男たちはくり返しうたいながら踊る。太鼓がひびく。鳴り物が鳴る。男たちは狂ったように踊る。いつのまにか土地の者たちが、それを取り囲んでぞろぞろとついて歩く。その踊りの列が、岩松たち三人の傍《そば》に近づいて来た。と、先頭に立った呪術師が立ちどまった。ひと目で三人が他の民族であることを呪術師は見て取ったのだ。踊っていた男たちもそれに気づいた。歌が止み、踊りが止み、鳴り物が音をひそめた。男たちも三人を取り囲んだ。呪術師が何か言った。すると土地の者が何か答えた。
「チャー・バッテイ?(酋長《しゆうちよう》)」
呪術師が聞き返した。酋長の家の奴隷《どれい》だと誰かが告げたのだ。呪術師は三人の傍に屈《かが》みこんで、岩松、久吉、音吉の順に、ゆっくりと顔を眺《なが》めた。岩松はその呪術師の目を、まばたきもせずに見返した。呪術師はやさしいまなざしをしていた。
(この男なら、願いを聞いてくれるかも知れない!)
岩松の胸が高鳴った。その岩松に、
「ワー・アス・アー・テ・クレイク(どこから来たのか)」
呪術師が聞いた。音吉が、
「日本」
と、海の彼方《かなた》を指さした。どこから来たのかという言葉は、土地の者から何度も問われて、覚えていた。
「日本」
岩松も答えた。
「ニッポン?」
呪術師は腕を組んで、考えるように首をかたむけた。土地の者たちはがやがやと喋《しやべ》り出した。浜の上に打ち上げられている宝順丸を指さし、
「ニッポン、ニッポン」
と言い立てた。呪術師は三人の体の臭いを嗅《か》ぎ、手にさわり、足にさわって、
「コ・スロ(奴隷《どれい》)」
と呟《つぶや》いた。その声に嘆きがこもっているように、岩松には聞こえた。
不意に、呪術師が大声で何か言った。男たちはあわてて列をつくり、うたい踊りながら、再び練り始めた。
「チャー・バッテイ?(酋長《しゆうちよう》)」
呪術師が聞き返した。酋長の家の奴隷《どれい》だと誰かが告げたのだ。呪術師は三人の傍に屈《かが》みこんで、岩松、久吉、音吉の順に、ゆっくりと顔を眺《なが》めた。岩松はその呪術師の目を、まばたきもせずに見返した。呪術師はやさしいまなざしをしていた。
(この男なら、願いを聞いてくれるかも知れない!)
岩松の胸が高鳴った。その岩松に、
「ワー・アス・アー・テ・クレイク(どこから来たのか)」
呪術師が聞いた。音吉が、
「日本」
と、海の彼方《かなた》を指さした。どこから来たのかという言葉は、土地の者から何度も問われて、覚えていた。
「日本」
岩松も答えた。
「ニッポン?」
呪術師は腕を組んで、考えるように首をかたむけた。土地の者たちはがやがやと喋《しやべ》り出した。浜の上に打ち上げられている宝順丸を指さし、
「ニッポン、ニッポン」
と言い立てた。呪術師は三人の体の臭いを嗅《か》ぎ、手にさわり、足にさわって、
「コ・スロ(奴隷《どれい》)」
と呟《つぶや》いた。その声に嘆きがこもっているように、岩松には聞こえた。
不意に、呪術師が大声で何か言った。男たちはあわてて列をつくり、うたい踊りながら、再び練り始めた。
こいつはとっても いい男
鯨《くじら》を獲るのは 誰よりうまい
鯨《くじら》を獲るのは 誰よりうまい
土地の者たちも手拍子《てびようし》をとって一緒にうたい出した。が、呪術師はその行列には入らず、岩松たちに盛んに何か問いかけた。が、その言葉が三人にはわからない。
(今だ! 頼むなら今だ!)
岩松は心が焦《あせ》る。しかし手紙を頼むことは命がけのことであった。踊りがつづく。歌声が高まり、太鼓や鳴り物が一層大きく響き始めた。
(今頼まなきゃあ!)
