岩松、音吉、久吉は、人々の取り巻く中に、神妙に坐《すわ》っていた。砂浜の上であった。明るい朝の日が、金色に降り注ぐ浜べだ。音吉も久吉も目を丸くして、酋長《しゆうちよう》と話をしている男を見上げていた。立っている男の背は高く、髪の毛は金色であった。ひげも金色だ。額はひろく、血色《けつしよく》のいい頬《ほお》をしていた。何よりも驚いたのは鼻が異様に高く鉤鼻《かぎばな》に見えることと、目の青いことだ。未《いま》だ曾《かつ》て、音吉たちは目の青い人間を見たことがなかった。
酋長とその男の間に立って、通辞《つうじ》を勤めているのは、酋長と同じ部族の人間に見えた。その男も、目の青い男も、一緒に来た者たちすべての服装が、音吉たちの目にはこれまた異様に映った。
(半纏《はんてん》ともちがう)
音吉は、男たちの話し合っている様子を見ながら、その服装に目をやった。
(日本の半纏より細い袖《そで》や。襟《えり》が折れ返っているわ)
音吉はそう思い、
(いやにだぶだぶの股引《ももひ》きやな)
と、そのズボンを見て思った。インデアンの男たちが着る物には袖がない。それだけに、全く他国の人間だということがよくわかった。
三人にはわからなかったが、酋長と話している男はイギリスの商社ハドソン湾会社の商船ラーマ号のマクネイル船長であった。マクネイル船長はアメリカ人であった。ハドソン湾会社は、英領カナダの統治権を握る商社で、カナダの毛皮貿易の独占権を持っていた。マクネイル船長と酋長は突っ立ったまま熱心に話し合っている。
「……このフラッタリー岬に、東洋の船が漂着したということは、ほかのインデアンから聞いて知っていた」
「そんなことは、あんたがたに関係のないことだろう。わしの島に漂着したのだから、この三人はわしの物だ」
酋長はむっとしたように言う。
「なるほど、それがここの考え方か。しかし、わたしたちはちがう。遠い東洋からはるばると流れ着いた苦難を思えば、何とか助けて、そのふるさとに帰してやりたいと思うのだ」
「ふるさとに帰す?」
「そうだ。わたしたちの会社の船は、世界中をめぐっている。わたしたちはこれからフォート・バンクーバーに帰る。それからしばらくして、本国のイギリスに向かう。イギリスのロンドンからマカオに便船がある。マカオはチャイナの一部だ。そうすればこの三人は、ふるさとのチャイナにすぐ帰れる」
「チャイナ? ちがう。こいつらはチャイナではない」
「チャイナではない? そんな筈《はず》はない」
マクネイルは首を横にふった。音吉たちは自分を取り囲んで立っている人々を見上げた。
「いや、こいつらが言った。日本から来たとな」
「ニッポン? おお! ジャパン」
マクネイル船長は大きく両手をひらいて、驚きの表情を見せた。そして、伴《とも》の者たちと何か言い始めた。
ひとしきり話し合った後、船長たちは、
「おお、ジャパニーズ」
と、改めて岩松、久吉、音吉の三人を見た。が、やがて、再び酋長《しゆうちよう》との話し合いを始めた。
「チャイニーズであれ、ジャパニーズであれ、とにかく大変な苦労をして漂流したにちがいない。これ以上ここで奴隷《どれい》生活をさせることは、あまりにむごいことだ」
「むごい? そんなことはない。第一、こいつらは喜んでおとなしく働いている。第一、この三人は、わしらの大事な財産だ。安々と手放すわけにはいかない」
ふだんの酋長に似合わず、居丈高《いたけだか》であった。
「それはわかっている。只《ただ》でつれて行こうとは、むろん考えていない」
船長マクネイルは、青い目を音吉の目に注ぎ、更に久吉、岩松に目を注《と》めて、
「酋長、あんたは今、この日本人たちが喜んで働いていると言った。だがわたしには信じられない」
と、きびしい語調になった。通辞がその言葉を酋長に伝えると、
「なぜだ。こいつらは働き者で、いつも喜んで働いてくれている」
「うそだ」
「うそ? その証拠があるか」
「ある。ここにな」
マクネイル船長は、毛深い手で自分の胸を叩《たた》き、内ポケットからおもむろに一通の手紙を取り出した。音吉ははっと岩松を見た。岩松も驚きの目をその手紙に向けた。マクネイル船長は手紙をひらいて、岩松の前に見せた。そして、手紙を指さし、岩松を指さし、手で書く真似《まね》をした。
