騒《しおさい》がひびく。
同じ家に奉公するようになったが、二人がゆっくりと話し合う暇はない。音吉はいつも源六の傍《そば》にいるからだ。久吉が来てからは、音吉は源六の隣室に寝るように命じられた。
「なあ。音吉。今朝、お琴はみんなと一緒に飯食わなかったな」
久吉はにやにやした。
「そうやったな」
音吉もそのことは気になっていた。
「お琴は、ほかの部屋で、一人で飯食ってたな」
「ふーん。そうか」
音吉はそこまでは気がつかなかった。
「なんでか、知っとるか」
御蔭参《おかげまい》りから帰って来た久吉は、体も一段と大きくなった。
「知らん。どうしてや?」
音吉が答えた時、久吉が、
「や、でんでん虫や」
と、傍《かたわ》らの茅《かや》の根に手を伸ばした。でんでん虫はついと頭をちぢめた。久吉は自分の肩にでんでん虫をのせ、
「音は何も知らん奴《やつ》やな。俺が来てから、お琴はこれで二度目の別鍋《べつなべ》やでえ」
「ふーん」
音吉は山道に映る自分の影を見ながら、ふっと母の美乃のことを思った。美乃は時々、別の部屋で、別鍋で炊《た》いた飯を食べる。それは音吉が幼い時からのことだった。
「母さま、どうしてこっちで一緒に食べせん」
音吉が尋《たず》ねると、
「定めやからなあ」
美乃はそう答えるだけだった。女の月の障《さわ》りには、鍋も席も別にする慣《なら》いだったのだ。が、音吉は何の定めか知らなかった。
「あのな……」
久吉は道べの芒《すすき》の穂をぐいと引きぬいて言った。
「音、お琴はもう女になっているんだで」
「女になっている? お琴は生まれた時から女でないか」
「阿呆《あほ》やな。この間までは子供だったわ。女ではなかった」
「けど、女の子でないか」
「わからんな、音は。女になったいうのはな、子を生める体になったということや」
「ふーん」
音吉は何のことか定かにはわからない。だが胸のあたりがもやもやと、妙な心地がした。
「音、女は嫁に行くまで、みんなのものだでな。いつ誰が夜這《よば》いに行っても、かまわんのやで」
「そんな……お琴は俺の……」
「許婚者《いいなずけ》だと言うんやろ。そんなのかまわん」
このあたりの若者たちは、時折《ときおり》大挙して、他の村に夜這いに行く。時には男同士が鉢合《はちあ》わせすることもあった。そんな話は音吉も聞いている。だが、琴の所に他の男がやって来るのは、理不尽な気がした。音吉のその困ったような顔を、久吉はニヤニヤ見ていたが、
「お、木《もく》まんじゅうや」
と、あけびを指さした。卵ほどの大きさのあけびは、紫色に熟していた。久吉は手を伸ばしてそのあけびを取ると、一つ二つ音吉にも与えて、たちまち自分の口を紫にした。音吉はあけびを手に持ったまま、木の間越しに紺青の海を左手に見おろした。まっさおな空を映して、海もまたあくまでも青い。その向こうに鈴鹿山脈がくっきりと見える。二人は頂上に立って少しの間景色を眺《なが》めた。音吉は、青い海を眺めているうちに、何かたまらなく琴がいとしくなった。胸をしめつけられるような思いなのだ。こんな気持ちになったのは初めてだった。
「何を考えとる。行こう行こう」
久吉は三つ目のあけびを口に入れながら言った。歩き出すと、向こうから子供が二、三人、竹鉄砲を打ちながらやって来た。すぽっ、すぽっと快い音がする。槙《まき》の実を弾丸《たま》にしているのだ。去年まで、音吉も槙の実で同じことをして遊んだ。が、今年はもう竹鉄砲をつくる気にはならない。音吉も少しずつ、子供の世界から大人の世界に移りつつあった。
