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海嶺130

时间: 2020-03-18    进入日语论坛
核心提示:フォート・バンクーバー     一「久吉、音吉、よう富士に似てるが、あれは富士やないで」岩松は苦笑した。「うん、そりゃあ
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フォート・バンクーバー
     一
「久吉、音吉、よう富士に似てるが、あれは富士やないで」
岩松は苦笑した。
「うん、そりゃあそうやな。こんな広い河は富士山のそばにはあらせん。それにしてもよう似とるなあ。ほんとに富士山かと思うたわ」
「ほんとやなあ」
音吉もうなずいた。三人が一瞬心を躍《おど》らせた山は、標高四千三百九十二メートルのマウント・レイニアであった。後に日本人移民によって、タコマ富士と呼ばれるにいたったほどの、富士山によく似た山である。
異国の山とわかっても、その山から三人は目を外《そ》らすことはできなかった。河の蛇行《だこう》につれて、この富士に似たマウント・レイニアは、時にその姿を隠したが、目に焼きつけられた山の姿は、三人の胸に強い郷愁を呼び起こした。
「見れば見るほど富士にそっくりや」
ものも言わずに船縁にもたれていた久吉が、しばらくしてぽつりと言った。
「ほんとやな」
岩松も低い声で呟《つぶや》く。三人は、千石船《せんごくぶね》の上から幾度か富士を見ている。その富士に似たマウント・レイニアを見つめながら、いつしか三人は三様に日本に思いをはせていた。岩松は薄暗いわが家の茶の間に、侘《わび》しい夕食を囲む養父母と、妻の絹、そして岩太郎の姿を想った。岩太郎がその小さな手で自分の茶碗《ちやわん》を持ち、箸《はし》を使って食べている姿まで目に浮かぶ。ちゃぶ台に並んだ剥《は》げた椀《わん》や、欠けた皿までがありありと目に浮かぶのだが、今岩松の胸に浮かぶその四人は、誰一人声を発していない。影絵のようにひっそりとしている。そしてなぜか、外にはこまかい雨がしとしとと降っているような気がするのだ。その雨は、岩松の胸にこぼれる涙であったかも知れない。
久吉は、家のすぐ傍《そば》の八幡社の境内《けいだい》に遊ぶ子供たちの声を想っていた。その中に、自分の声、妹の声があるのだ。
「久吉ーっ! ご飯だよーっ」
境内に向かって叫ぶ母の声もする。その母の傍に立つ赤銅色の半裸の父の姿も見える。
音吉は音吉で、樋口源六の家の門の前を掃《は》いていた。海からの風が、土蔵と土蔵の間を吹きぬけていく。子守唄をうたいながら、背の子をゆするさとの姿が見える。わが家の前に立って、音吉のほうを見ている母の姿が見える。その家の中に寝ている父の姿が見える。下駄《げた》の音を立てて、自分に近づいて来る琴の淋《さび》しい笑顔が見える。
三人三様に、胸の痛む思いであった。
三人は、自分たちの乗っている千石船|程《ほど》のこの船が、誰の持ち船か知らない。日本の宝順丸と同じように、誰か船主が、これから行く所に待っているのだろうと、漠然《ばくぜん》と思っていた。その船主は、樋口源六のように、ものわかりのいい老人で、何となく和服姿の男のような気がする。船に乗っている男たちのような、奇妙な服装をしているとは思えないのだ。三人は知らなかった。ラーマ号はハドソン湾会社の持ち船であることを。
カナダの東部にハドソン湾という巨大な湾がある。この湾に注ぐ四十有余の河川の流域一帯の土地を所有し、かつこの辺《あた》りの行政権を握っているのがハドソン湾会社であった。毛皮、皮革をこの会社は本国のイギリスに送っていた。つまり、カナダの貿易をこの会社は独占していたのである。一六七〇年、チャールズ二世から、ルパート親王と十七人の貴族に、特別の許可状が与えられて設立された王立特権企業であった。その後、フランス人の進出と共に、時折《ときおり》紛争はあったが、その時なお、貿易独占権を握っていた。しかも、合衆国の北部、そしてロッキー山脈の東、サスカチェワンの南部、ウィニペグ・ウッズ湖以西一帯の土地の用役権《ようえきけん》を優先的に所有する大会社であった。それは会社というより、一国家の如き権力を持つ存在であった。このハドソン湾会社の本拠地のひとつがフォート・バンクーバーである。
フォート・バンクーバーは、ウイラメット河が、コロンビア河に注ぐ地点にあった。この太平洋岸総責任者がマクラフリン博士であった。「オレゴンの父」と慕われた博士は、医学博士で、スコットランド、アイルランド、フランスの血を引いていた。博士は九年前、このフォート・バンクーバーに赴任して来たのである。この博士の、ロンドンの本社に宛《あ》てた書簡には、次のように書かれてあった。一八三四年五月二十八日発信となっている。
〈昨冬、つまり一八三三年末、現地のインデアンの報ずるところによれば、フラッタリー岬のあたりで、見馴《みな》れぬ船が遭難したということである。私は直ちに船を仕立てて救助隊を派遣した。が、この一帯は波が荒く、現地に着くには至らなかった。フラッタリー岬はコロンビア河口から二百キロ以上も北方の地点にある。
ところが、五月二十四日、私は思いもかけずインデアンを通して、漢文の書簡を受けとった。私は直ちに、会社のすべての船長に宛《あ》て、この遭難した気の毒な東洋人を、インデアンから助け出すよう文書で指令した。遭難した船員のうち、生き残ったのは三人であるという。他の者は溺死《できし》、あるいは病死したと、現地人の話で知った。現地人、即《すなわ》ちインデアンの言葉によれば、この遭難船にはチャイナ・ウエア即ち陶器が積まれていたと聞く。従って遭難船は中国船かも知れない〉
それから六か月後の、十一月十八日付の報告書には更《さら》に次のように書かれてある。
〈この日本人たちは、手紙を現地人に託した。そしてその手紙が、部族から部族へと渡され、遂に五月の二十四日、フォート・バンクーバーのわが社に届けられたのである。吾々《われわれ》は、三人を惜しむインデアンの手から、多額の犠牲を払って買い取り、遂に救出に成功した。この衝《しよう》に当たったのはラーマ号のマクネイル船長で、彼はアメリカ人である〉
と、記されてある。
自分たちの助け手が、そのような大きな力を持つ会社とはつゆ知らず、三人は今まさに接岸しつつある船上にいた。船着き場近くには、ラーマ号に似た船が二|隻《せき》停泊していた。
「おお! 子供がいるで」
子供好きの音吉は、いち早く目を注《と》めて言った。
「うん。いるいる。大人も子供もたくさんいるで」
久吉は身を乗り出すようにして、手をふる岸の人々を見た。
「百人はいるな、舵取《かじと》りさん」
音吉は岩松を見上げた。
「うん。仰山《ぎようさん》な出迎えやな」
岩松は不審げに言ってうなずいた。マクネイル船長が、何か言いながら三人の傍《そば》に来た。そして岸に向かって、その毛むくじゃらの手を大きくふった。久吉が、船長を真似《まね》て手をふり、音吉も小さく手をふった。岩松だけが腕を組んだまま、六月の日を反射する川面をじっと見つめていた。
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