「これは君が書いたのだな」
聞いたことのない言葉だが、岩松はうなずいた。通辞がインデアン語で言うと、酋長やアー・ダンクたちが驚きの声を上げた。岩松は悪びれずに、自分の胸を指さし、
「わしが書いた」
と答えると、船長はうなずいて言った。
「酋長、この手紙は、実は五月の二十四日に、ハドソン湾会社のマクラフリン博士の手に渡ったものだ」
「五月二十四日?」
「そうだ。それより前に、実は去年の暮れのうちに、ここにチャイナの船が難破していることを聞いた。それで直ちにマクラフリン博士が救援隊を繰り出した」
通辞がやや甲高《かんだか》い声で取りつぐ。その終わるのを待って船長は言葉をつづけた。
「マクラフリン博士は、この太平洋岸の総責任者なのだ。博士の命令で、人々はやって来たが、冬のことだ。波風が激しくてここまで来る前に断念した。自分たちの命のほうが危険になったからだ」
音吉は初めて聞く言葉にじっと耳を傾けていた。マカハの者たちの言葉とはちがうことが、音吉にもわかった。様々な人間がこの世にいることを、改めて音吉は知った。
(それにしても、やっぱり舵取《かじと》りさんは偉い)
今見た岩松の手紙に、音吉は興奮していた。船長が更に言葉をつづけた。
「わたしたちはこの手紙を見て、一度断念した救援隊を再び出すことにした。それが即《すなわ》ちわたしたちだ。漢字の手紙に何が書いてあるかわからない。だがマクラフリン博士は、これは助けを求める手紙だと、直ちに判断した。そしてこの気の毒な東洋人たちを、全力を尽くして救い出すようにわたしたちに命じた。毛布が必要なら、毛布と取り替えよう。鍋やヤカンが必要なら、それらと取り替えよう。小麦粉や砂糖もどっさりある。バターもある。女の服もある」
船長は熱心に説いた。酋長《しゆうちよう》は両腕を組んで、通辞の言葉に耳を傾けていたが、
「話はわかった。しかしこいつらは信じられないくらいよく働く。少しの物では交換はできない」
「よろしい。とにかく、わたしたちは全力を尽くせと博士に命じられて来た。決して損をかけないように取引をしよう。何とか承知してくれまいか」
酋長がうなずき、
「イワ」
と、岩松を呼んだ。岩松は顔を上げた。酋長としては岩松の処置に苦慮していた。岩松は仕事のできる男だ。宝順丸の中にあった鋸《のこぎり》、斧《おの》、金槌《かなづち》などを使って、手早く箱を作ったり、台を作ったり、木を伐ったりして酋長たちを驚かせた。何をするにも器用な男なのだ。マカハたちがして来たロープ作りや、漁の仕方もまたたくうちに呑《の》みこみ、船の扱いも巧みだった。内心は頼母《たのも》しい男だと思っていた。が、アー・ダンクの妻ヘイ・アイブが、岩松にひと方ならぬ情を見せるようになった。その挙げ句が先頃《さきごろ》の騒ぎとなった。アー・ダンクはピーコーの婚礼の最後の日、岩松の首を刎《は》ねると言って譲らなかった。
(只《ただ》首を刎ねられるより、毛布何枚かと取り替えたほうが、どれほど得になることか)
酋長は内心そう思った。アー・ダンクは絶対の権力者である酋長に対してさえ、岩松の件では譲らなかった。今、自分とアー・ダンクとの間にひびが入ると、何かにつけてやりにくくなる。と言って岩松を殺すのは惜しい。酋長としても、マクネイル船長たちの出現は、文字どおり救いの船であった。
「このイワなら、毛布と取り替えてもよい」
酋長はじろりと、傍《かたわ》らのアー・ダンクを見た。アー・ダンクが不満げに何か言いかけた。
「アー・ダンク! お前は黙ってろ。イワを売る代わり毛布は山わけにしてやる」
アー・ダンクはちょっと考える顔をしたが、にやりと笑ってうなずいた。岩松を殺したところで何の得にもならない。が、新しい毛布がもらえるなら思わぬもうけものだ。船長が言った。
「一人だけか。一人だけでは私たちは困るのだ。三人つれて帰れと、博士は命じたのだ」
「では、二人にしよう。だが、このオトだけは絶対に手放さない。こいつはわしの宝の中の宝だ。これだけは、毛布を何十枚積まれても渡しはせぬ」
