日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

海嶺181

时间: 2020-03-19    进入日语论坛
核心提示:四 ギュツラフにとって、他国語を学ぶことはさほどの難事ではなかった。一八〇三年プロシャの小さな町に生まれたギュツラフは、
(单词翻译:双击或拖选)
 ギュツラフにとって、他国語を学ぶことはさほどの難事ではなかった。一八〇三年プロシャの小さな町に生まれたギュツラフは、今年三十二歳であった。が、既《すで》に数か国語の聖書|翻訳《ほんやく》をなしとげていた。特にシャム語への翻訳は、僅《わず》か九か月のシャム滞在中になされた。シャム語を一語も知らなかったギュツラフが、九か月後にはとにもかくにも、その翻訳を終えていたのである。
ギュツラフはプロシャ人であったが、イギリスのジョン・ウエスレーの信仰復興運動の流れを汲《く》む派に属していた。そして、神の命ずることは、いかなる困難なことといえども、命を賭《と》して従うべきだという信仰に燃えていたのだ。
ギュツラフの毎日は、一分の無駄《むだ》な時間もなかった。その上、思い立ったことは、待てしばしなく実行する性格であった。当時のギュツラフが如何《いか》なる仕事をしていたか、彼自身の当時の書簡が、それを雄弁に物語っている。
〈朝七時から九時、旧約聖書の中国語訳、それから九時半から十二時、二、三人の日本人の助けにより、新約聖書の日本語|翻訳《ほんやく》に従事。(この日本人は岩吉たち三人を指す)
十二時より五時まで、右訳文の厳密なる検討。一時から二時、中国語の宣教パンフレットの準備。二時から五時まで、中国文学の研究、書籍の頒布《はんぷ》、病人の見舞い、学校の管理。
六時から十時。臥《ね》るまで手紙を書いたり雑務の整理。
日曜日には朝七時から九時、中国語の旧約聖書研究会。十時から十時半まで中国人教会。十二時から午後一時まで日本人の礼拝。三時から六時、中国人の家庭訪問。六時から七時、中国人の日曜学校。七時半から九時、病院で英語の説教〉
正《まさ》に全力的なギュツラフの活動である。そのギュツラフは、岩吉たち三人に会う前に、既《すで》に日本への旅を夢見ていた。日本人がマカオに着いたと聞いて、進んでその世話を引き受けたのも、聖書和訳の目的もあったからである。しかもギュツラフは、その先輩メドハーストが著した和英、英和辞典を手にしていた。岩吉たち三人に聖書和訳を語った時のギュツラフの胸には、聖書和訳の願いが激しく燃えていた。
ギュツラフは当時、イギリス商務庁の書記兼通訳官をし、高給を得ていたが、非常勤で、時間の拘束《こうそく》は少なかった。
岩吉たちがギュツラフの屋敷で一夜を明かした朝、ギュツラフは既に広東《カントン》に向かっていた。半日がかりで行く広東にはイギリス商務庁があった。
その翌日、ギュツラフはマカオに帰り、次の日、三人をつれてマカオの町に出かけた。ギュツラフと共に、夫人の姪の一人キャサリンが同行した。家のすぐ傍《そば》の広い公園に五人はまず入って行った。
「あっ! 菊や! 菊が蕾《つぼみ》を持ってるわ!」
音吉がひと群れの菊の前に屈《かが》みこんだ。
「ほんとや! 懐かしいなあ」
久吉も屈みこんで匂いを嗅《か》いだ。
「舵取《かじと》りさん、うちの庭にある菊と、おなじ菊やで。うちの庭にある菊とな……」
音吉が目をしばたたいた。
「うん。そうやなあ。ここの菊は正月あたりが盛りやな」
岩吉がこみ上げる感情を抑えるように、静かに言った。ギュツラフが三人の会話を聞いていて言った。
「この花は、日本でキクと言うのだね」
キクという発音を、ギュツラフは誤りなく言った。
「はい、菊と言います」