やがて二人は小山を越えて、田上への田舎《いなか》道を歩いていた。両側に狭い稲田がつづく。右手の山に炭焼きの煙が白く立ちのぼっている。このあたりの炭はうばめがしを焼いてつくる。叩《たた》くと金属音を発するほどの硬さだ。うなぎの蒲焼《かばや》きに向く炭だ。
「あ、もう血の池だ」
音吉が言い、道べの池を指さした。
「血の池? ああ義朝《よしとも》の首を洗った所な。只《ただ》の古池でな。珍しくもないわ」
久吉は興味がなさそうに言った。が、音吉は小さなその古池に、良参寺の地獄極楽の絵を思った。ここでまさしく源義朝の首が洗われたのだ。何百年も前の話にせよ、その事実があったことに、音吉は感ずるものがあった。
この近在で、大人も子供も、義朝の名を知らぬ者はない。近くに内扇《うとげ》という村落がある。内扇では、正月の十五日間は餠《もち》を食べず、強飯《こわめし》を手づかみで食う習慣がある。それは謀殺《ぼうさつ》された源義朝への同情からであった。
平治《へいじ》元年(一一五九)十二月二十八日、源義朝は四人の従者を従えて都から落ちて来た。六波羅《ろくはら》の合戦で、平家に破れたからである。従者の一人|鎌田政家《かまたまさいえ》の舅《しゆうと》、長田忠致《おさだただむね》が野間の荘園《しようえん》の司《つかさ》であったからだ。
長田の館《やかた》に至る途中、義朝一行は内扇に着いた。折《おり》から農家では、正月の餠《もち》つきの為に米をふかしていた。空腹と疲れに義朝は餠のつき上がるのを待てず、その強飯《こわめし》を手づかみで食った。
その日義朝一行は長田の館に辿《たど》り着いた。長田一族は娘婿《むすめむこ》の主君義朝を、下へもおかぬもてなしをしたが、年が明けるや長田は変心した。義朝の首を平清盛《たいらのきよもり》に献じて、恩賞を得ようとしたのである。
こうして正月二日、先ず鎌田政家が殺され、翌三日、その変事を知らぬ義朝は入浴中不覚にも謀殺《ぼうさつ》された。
この義朝に、内扇の人々は同情して、今もなお正月に強飯を手づかみで食べるのだ。音吉も久吉も、寺子屋で、良参寺の和尚《おしよう》から幾度となく聞いて知っている。
「せめて木太刀《こだち》の一本でもあらば……」
と、義朝が無念の最期《さいご》を遂げた話は、幾度聞いても音吉の心に沁《し》みる。自分がその場にいたなら、鎌《かま》でも鍬《くわ》でも義朝に差し出して助太刀したものをと思うのだ。
義朝の首を挙げた長田は、池の水に首の血を洗って清盛に届けたが、この池が今も血の池と言われる九間に三間程の半月型の池なのだ。「只《ただ》の池」と久吉が言ったが、義朝の死後、世に凶事《きようじ》がある度に、この池は血のように赤くなると伝えられていた。音吉はなぜかそれが信じられるのだ。
血の池を過ぎて少し行くと、右手に磔《はりつけ》の松と言われる大きな松の木がある。長田は義朝の首を平家に献じたが、平|重盛《しげもり》の怒りを買って、何の恩賞をも与えられなかった。只、壱岐守《いきのかみ》という名を与えられたに過ぎない。やがて平家が衰え、頼朝の時代が来た。頼朝は義朝の長子である。長田父子は、最早《もはや》身の置く場所もない。止むを得ず自らの罪状を頼朝の前に申し出た。その長田に頼朝は言った。天下|平定《へいてい》の暁《あかつき》は美濃尾張《みのおわり》を汝《なんじ》に与えるであろう。感奮《かんぷん》した長田父子は大いに軍功を立て、やがて頼朝に召し出された。このくだりの話が、音吉は好きだ。和尚《おしよう》の言葉によれば、
「さあ喜んだのは長田|父子《おやこ》じゃ。約束どおり『美濃尾張』を賜《たまわ》る日が来たとな。長田父子は喜び勇んで頼朝公の前にまかり出た。するとな、頼朝公は長田父子をはったと睨《にら》み、この裏切り者|奴《め》が、今日こそ約束どおり、『身の終わり[#「身の終わり」に傍点]』を与えてやろうぞ、と縄《なわ》でぐるぐる巻きにし、磔《はりつけ》の松に打ちつけたのじゃ。長田父子は色を失ったがもう遅い。その時の辞世《じせい》がこうじゃ。