「いや、わたしたちは三人をつれて帰らねばならないのだ」
船長は哀願するように言った。
「三人全部と言うのであれば、イワもキュウも渡さぬ。一人も渡さぬ」
さすがに一族の長、酋長は頑強《がんきよう》であった。
酋長とその男の間に立って、通辞《つうじ》を勤めているのは、酋長と同じ部族の人間に見えた。その男も、目の青い男も、一緒に来た者たちすべての服装が、音吉たちの目にはこれまた異様に映った。
(半纏《はんてん》ともちがう)
音吉は、男たちの話し合っている様子を見ながら、その服装に目をやった。
(日本の半纏より細い袖《そで》や。襟《えり》が折れ返っているわ)
音吉はそう思い、
(いやにだぶだぶの股引《ももひ》きやな)
と、そのズボンを見て思った。インデアンの男たちが着る物には袖がない。それだけに、全く他国の人間だということがよくわかった。
三人にはわからなかったが、酋長と話している男はイギリスの商社ハドソン湾会社の商船ラーマ号のマクネイル船長であった。マクネイル船長はアメリカ人であった。ハドソン湾会社は、英領カナダの統治権を握る商社で、カナダの毛皮貿易の独占権を持っていた。マクネイル船長と酋長は突っ立ったまま熱心に話し合っている。
「……このフラッタリー岬に、東洋の船が漂着したということは、ほかのインデアンから聞いて知っていた」
「そんなことは、あんたがたに関係のないことだろう。わしの島に漂着したのだから、この三人はわしの物だ」
酋長はむっとしたように言う。
「なるほど、それがここの考え方か。しかし、わたしたちはちがう。遠い東洋からはるばると流れ着いた苦難を思えば、何とか助けて、そのふるさとに帰してやりたいと思うのだ」
「ふるさとに帰す?」
「そうだ。わたしたちの会社の船は、世界中をめぐっている。わたしたちはこれからフォート・バンクーバーに帰る。それからしばらくして、本国のイギリスに向かう。イギリスのロンドンからマカオに便船がある。マカオはチャイナの一部だ。そうすればこの三人は、ふるさとのチャイナにすぐ帰れる」
「チャイナ? ちがう。こいつらはチャイナではない」
「チャイナではない? そんな筈《はず》はない」
マクネイルは首を横にふった。音吉たちは自分を取り囲んで立っている人々を見上げた。
「いや、こいつらが言った。日本から来たとな」
「ニッポン? おお! ジャパン」
マクネイル船長は大きく両手をひらいて、驚きの表情を見せた。そして、伴《とも》の者たちと何か言い始めた。
ひとしきり話し合った後、船長たちは、
「おお、ジャパニーズ」
と、改めて岩松、久吉、音吉の三人を見た。が、やがて、再び酋長《しゆうちよう》との話し合いを始めた。
「チャイニーズであれ、ジャパニーズであれ、とにかく大変な苦労をして漂流したにちがいない。これ以上ここで奴隷《どれい》生活をさせることは、あまりにむごいことだ」
「むごい? そんなことはない。第一、こいつらは喜んでおとなしく働いている。第一、この三人は、わしらの大事な財産だ。安々と手放すわけにはいかない」
ふだんの酋長に似合わず、居丈高《いたけだか》であった。
「それはわかっている。只《ただ》でつれて行こうとは、むろん考えていない」
船長マクネイルは、青い目を音吉の目に注ぎ、更に久吉、岩松に目を注《と》めて、
「酋長、あんたは今、この日本人たちが喜んで働いていると言った。だがわたしには信じられない」
と、きびしい語調になった。通辞がその言葉を酋長に伝えると、
「なぜだ。こいつらは働き者で、いつも喜んで働いてくれている」
「うそだ」
「うそ? その証拠があるか」
「ある。ここにな」
マクネイル船長は、毛深い手で自分の胸を叩《たた》き、内ポケットからおもむろに一通の手紙を取り出した。音吉ははっと岩松を見た。岩松も驚きの目をその手紙に向けた。マクネイル船長は手紙をひらいて、岩松の前に見せた。そして、手紙を指さし、岩松を指さし、手で書く真似《まね》をした。
「これは君が書いたのだな」
聞いたことのない言葉だが、岩松はうなずいた。通辞がインデアン語で言うと、酋長やアー・ダンクたちが驚きの声を上げた。岩松は悪びれずに、自分の胸を指さし、