岩松は腹に巻きつけていた手紙に手をやった。そして思い切って、それを呪術師の前に置いた。呪術師は怪訝《けげん》な顔をした。岩松は頭を砂にすりつけ、手を合わせた。呪術師は不審な顔をし、杉の皮の包みをほどこうとした。
「ここでは駄目《だめ》だ!」
岩松は手を横にふり、肩を出して、鞭《むち》に打たれた跡を見せた。音吉も久吉も、手を合わせて、幾度も頭を下げた。岩松は呪術師に、懐《ふところ》に手紙を入れてくれるように手真似《てまね》で頼んだ。呪術師は大きくうなずき、三人に向かって、唇《くちびる》に指を当てて見せた。三人も唇に指を当てた。誰にも言わないでほしいという願いをこめたのだ。
呪術師が立ち上がった。音吉の鼻に汗が浮いていた。岩松も肩で息をしていた。久吉はぼんやりと、呪術師のうしろ姿を眺《なが》めていた。ほんの僅《わず》かの時間であった。が、三人は全力を出し切った思いだった。
呪術師が列の中に入って行くや否や、酋長《しゆうちよう》たちの家の前を練っていた男たちの踊りと歌がぱたりと止んだ。三人はどきりとして顔を見合わせた。が、それは三人に関わりのないことであった。先程《さきほど》カヌーの上で挨拶《あいさつ》をした若者が、演説を始めた。
「酋長、そして酋長の家族の方々、そしてかわいいピーコー。今、仲間たちがうたったのは、本当のことだ。わしは今まで鯨《くじら》を獲り損ねたことは只《ただ》の一度もない。わしの投げるモリは、必ず鯨に命中するからだ。カヌーの競争だって、人に負けたことがない。もし嘘《うそ》だと思うなら、この土地一番の漕《こ》ぎ手と競争してみてもいい、全くわしほどの男は、このあたりにはいない筈《はず》だ」
自信に満ちた語調で、若者は自分を讃《たた》える。相手を讃えるのではない。一区切りごとに仲間たちが拍手《はくしゆ》をし、合《あい》の手を入れる。若者は言葉をつづける。
「ピーコーよ、他の男に嫁《とつ》ぐより、わしの所に来たほうが幸せに決まっている。もし、毛布五十枚で不足だというなら、明日また持って来てもよい。どうかよくよく考えてくれ。わしほどの男がいるか、どうか」
演説は長々とつづいた。それが終わると、再び歌が始まり、踊りがくり返された。
「舵取《かじと》りさん、うまく行ったなあ」
「さて、それはわからん」
岩松は首を横にふった。
「わからん?」
「手紙を渡す所を誰が見ていたかわからん」
「大丈夫や、みんな行列について行ったでな。酋長《しゆうちよう》の家からは、こっちは見えん。間にちょうど行列があったでな」
久吉が答えた。
「そんなら安心だ」
「只な、舵取りさん、あの手紙をもらっても、読める者あらせんでなあ」
音吉がいう。
「読めんでもええ。あの手紙は一つの証拠や。ここに、他国の者が流れついているという証拠だでな」
「だけど……」
久吉が頭をひねって、
「字が読めんかったら、そんなことわからせんやろ」
「字など読めんでもええのだ。手渡された者が、口から口に言い伝えるでな。あの土地によそ者が流れついていた。何やらわからんが、書いた物を渡された。これはきっと助けてくれということや。肩には鞭《むち》の跡もあった。かわいそうや、気の毒や。そう言って、人の噂《うわさ》にのぼるやろ」
岩松はより糸をよる手を休めない。
「なるほど。そう言えばそうやな。字など読めんでも、誰かが口で伝えてくれるわな。だけど、それが、逆に酋長《しゆうちよう》や蝮《まむし》の耳に入ったら、これは大変やで」
「その時はその時だ」
「そうか、その時はその時か。けど、下手をしたら殺されるかも知れせんのやな」
久吉は不意にしょぼんと言った。