朝飯が終わるとすぐ、二人は源六に呼ばれた。
「この手紙はな、音吉。大事な手紙だでな、落とさずに伝八の所に届けるのだぞ」
言われて渡された手紙を、音吉は源六の前でくるくると風呂敷に包んだ。そして、途中でほどけぬように、音吉は風呂敷のまん中を細ひもで結んだ。
「うん、相変わらず音吉は周到じゃのう」
源六は満足げにうなずき、
「伝八はきっと、畠《はたけ》の物を何か背負わせてくれるにちがいない。久吉も大きな風呂敷を持って行くがええ」
言われて、二人は揃《そろ》って外へ出た。
外へ出るや否や久吉は、
「俺、使いが大好きや。走ろう」
と、音吉を促した。
「どうして走る?」
「どうしてって、音、走ったら時間が浮くがな。山には木《もく》まんじゅう(あけび)や、茸《きのこ》がたくさんあるだでな」
そう言いながら、久吉は走り出していた。が、たちまち二人共|片腹《かたはら》が痛くなった。
「いかん、食べてすぐ走るのは」
久吉ががっかりしたように言い、二人は顔を見合わせて笑った。
久吉が熱田から戻《もど》っておよそ四十日になる。長助が江戸に行ったと知った時、又平は激怒《げきど》した。そして長助の代わりに、久吉を源六の家に奉行させることにしてしまった。
今まで音吉がしていた庭|掃《は》き、水汲《みずく》み、拭《ふ》き掃除《そうじ》などは久吉がするようになった。が、音吉は樋口家の将来の跡取りとして、算盤《そろばん》や字を習うために、仕事の合間を見ては、良参寺の寺子屋にやられるようになった。音吉の仕事は、ほとんど源六の傍《そば》にいて、源六の小間使いをすることであった。
源六が外に出る時は、必ず音吉が供をする。こうして音吉は、源六から、千石船《せんごくぶね》の生活や体験、その他様々な知識を毎日のように与えられるようになった。
久吉は、琴と音吉が許婚者《いいなずけ》になったと聞いた時、目を丸くして驚いたが、すぐににやりとして音吉の耳にささやいた。
「音吉、俺とお前で、お琴ば仲間にせんか」
「仲間?」
「そうや。別に減ることあらせん。お前だけでひとりじめすることはないでな」
「そ、そんな」
驚く音吉に、
「何や、俺とお前は、友だちやないか。けちけちするな」
「けちとちがう!」
音吉が気色《けしき》ばむと、久吉は、
「阿呆《あほ》やなあ。冗談や、冗談や」
と、笑ったものだった。それ以来、音吉は何となく久吉の言葉が気にかかる。
(あれは冗談や)
そうは思っても気にかかる。
道べの白い芒《すすき》が秋日に輝く。松の幹に絡まる葛《つた》の葉はまだ色づかない。山道にかかった二人の耳に、潮騒《しおさい》がひびく。
同じ家に奉公するようになったが、二人がゆっくりと話し合う暇はない。音吉はいつも源六の傍《そば》にいるからだ。久吉が来てからは、音吉は源六の隣室に寝るように命じられた。
「なあ。音吉。今朝、お琴はみんなと一緒に飯食わなかったな」
久吉はにやにやした。
「そうやったな」
音吉もそのことは気になっていた。
「お琴は、ほかの部屋で、一人で飯食ってたな」
「ふーん。そうか」
音吉はそこまでは気がつかなかった。
「なんでか、知っとるか」
御蔭参《おかげまい》りから帰って来た久吉は、体も一段と大きくなった。
「知らん。どうしてや?」
音吉が答えた時、久吉が、
「や、でんでん虫や」
と、傍《かたわ》らの茅《かや》の根に手を伸ばした。でんでん虫はついと頭をちぢめた。久吉は自分の肩にでんでん虫をのせ、