「わしが書いた」
と答えると、船長はうなずいて言った。
「酋長、この手紙は、実は五月の二十四日に、ハドソン湾会社のマクラフリン博士の手に渡ったものだ」
「五月二十四日?」
「そうだ。それより前に、実は去年の暮れのうちに、ここにチャイナの船が難破していることを聞いた。それで直ちにマクラフリン博士が救援隊を繰り出した」
通辞がやや甲高《かんだか》い声で取りつぐ。その終わるのを待って船長は言葉をつづけた。
「マクラフリン博士は、この太平洋岸の総責任者なのだ。博士の命令で、人々はやって来たが、冬のことだ。波風が激しくてここまで来る前に断念した。自分たちの命のほうが危険になったからだ」
音吉は初めて聞く言葉にじっと耳を傾けていた。マカハの者たちの言葉とはちがうことが、音吉にもわかった。様々な人間がこの世にいることを、改めて音吉は知った。
(それにしても、やっぱり舵取《かじと》りさんは偉い)
今見た岩松の手紙に、音吉は興奮していた。船長が更に言葉をつづけた。
「わたしたちはこの手紙を見て、一度断念した救援隊を再び出すことにした。それが即《すなわ》ちわたしたちだ。漢字の手紙に何が書いてあるかわからない。だがマクラフリン博士は、これは助けを求める手紙だと、直ちに判断した。そしてこの気の毒な東洋人たちを、全力を尽くして救い出すようにわたしたちに命じた。毛布が必要なら、毛布と取り替えよう。鍋やヤカンが必要なら、それらと取り替えよう。小麦粉や砂糖もどっさりある。バターもある。女の服もある」
船長は熱心に説いた。酋長《しゆうちよう》は両腕を組んで、通辞の言葉に耳を傾けていたが、
「話はわかった。しかしこいつらは信じられないくらいよく働く。少しの物では交換はできない」
「よろしい。とにかく、わたしたちは全力を尽くせと博士に命じられて来た。決して損をかけないように取引をしよう。何とか承知してくれまいか」
酋長がうなずき、
「イワ」
と、岩松を呼んだ。岩松は顔を上げた。酋長としては岩松の処置に苦慮していた。岩松は仕事のできる男だ。宝順丸の中にあった鋸《のこぎり》、斧《おの》、金槌《かなづち》などを使って、手早く箱を作ったり、台を作ったり、木を伐ったりして酋長たちを驚かせた。何をするにも器用な男なのだ。マカハたちがして来たロープ作りや、漁の仕方もまたたくうちに呑《の》みこみ、船の扱いも巧みだった。内心は頼母《たのも》しい男だと思っていた。が、アー・ダンクの妻ヘイ・アイブが、岩松にひと方ならぬ情を見せるようになった。その挙げ句が先頃《さきごろ》の騒ぎとなった。アー・ダンクはピーコーの婚礼の最後の日、岩松の首を刎《は》ねると言って譲らなかった。
(只《ただ》首を刎ねられるより、毛布何枚かと取り替えたほうが、どれほど得になることか)
酋長は内心そう思った。アー・ダンクは絶対の権力者である酋長に対してさえ、岩松の件では譲らなかった。今、自分とアー・ダンクとの間にひびが入ると、何かにつけてやりにくくなる。と言って岩松を殺すのは惜しい。酋長としても、マクネイル船長たちの出現は、文字どおり救いの船であった。
「このイワなら、毛布と取り替えてもよい」
酋長はじろりと、傍《かたわ》らのアー・ダンクを見た。アー・ダンクが不満げに何か言いかけた。
「アー・ダンク! お前は黙ってろ。イワを売る代わり毛布は山わけにしてやる」
アー・ダンクはちょっと考える顔をしたが、にやりと笑ってうなずいた。岩松を殺したところで何の得にもならない。が、新しい毛布がもらえるなら思わぬもうけものだ。船長が言った。
「一人だけか。一人だけでは私たちは困るのだ。三人つれて帰れと、博士は命じたのだ」
「では、二人にしよう。だが、このオトだけは絶対に手放さない。こいつはわしの宝の中の宝だ。これだけは、毛布を何十枚積まれても渡しはせぬ」
「いや、わたしたちは三人をつれて帰らねばならないのだ」
船長は哀願するように言った。
「三人全部と言うのであれば、イワもキュウも渡さぬ。一人も渡さぬ」
さすがに一族の長、酋長は頑強《がんきよう》であった。