「いざとなりゃあ、山越えに逃げる工夫もあるわ」
岩松の言葉に、音吉は目を輝かせて、
「そうやな、舵取《かじと》りさん。ここは陸つづきだでな」
久吉はしかし首を横にふり、
「けどな、逃げて行った先に、もっと恐ろしい人間がいるかも知れせんのやで」
「それもそうやな」
音吉が言い、三人は黙った。
歌が止み、踊りが止んだ。が、酋長の家からは誰一人外には出て来なかった。毛布五十枚では、ピーコーは嫁《とつ》がせる訳にはいかないという意思表示だった。男たちは遂に諦《あきら》め、呪術師を先頭に立て、毛布をかついでカヌーに戻《もど》って行った。
三人は祈る思いで、カヌーの去って行くのを見送った。あの手紙が、果たして吉と出るのか、凶と出るのか、祈る思いで、島蔭《しまかげ》に去って行くカヌーを三人はみつめていた。
と、うしろで不意に大声がした。
「ウィー・ワイ!(怠け者が)」
「ちえっ、蝮《まむし》や」
久吉が首をすくめ、あわてて三人は糸をより始めた。が、既《すで》に遅かった。最初の一鞭《ひとむち》が久吉の背に打ちおろされ、次の鞭が岩松の肩をしたたかに打っていた。岩松はぎゅっと唇《くちびる》を噛《か》んだが、糸をよる手をとめなかった。
アー・ダンクはしかし、なぜか音吉には鞭を当てずに去って行った。
「うー、痛え。今日のは特別痛かったわ」
久吉は口を尖《とが》らせたが、岩松は何も言わない。
「ほんとに痛かったやろな」
音吉は二人にすまなそうに声をかけた。
「飯《めし》は子供の食い残し、ちょっと手を休めりゃ鞭が鳴る。全く牛馬《ぎゆうば》扱いや」
久吉が愚痴《ぐち》った。岩松は黙って、海の彼方《かなた》に目をやった。空との境もさだかでない早春の海であった。
(今だ! 頼むなら今だ!)
岩松は心が焦《あせ》る。しかし手紙を頼むことは命がけのことであった。踊りがつづく。歌声が高まり、太鼓や鳴り物が一層大きく響き始めた。
(今頼まなきゃあ!)
岩松は腹に巻きつけていた手紙に手をやった。そして思い切って、それを呪術師の前に置いた。呪術師は怪訝《けげん》な顔をした。岩松は頭を砂にすりつけ、手を合わせた。呪術師は不審な顔をし、杉の皮の包みをほどこうとした。
「ここでは駄目《だめ》だ!」
岩松は手を横にふり、肩を出して、鞭《むち》に打たれた跡を見せた。音吉も久吉も、手を合わせて、幾度も頭を下げた。岩松は呪術師に、懐《ふところ》に手紙を入れてくれるように手真似《てまね》で頼んだ。呪術師は大きくうなずき、三人に向かって、唇《くちびる》に指を当てて見せた。三人も唇に指を当てた。誰にも言わないでほしいという願いをこめたのだ。
呪術師が立ち上がった。音吉の鼻に汗が浮いていた。岩松も肩で息をしていた。久吉はぼんやりと、呪術師のうしろ姿を眺《なが》めていた。ほんの僅《わず》かの時間であった。が、三人は全力を出し切った思いだった。
呪術師が列の中に入って行くや否や、酋長《しゆうちよう》たちの家の前を練っていた男たちの踊りと歌がぱたりと止んだ。三人はどきりとして顔を見合わせた。が、それは三人に関わりのないことであった。先程《さきほど》カヌーの上で挨拶《あいさつ》をした若者が、演説を始めた。
「酋長、そして酋長の家族の方々、そしてかわいいピーコー。今、仲間たちがうたったのは、本当のことだ。わしは今まで鯨《くじら》を獲り損ねたことは只《ただ》の一度もない。わしの投げるモリは、必ず鯨に命中するからだ。カヌーの競争だって、人に負けたことがない。もし嘘《うそ》だと思うなら、この土地一番の漕《こ》ぎ手と競争してみてもいい、全くわしほどの男は、このあたりにはいない筈《はず》だ」