「音は何も知らん奴《やつ》やな。俺が来てから、お琴はこれで二度目の別鍋《べつなべ》やでえ」
「ふーん」
音吉は山道に映る自分の影を見ながら、ふっと母の美乃のことを思った。美乃は時々、別の部屋で、別鍋で炊《た》いた飯を食べる。それは音吉が幼い時からのことだった。
「母さま、どうしてこっちで一緒に食べせん」
音吉が尋《たず》ねると、
「定めやからなあ」
美乃はそう答えるだけだった。女の月の障《さわ》りには、鍋も席も別にする慣《なら》いだったのだ。が、音吉は何の定めか知らなかった。
「あのな……」
久吉は道べの芒《すすき》の穂をぐいと引きぬいて言った。
「音、お琴はもう女になっているんだで」
「女になっている? お琴は生まれた時から女でないか」
「阿呆《あほ》やな。この間までは子供だったわ。女ではなかった」
「けど、女の子でないか」
「わからんな、音は。女になったいうのはな、子を生める体になったということや」
「ふーん」
音吉は何のことか定かにはわからない。だが胸のあたりがもやもやと、妙な心地がした。
「音、女は嫁に行くまで、みんなのものだでな。いつ誰が夜這《よば》いに行っても、かまわんのやで」
「そんな……お琴は俺の……」
「許婚者《いいなずけ》だと言うんやろ。そんなのかまわん」
このあたりの若者たちは、時折《ときおり》大挙して、他の村に夜這いに行く。時には男同士が鉢合《はちあ》わせすることもあった。そんな話は音吉も聞いている。だが、琴の所に他の男がやって来るのは、理不尽な気がした。音吉のその困ったような顔を、久吉はニヤニヤ見ていたが、
「お、木《もく》まんじゅうや」
と、あけびを指さした。卵ほどの大きさのあけびは、紫色に熟していた。久吉は手を伸ばしてそのあけびを取ると、一つ二つ音吉にも与えて、たちまち自分の口を紫にした。音吉はあけびを手に持ったまま、木の間越しに紺青の海を左手に見おろした。まっさおな空を映して、海もまたあくまでも青い。その向こうに鈴鹿山脈がくっきりと見える。二人は頂上に立って少しの間景色を眺《なが》めた。音吉は、青い海を眺めているうちに、何かたまらなく琴がいとしくなった。胸をしめつけられるような思いなのだ。こんな気持ちになったのは初めてだった。
「何を考えとる。行こう行こう」
久吉は三つ目のあけびを口に入れながら言った。歩き出すと、向こうから子供が二、三人、竹鉄砲を打ちながらやって来た。すぽっ、すぽっと快い音がする。槙《まき》の実を弾丸《たま》にしているのだ。去年まで、音吉も槙の実で同じことをして遊んだ。が、今年はもう竹鉄砲をつくる気にはならない。音吉も少しずつ、子供の世界から大人の世界に移りつつあった。
やがて二人は小山を越えて、田上への田舎《いなか》道を歩いていた。両側に狭い稲田がつづく。右手の山に炭焼きの煙が白く立ちのぼっている。このあたりの炭はうばめがしを焼いてつくる。叩《たた》くと金属音を発するほどの硬さだ。うなぎの蒲焼《かばや》きに向く炭だ。
「あ、もう血の池だ」
音吉が言い、道べの池を指さした。
「血の池? ああ義朝《よしとも》の首を洗った所な。只《ただ》の古池でな。珍しくもないわ」
久吉は興味がなさそうに言った。が、音吉は小さなその古池に、良参寺の地獄極楽の絵を思った。ここでまさしく源義朝の首が洗われたのだ。何百年も前の話にせよ、その事実があったことに、音吉は感ずるものがあった。
この近在で、大人も子供も、義朝の名を知らぬ者はない。近くに内扇《うとげ》という村落がある。内扇では、正月の十五日間は餠《もち》を食べず、強飯《こわめし》を手づかみで食う習慣がある。それは謀殺《ぼうさつ》された源義朝への同情からであった。
