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海嶺158

时间: 2020-03-18    进入日语论坛
核心提示:南 海一 岩吉たち三人は、イーグル号の上で、一八三五年の正月を迎えた。即《すなわ》ち天保《てんぽう》六年である。天保三年
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南 海

 岩吉たち三人は、イーグル号の上で、一八三五年の正月を迎えた。即《すなわ》ち天保《てんぽう》六年である。天保三年十月に日本を出帆《しゆつぱん》してから、三度目の正月であった。
サンドイッチ諸島から南下するにつれて、三人には日本が限りなく遠くなるように思われてならなかった。が、新しい年を迎えると、気分が改まった。結局は、日本に帰る日が、一日一日近くなっているのだと、三人は互いに話し合い励まし合うようになった。
しかし三人は知らなかった。日本の国民が決して幸せな状態ではなかったことを。
三人が日本を出た一八三二年までは、気候が不順とはいえ、一八二九年の大豊作の備蓄米が諸国をうるおしていた。だが、明けて一八三三年は低温つづきで、霖雨《りんう》が日本国中を襲った。にもかかわらず、幕府は米不足を国民の生活態度にあると考えていた。その年一八三三年十月、幕府は次のような触れ書を出した。
〈近年、百姓《ひやくしよう》共は食用大|奢侈《しやし》となり、末のものと麁食《そしよく》を用いず、米穀《べいこく》多く用いた故《ゆえ》、自然、米|払底《ふつてい》し、高値となり、諸人が難儀に及べり〉
が、幕府自身、飢饉《ききん》の危機を深刻には受けとめていなかった。この飢饉を助長した一つに、米作からさらに有利な商品作物栽培に移った農民の多くなったことがあった。一八二九年の大豊作によって、国民は米穀《べいこく》を十二分に消費はしたが、それでもなお米穀は余り、その結果その値段が下落《げらく》した。ところが、農民が米作を減じた翌年から凶作《きようさく》は始まった。ために、飢饉は幕府が考えるより、はるかに深刻なものとなっていった。一八三三年の最高の作高は、東海道の六割七分であり、関《かん》八州の五割二分、最低は奥羽《おうう》の三割二分であった。それでも貯蔵米を保有していた藩《はん》は餓死者を出さなかった。が、津軽、松前、秋田、山形の諸藩では多数の餓死者を見、多くの難民を出した。そしてこの難民は乞食《こじき》として他の地方に流れて行った。多数の猫が殺され、食用とされる状態さえ出現した。
更《さら》に一八三四年、岩吉たち三人がフォート・バンクーバーにおいて充分な食糧を与えられていた頃《ころ》、江戸と大坂では大火があり、引きつづいて諸国に飢饉があった。大坂市中には多数の乞食がさまよっていた。江戸や大坂では、暴徒の「打ちこわし」騒動がしきりに起こり、世相は実に険悪となった。しかも、飢餓のため、病人、行き倒れが続出した。江戸市中にはむろん、近郷《きんごう》の四か所にお救い小屋なるものが設けられ、貧窮した者たちがこのお救い小屋に詰めかけ、幕府によって養われていた。お救い小屋には、いわゆる裏店《うらだな》に住む下層階級の者のみならず、表店《おもてだな》の町人たちさえ詰めかける始末であった。
大坂においても、同様の施設ができたが、その困窮ぶりは、江戸に勝《まさ》るとも劣らなかった。幕府は大坂から江戸への回米量をきびしく厳守させたからである。こうして、やがては天保《てんぽう》八年の大塩《おおしお》平八郎の乱に至るわけだが、諸国の飢餓は日に日に深刻になるばかりであった。
岩吉も、久吉も、そして音吉も、それらの悲惨な故国の状態が、自分たちの家族をいかなる難儀におとしいれているかを、知る筈《はず》もなかった。たとえ、穀象虫《こくぞうむし》のついた乾パンであろうと、毎日変わらぬ塩漬けの肉であろうと、日々三度の食糧が与えられているということは、まだしも幸せなことと言わなければならなかった。
更《さら》にまた、三人は世界がいかなる情勢にあるかを、これまた知る筈はなかった。自分たちが国を出た年、東ヨーロッパにおいて、ロシヤとポーランドが併合した。イギリスにおいては、第一次選挙の改正が成立し、着々と近代国家への道を歩みつつあった。だがこのイギリスも、その数年前から阿片《あへん》を清国《しんこく》に輸出し、清国を悩ましていた。清国はその前年、即ち一八三一年阿片の害に苦慮し、その輸入を厳禁した。にもかかわらず、輸入は跡を断たぬため、一八三二年再び阿片輸入禁止を宣言した。