ギュツラフはうなずいて、持っていた手帳に何か書きとめた。ギュツラフは食事の間にもノートを離さない。音吉は驚いて、ギュツラフが書きとめる様子を見つめた。その音吉を、キャサリンが明るい目で見つめていた。ギュツラフが言った。
「ここはカモンエス公園と言ってね。カモンエスはポルトガルの詩人です。一五五八年マカオにやって来て、不朽の名作『ウス・ルジーアダス』を書き上げたんですよ」
三人はうなずいたが、不朽の名作という英語がわからなかった。
「わたしも、詩や文章を書くのが好きでね。それで、カモンエスのような詩人は、ポルトガル人であろうと、どこの国の人であろうと、非常に尊敬しているのです」
「音、ポエットって何やった?」
広い公園を見渡しながら久吉が尋ねた。菩提樹《ぼだいじゆ》や棕櫚《しゆろ》、榕樹《ガジマル》等の木立の下に、冬日を浴びる老人の姿が見えた。清国人《しんこくじん》であった。水ギセルを吸うその姿が、絵のように動かない。いかにも平和な眺《なが》めであった。
「ポエットって、ポエムを作る人やないか」
「ポエムって何やった?」
「ようわからんけど、百人一首のようなもんやな」
「何や、百人一首のようなもんか。乙女《おとめ》の姿しばしとどめんやな」
久吉はキャサリンのふくよかな頬《ほお》を盗み見て、にやりと笑った。キャサリンがその笑顔に応《こた》えるように言った。
「あのね、叔父《おじ》は貧しい仕立屋の息子に生まれたのよ。四つの時に、母親に死に別れてね。しかも体が弱くて、友だちと遊ぶ元気もなかったんですって。その叔父が、どうして宣教師になる学校に行けたか、おわかりになって? それは詩のおかげなの」
「ポエムの?」
音吉が聞き返した。
「そうよ。詩のおかげなの。貧しいから学校に行けなかったでしょ。小学校を出るとすぐベルト工場に勤めたのよ。ところがね、その頃《ころ》、そのピンツという小さな町に、プロシャの王様が来たの」
「王様が?」
公園を出たギュツラフと岩吉は、三人のすぐ前を歩いて行く。
「ええ、王様が来たの。その王様にね、叔父《おじ》は友だちと二人で長い詩を作って捧《ささ》げたのよ」
「ほう、王様にですか。大胆ですね」
音吉は驚き、久吉に言った。
「わしらがお上《かみ》に何か書いて捧げるようなもんやな」
「キングやったら、お上ではないわな」
「そうやな、帝《みかど》かな。お上と帝とどっちが偉いかわからせんけど、とにかく日本でそんなことしたら打ち首やな。直訴《じきそ》みたいなもんやからな」
「そやそや、直訴や。怖いことや」
「キャサリン、それでどうなりました?」
「フレデリック大王は、大変感激なさって、二人が好きな道に進めるよう、取り計らってくださったのよ」
「へえー。首を斬《き》られなかったのですか」
「あら、どうして首を斬られるの?」
「日本なら首を斬られるんです」
「まあ恐ろしい。あなたの国では、そんなに簡単に国民の首を斬るのですか」
「はい。王様のような偉い人に、書いたものをじきじきに差し上げることは、許されていないのです」
「まあ! どうしてでしょう? わからないわ」
キャサリンは首を大きく横にふった。金髪が大きくゆれた。その時音吉は、金髪も美しいと初めて思った。
「とにかくね、叔父《おじ》は王様に詩をほめられて、学校に進むことができたのよ」
「音、わしらもプロシャに生まれたかったなあ。したらわしらも、王様に乙女《おとめ》の姿しばしとどめんでも書いて差し上げるのにな」
「それはあかん。久吉の作ったもんやないでな」
五人はいつしか石畳の細い通りを歩いて、セント・パウロ寺院|趾《あと》に向かっていた。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%