平治《へいじ》元年(一一五九)十二月二十八日、源義朝は四人の従者を従えて都から落ちて来た。六波羅《ろくはら》の合戦で、平家に破れたからである。従者の一人|鎌田政家《かまたまさいえ》の舅《しゆうと》、長田忠致《おさだただむね》が野間の荘園《しようえん》の司《つかさ》であったからだ。
長田の館《やかた》に至る途中、義朝一行は内扇に着いた。折《おり》から農家では、正月の餠《もち》つきの為に米をふかしていた。空腹と疲れに義朝は餠のつき上がるのを待てず、その強飯《こわめし》を手づかみで食った。
その日義朝一行は長田の館に辿《たど》り着いた。長田一族は娘婿《むすめむこ》の主君義朝を、下へもおかぬもてなしをしたが、年が明けるや長田は変心した。義朝の首を平清盛《たいらのきよもり》に献じて、恩賞を得ようとしたのである。
こうして正月二日、先ず鎌田政家が殺され、翌三日、その変事を知らぬ義朝は入浴中不覚にも謀殺《ぼうさつ》された。
この義朝に、内扇の人々は同情して、今もなお正月に強飯を手づかみで食べるのだ。音吉も久吉も、寺子屋で、良参寺の和尚《おしよう》から幾度となく聞いて知っている。
「せめて木太刀《こだち》の一本でもあらば……」
と、義朝が無念の最期《さいご》を遂げた話は、幾度聞いても音吉の心に沁《し》みる。自分がその場にいたなら、鎌《かま》でも鍬《くわ》でも義朝に差し出して助太刀したものをと思うのだ。
義朝の首を挙げた長田は、池の水に首の血を洗って清盛に届けたが、この池が今も血の池と言われる九間に三間程の半月型の池なのだ。「只《ただ》の池」と久吉が言ったが、義朝の死後、世に凶事《きようじ》がある度に、この池は血のように赤くなると伝えられていた。音吉はなぜかそれが信じられるのだ。
血の池を過ぎて少し行くと、右手に磔《はりつけ》の松と言われる大きな松の木がある。長田は義朝の首を平家に献じたが、平|重盛《しげもり》の怒りを買って、何の恩賞をも与えられなかった。只、壱岐守《いきのかみ》という名を与えられたに過ぎない。やがて平家が衰え、頼朝の時代が来た。頼朝は義朝の長子である。長田父子は、最早《もはや》身の置く場所もない。止むを得ず自らの罪状を頼朝の前に申し出た。その長田に頼朝は言った。天下|平定《へいてい》の暁《あかつき》は美濃尾張《みのおわり》を汝《なんじ》に与えるであろう。感奮《かんぷん》した長田父子は大いに軍功を立て、やがて頼朝に召し出された。このくだりの話が、音吉は好きだ。和尚《おしよう》の言葉によれば、
「さあ喜んだのは長田|父子《おやこ》じゃ。約束どおり『美濃尾張』を賜《たまわ》る日が来たとな。長田父子は喜び勇んで頼朝公の前にまかり出た。するとな、頼朝公は長田父子をはったと睨《にら》み、この裏切り者|奴《め》が、今日こそ約束どおり、『身の終わり[#「身の終わり」に傍点]』を与えてやろうぞ、と縄《なわ》でぐるぐる巻きにし、磔《はりつけ》の松に打ちつけたのじゃ。長田父子は色を失ったがもう遅い。その時の辞世《じせい》がこうじゃ。
永らえて命ばかりは壱岐守《いきのかみ》
美濃尾張をば今ぞ賜《たまわ》る」
美濃尾張をば今ぞ賜《たまわ》る」
子供たちはここで、げらげらと笑う。幾度も聞いているが、誰も飽きる者はない。
「あれが長田の松やな」
久吉は両手をひろげ、白目《しろめ》をむき、舌を長く出して磔になった姿をして見せる。
「磔になるのは悪人やなあ、久吉」
「そうよ。切腹《せつぷく》ならまだしも、磔は恥さらしやからな」
音吉は、ひときわ太い老松に目をとめる。長田父子の最期《さいご》の形相《ぎようそう》が目に浮かぶ。血の池と言い、磔の松と言い、生まじめな音吉には、血なまぐさい地獄の中を行くような気持ちだ。が、久吉は不意に、手ぶりもおかしく踊りはじめた。