自信に満ちた語調で、若者は自分を讃《たた》える。相手を讃えるのではない。一区切りごとに仲間たちが拍手《はくしゆ》をし、合《あい》の手を入れる。若者は言葉をつづける。
「ピーコーよ、他の男に嫁《とつ》ぐより、わしの所に来たほうが幸せに決まっている。もし、毛布五十枚で不足だというなら、明日また持って来てもよい。どうかよくよく考えてくれ。わしほどの男がいるか、どうか」
演説は長々とつづいた。それが終わると、再び歌が始まり、踊りがくり返された。
「舵取《かじと》りさん、うまく行ったなあ」
「さて、それはわからん」
岩松は首を横にふった。
「わからん?」
「手紙を渡す所を誰が見ていたかわからん」
「大丈夫や、みんな行列について行ったでな。酋長《しゆうちよう》の家からは、こっちは見えん。間にちょうど行列があったでな」
久吉が答えた。
「そんなら安心だ」
「只な、舵取りさん、あの手紙をもらっても、読める者あらせんでなあ」
音吉がいう。
「読めんでもええ。あの手紙は一つの証拠や。ここに、他国の者が流れついているという証拠だでな」
「だけど……」
久吉が頭をひねって、
「字が読めんかったら、そんなことわからせんやろ」
「字など読めんでもええのだ。手渡された者が、口から口に言い伝えるでな。あの土地によそ者が流れついていた。何やらわからんが、書いた物を渡された。これはきっと助けてくれということや。肩には鞭《むち》の跡もあった。かわいそうや、気の毒や。そう言って、人の噂《うわさ》にのぼるやろ」
岩松はより糸をよる手を休めない。
「なるほど。そう言えばそうやな。字など読めんでも、誰かが口で伝えてくれるわな。だけど、それが、逆に酋長《しゆうちよう》や蝮《まむし》の耳に入ったら、これは大変やで」
「その時はその時だ」
「そうか、その時はその時か。けど、下手をしたら殺されるかも知れせんのやな」
久吉は不意にしょぼんと言った。
「いざとなりゃあ、山越えに逃げる工夫もあるわ」
岩松の言葉に、音吉は目を輝かせて、
「そうやな、舵取《かじと》りさん。ここは陸つづきだでな」
久吉はしかし首を横にふり、
「けどな、逃げて行った先に、もっと恐ろしい人間がいるかも知れせんのやで」
「それもそうやな」
音吉が言い、三人は黙った。
歌が止み、踊りが止んだ。が、酋長の家からは誰一人外には出て来なかった。毛布五十枚では、ピーコーは嫁《とつ》がせる訳にはいかないという意思表示だった。男たちは遂に諦《あきら》め、呪術師を先頭に立て、毛布をかついでカヌーに戻《もど》って行った。
三人は祈る思いで、カヌーの去って行くのを見送った。あの手紙が、果たして吉と出るのか、凶と出るのか、祈る思いで、島蔭《しまかげ》に去って行くカヌーを三人はみつめていた。
と、うしろで不意に大声がした。
「ウィー・ワイ!(怠け者が)」
「ちえっ、蝮《まむし》や」
久吉が首をすくめ、あわてて三人は糸をより始めた。が、既《すで》に遅かった。最初の一鞭《ひとむち》が久吉の背に打ちおろされ、次の鞭が岩松の肩をしたたかに打っていた。岩松はぎゅっと唇《くちびる》を噛《か》んだが、糸をよる手をとめなかった。
アー・ダンクはしかし、なぜか音吉には鞭を当てずに去って行った。
「うー、痛え。今日のは特別痛かったわ」
久吉は口を尖《とが》らせたが、岩松は何も言わない。
「ほんとに痛かったやろな」
音吉は二人にすまなそうに声をかけた。
「飯《めし》は子供の食い残し、ちょっと手を休めりゃ鞭が鳴る。全く牛馬《ぎゆうば》扱いや」
久吉が愚痴《ぐち》った。岩松は黙って、海の彼方《かなた》に目をやった。空との境もさだかでない早春の海であった。