一八三三年、音吉たち三人が宝順丸で漂流している頃《ころ》、ドイツでは関税同盟が成立した。イタリヤでは青年イタリヤ党によってジェノアに革命がもくろまれ、清国では台湾《たいわん》の叛乱《はんらん》がようやく平定《へいてい》された頃であった。
つづいて一八三四年、フランスにおいて共和主義者の暴動が、パリとリヨンに起きていた。イタリヤのガリバルディは、南米に亡命した。そして清国においては、三度阿片輸入の禁止を発している。この阿片輸入が、数年後には阿片戦争を引き起こすのだが、それが三人の運命と関わることも、むろん岩吉たちの夢にも思わぬことであった。
一八三五年のこの年は、アメリカにおいてはモールスが有線電信機を発明した年であった。しかし、故国の悲惨な状態も、世界の情勢も、全くあずかり知らぬまま、三人は一日も早く日本に帰りたいという、只《ただ》一事の願いに明け暮れていた。
イーグル号はサンドイッチ諸島から、東南を指して下っていた。来る日も来る日もイーグル号は海の中にあった。大きな太い虹が海の上にかかることもあった。真っ赤な夕日が、海を血のように染めることもあった。突如《とつじよ》雪原に乗り上げたかと思うほどの、真っ白な霧に包まれたこともあった。
十日が過ぎ、二十日が過ぎ、正月も過ぎて行った。船は南下するにつれて暑くなった。皮膚が焙《あぶ》られるような暑さだ。
「おてんとさまが、二つ出たのとちがうか」
久吉が、本気で空を見上げたほどに、じりじりと焼けつく日がつづいた。上甲板《じようかんぱん》を歩く素足が火ぶくれになりそうな暑さだ。水兵たちの中に、食の進まなくなる者が続出した。
「もう、気違いになりそうや」
意志の強い音吉も、思わず弱音を吐いたほどの暑さであった。船倉に降り立っても暑さは追いかけて来た。上甲板に立てば直射日光が激しい。
「食当たりとちがうか」
岩吉が案じたほどに、音吉も久吉も頬《ほお》がこけた。
「舵取《かじと》りさん、もうあかんわ」
幾日か食欲を失った久吉が、乾いた口を苦しそうにあけ、喘《あえ》ぎながら言った。その視線も、焦点の定まらぬ視線であった。音吉も、思考力を失った。
「舵取りさん、南に行けば行くほど、暑くなるんやろな」
音吉は、日に幾度も同じことを言った。船は正に赤道の直下にさしかかっていた。そんな二人を、ある朝岩吉は、廁《かわや》につれて行き、バケツで海水を汲《く》み、頭から何杯も浴びせた。それでもなお、暑さから逃れることはできなかった。
こうした中で待たれるのは、時折《ときおり》襲うスコールであった。太い棒のような雨が甲板《かんぱん》を叩《たた》きつけると、水兵たちは裸になって雨に打たれ、口をあけてその雨を受けた。音吉たちを驚かせたのは、このスコールの時に採る水の採り方であった。大きなシートをひろげ、その四隅《よすみ》を何人もの水兵が持つ。雨はたちまち何|石《こく》もの量となる。それを空《あ》き樽《だる》に滝のように注ぎこむ。これが幾組もの水兵によってなされた。このスコールは、いつも三十分足らずの短い時間であったが、スコールが襲う時、気温がぐんと下がった。これで水兵たちは息を吹き返すのだ。
船が赤道直下に来た時、赤道祭りがあった。その日は日曜日と同様、仕事は午後から休みとなった。酒をいつもより多くふるまわれた。が、さすがの水兵たちも、ダンスをしてはしゃぐ元気はなかった。が、誰の提案か、全帆を縮帆し、船をとめた。折からの和風で、船をとめるのにふさわしい気象であった。希望の者は、ロープに体をつなぎ、海に入って泳いだ。岩吉も泳いだ。士官たちも泳いだ。だが海から上がると、泳いだ者たちは一様に疲労した。水中の涼しさが何倍もの暑さになって返ってきたのだ。
「南に行けば、行くほど暑いんやろな」
その時、またしても呟《つぶや》いた音吉に、サムが言った。
「音、今何と言った?」
音吉は日本語で呟いたのだ。音吉はその呟きを英語に直して答えた。サムは、
「南に行けば行くほど、暑くなる? それは大ちがいだぜ、音」
「大ちがいだって?」
音吉はとっさにはわからなかった。フォート・バンクーバーを出て、南に向かえば向かうほど暑くなったのだ。
「安心しな、音。ここが世界で一番暑い所だ。いわば世界の真ん中さ。これから次第に涼しくなって、しまいには鼻水も凍るような、寒い南に降りて行くという寸法さ」
その言葉に音吉は、暑熱から逃れる日の来ることを知って安心したものだ。
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