「御蔭《おかげ》でさ、するりとな、脱《ぬ》けたとさ」
踊りながら久吉は、音吉にも踊れと言う。音吉は首を横にふった。
「あっちから人が来るでえ」
向こうから竹馬に乗った子供が二人やって来る。
「かまわんがな」
久吉は言ったが、ひょいと思い出したように、
「音吉、お前、お琴の乳房《ちち》をつかんだ男を覚えているやろ」
と、踊りをやめた。
「ああ、知っとる。岩松と言う舵取《かじと》りやろ」
「へえー、岩松と言うのかあの男。俺な、あの男に熱田で会ったわ」
「熱田で?」
「そうや。あの男、強いでえ」
久吉は截断橋《さいだんばし》の上で、岩松に助けられた時のことを詳しく話した。
「そうかあ。危なかったなあ」
「なあに、いざとなりゃあ、川に飛びこむつもりだったでな」
久吉は威張って見せた。そして不意に声を低め、
「音吉、あの人の嫁さんな、観音《かんのん》さまみたいだで。きれいで、やさしうて」
大げさにうっとりした顔を、久吉は空に向けた。白い小さな雲がひとひら、北のほうに遠く浮かんでいる。
「ふーん。そんなにきれいか」
お琴より美しくはないだろうと音吉は思った。
「きれいも何も、あんな顔は見たことないわ。小野浦にも野間にも、あんなのは一人もおらん」
「一人も?」
音吉は不服だった。
「お琴なんか、及びもつかんでえ」
久吉はからかうように言った。音吉は赤くなって足を速めた。が、あの岩松の妻が美しくやさしいと聞いて、何かひどく不思議な気がした。
「久吉、あの岩松って、いい人やろか、悪い人やろか」
「そうやなあ。多分悪い男やろ」
けろりとして久吉は言う。
「だって、お前助けられたんやろ」
「助けたは助けたけど、あれは気が向いたからやったことよ。あの後な、あいつ、つばもひっかけんでえ」
久吉は岩松に冷たくあしらわれたことを、忘れてはいない。
「俺はそんなに悪い人やないと思うがな」
「お琴の乳房をつかんでもか」
「そんなこと、久吉でもするやろが」
「なにい? 音吉、お前いつから一人前の口を利くようになったんや」
久吉は目をむいて見せたが、
「音の言うとおりや。お琴の乳房をつかむくらい、朝飯前や。音吉気をつけるとええで。俺は何をするかわからん男だでな」
と、げらげら笑った。音吉は、久吉を不思議な人間だと思う。いつも喧嘩《けんか》になりそうな所で、喧嘩にならない。強引《ごういん》かと思うと、ひょいと退《ひ》く。怒ったかと思うと、急に笑う。久吉は憎めない友だちだった。
「あのな、音吉。あの岩松という男は、もう千石船《せんごくぶね》に乗らんそうや」
「ふーん、なしてや」
「長助と同じや。御蔭参《おかげまい》りに脱《ぬ》け出して、もう船に乗りとうなくなったんや。無理もないわ。あんなやさしい嫁さん持っていたら、そりゃあ、自分の家にいるのが一番いいでな」
久吉は岩松の妻絹から、岩松はもう千石船に乗らないと聞いて来たのだ。だが久吉は知らなかった。岩松が家に帰って半月後に、同じ長屋の銀次が引っ越して行ったことを。そしてその銀次のために、岩松が千石船に戻《もど》らなかったことを。
「したらもう、あの人には会えせんのか」
音吉は、兄の吉治郎と共に、宝順丸にしのびこんだ夜のことを思い出した。どっしりと重い米包みを、音吉に返してくれた岩松に、もう一度会いたいような気がした。
いつの間にか二人は、一里近い道を歩いて、小作頭《こさくがしら》の伝八の家に近づいていた。
「あれが長田の松やな」
久吉は両手をひろげ、白目《しろめ》をむき、舌を長く出して磔になった姿をして見せる。
「磔になるのは悪人やなあ、久吉」
「そうよ。切腹《せつぷく》ならまだしも、磔は恥さらしやからな」
音吉は、ひときわ太い老松に目をとめる。長田父子の最期《さいご》の形相《ぎようそう》が目に浮かぶ。血の池と言い、磔の松と言い、生まじめな音吉には、血なまぐさい地獄の中を行くような気持ちだ。が、久吉は不意に、手ぶりもおかしく踊りはじめた。
「御蔭《おかげ》でさ、するりとな、脱《ぬ》けたとさ」
踊りながら久吉は、音吉にも踊れと言う。音吉は首を横にふった。
「あっちから人が来るでえ」
向こうから竹馬に乗った子供が二人やって来る。
「かまわんがな」
久吉は言ったが、ひょいと思い出したように、
「音吉、お前、お琴の乳房《ちち》をつかんだ男を覚えているやろ」
と、踊りをやめた。
「ああ、知っとる。岩松と言う舵取《かじと》りやろ」
「へえー、岩松と言うのかあの男。俺な、あの男に熱田で会ったわ」
「熱田で?」
「そうや。あの男、強いでえ」
久吉は截断橋《さいだんばし》の上で、岩松に助けられた時のことを詳しく話した。
「そうかあ。危なかったなあ」
「なあに、いざとなりゃあ、川に飛びこむつもりだったでな」
久吉は威張って見せた。そして不意に声を低め、
「音吉、あの人の嫁さんな、観音《かんのん》さまみたいだで。きれいで、やさしうて」
大げさにうっとりした顔を、久吉は空に向けた。白い小さな雲がひとひら、北のほうに遠く浮かんでいる。
「ふーん。そんなにきれいか」
お琴より美しくはないだろうと音吉は思った。
「きれいも何も、あんな顔は見たことないわ。小野浦にも野間にも、あんなのは一人もおらん」
「一人も?」
音吉は不服だった。
「お琴なんか、及びもつかんでえ」
久吉はからかうように言った。音吉は赤くなって足を速めた。が、あの岩松の妻が美しくやさしいと聞いて、何かひどく不思議な気がした。
「久吉、あの岩松って、いい人やろか、悪い人やろか」
「そうやなあ。多分悪い男やろ」
けろりとして久吉は言う。
「だって、お前助けられたんやろ」
「助けたは助けたけど、あれは気が向いたからやったことよ。あの後な、あいつ、つばもひっかけんでえ」
久吉は岩松に冷たくあしらわれたことを、忘れてはいない。
「俺はそんなに悪い人やないと思うがな」
「お琴の乳房をつかんでもか」
「そんなこと、久吉でもするやろが」
「なにい? 音吉、お前いつから一人前の口を利くようになったんや」
久吉は目をむいて見せたが、
「音の言うとおりや。お琴の乳房をつかむくらい、朝飯前や。音吉気をつけるとええで。俺は何をするかわからん男だでな」
と、げらげら笑った。音吉は、久吉を不思議な人間だと思う。いつも喧嘩《けんか》になりそうな所で、喧嘩にならない。強引《ごういん》かと思うと、ひょいと退《ひ》く。怒ったかと思うと、急に笑う。久吉は憎めない友だちだった。
「あのな、音吉。あの岩松という男は、もう千石船《せんごくぶね》に乗らんそうや」
「ふーん、なしてや」
「長助と同じや。御蔭参《おかげまい》りに脱《ぬ》け出して、もう船に乗りとうなくなったんや。無理もないわ。あんなやさしい嫁さん持っていたら、そりゃあ、自分の家にいるのが一番いいでな」
久吉は岩松の妻絹から、岩松はもう千石船に乗らないと聞いて来たのだ。だが久吉は知らなかった。岩松が家に帰って半月後に、同じ長屋の銀次が引っ越して行ったことを。そしてその銀次のために、岩松が千石船に戻《もど》らなかったことを。
「したらもう、あの人には会えせんのか」
音吉は、兄の吉治郎と共に、宝順丸にしのびこんだ夜のことを思い出した。どっしりと重い米包みを、音吉に返してくれた岩松に、もう一度会いたいような気がした。
いつの間にか二人は、一里近い道を歩いて、小作頭《こさくがしら》の伝八の家に近づいていた。