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海嶺192

时间: 2020-03-19    进入日语论坛
核心提示:合 流一 はっとして音吉は目がさめた。確か、自分の名を耳もとで呼んだ者がいた。「音吉っつぁん」それは女の声だった。「何や
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合 流

 はっとして音吉は目がさめた。確か、自分の名を耳もとで呼んだ者がいた。
「音吉っつぁん」
それは女の声だった。
「何や、夢か」
音吉は、今の声は確か琴の声だったと思いながら、寝返りを打った。月の光が、窓際のベッドに臥《ね》ている音吉の肩のあたりまで射しこんでいる。故里の夢を見ることは度々《たびたび》ある。そしてさめる度に、言いようのない淋《さび》しさをおぼえる。さめると同時に、今まで見ていた故里の景色も人々も消えてしまうのだ。泣きたいような懐かしさだけを、日本を離れて以来幾度味わわされてきたことだろう。
(もう少しさめんとよかった)
琴の顔を見たかったと思う。琴が何を語るのか聞きたかったと思う。
(今頃《いまごろ》、お琴も寝てるんやろか。父っさまも母さまも、おさとも寝てるんやろか)
ありありと父や母の寝ている姿が目に浮かぶ。久吉が大きないびきをかき始めた。その向こうで、岩吉の規則正しい寝息が聞こえた。
(あとひと月で、マカオに来てから一年|経《た》つなあ)
マカオに来たのは十二月だった。菊の花が蕾《つぼみ》を持っている頃《ころ》だった。あれからいろいろな花が、次から次へと咲いては散った。正月の菊を始め、妹さとのように可愛《かわい》い桃の花、日本の桜のような紫京花、藤の花、山吹に似た黄色い花も見た。真紅のサルビヤ、そして朝顔の花も見た。胡桃《くるみ》の木に似た木綿《きわた》の木の赤い花もあでやかだった。燃え立つような炎樹《えんじゆ》の木、赤松、黒松、様々な樹々も四季それぞれに見てきた。桑の実の赤や黒の大きな実も懐かしかった。ついこの間まで石栗の並木を通って、浜に泳ぎにも行った。が、その暑い夏も過ぎた。春には帰れるか、夏には帰れるかと思いながら、とうとう今年も十一月になってしまった。
(今年中に帰るのは無理やな)
今年は正月から、三人は一心に聖書和訳の仕事に取り組んできた。その仕事も、あと二、三日で終わるめどがついた。ヨハネ伝と、ヨハネの手紙、上中下の訳である。
昨日はもう、ヨハネの手紙下巻の半ばまで終わった。久吉は、
「終われば日本に帰れるんやな」
と、弾んだ声ではしゃいだが、岩吉は浮かぬ顔で何か考えていた。それが、音吉には妙に気にかかる。音吉はそっとベッドを下りて立った。窓によると、月が薄雲から出てくるところだった。
(あの月とおてんとさんだけやな。わしらが子供の時から見ていたものは)
音吉は皎々《こうこう》と輝く月をじっと眺《なが》めた。こんな思いで月を眺めることがあろうとは、夢にも思わなかったことだ。小野浦の、あの貧しい自分の家や、裏の畠《はたけ》や、小野浦の浜を、この月は照らしているのだ。琴の家の土蔵の白壁にも、松の木影をくっきりと映して、月は照っているにちがいない。音吉は泣きたいような気がした。
(わしらがここにいるとも知らんで……)
音吉はふと、父母や琴の夢の中に、自分が現れているのではないかと思った。自分が夢を見る時は、自分の一念が向こうに届き、向こうが音吉の夢を見る時は、その一念が自分に届くのではないかと思う。朝に目ざめて思うのは、父母や、妹、そして琴のことであり、そして夜寝る時もまた焼けつくような思いで、小野浦を思う。
(そうや、向こうも度々《たびたび》夢にみてるわ。わしもこんなに思うてるだでな)
音吉は月を見上げたまま、そう思って自分を慰めた。
(バイブルの仕事さえ終われば、きっと帰してくれるわな)
音吉たちはマカオに来るまで、こんな仕事が待っているとは想像もしなかった。ギュツラフは、
「歴史に残る仕事です。神の喜び給う仕事です」
と、幾度も励ましてくれた。最初のうちこそ迷惑だと思いはしたが、かれが、本気で、命をかけてキリストを信じていることを次第に思わぬわけにはいかなかった。
「日本の人々にとって、ジーザス・クライストがどれほど大事な方か、今にあなたがたもわかるでしょう」
ギュツラフはそうも言った。久吉は頭を大きくひねって、
「ミスター・ギュツラフ、日本にこれを持って行くつもりですか」
と、呆《あき》れた顔をした。
「もちろんです」
「それは無駄《むだ》や。すぐに焼かれてしまうでな」
「わかっています、お国の事情は。けれども、神の言葉は残ります。焼かれても焼けないものが残ります」
その言葉が音吉の胸に残った。ギュツラフが、焼かれるかも知れないと知りながら、一年近くもかけて、この翻訳《ほんやく》に取り組んできたのだ。ある時は食事を取ることも忘れ、ある時は明け方まで、鉛筆をその手から離さなかった。
(そうか、言葉は焼け失せてしまわんのか)
焼けないものがこの世にはあると、音吉も信じられるような気がした。
ギュツラフはこのあと、十五年後に、四十八歳で香港で死んだ。その臨終の床で、ギュツラフは新約聖書コリント第一の手紙十五章五十七節の「主イエス・キリストによりて勝を得しむる神に感謝す」の聖句を明確に言い残し、両手を天に上げながら、「勝利」「勝利」と叫んで果てた。
このギュツラフの真剣なあり方を、音吉は十八歳の若者であるだけに、大きな感動をもって感じ取っていた。
「音、どうしたんや」
久吉が不意に声をかけた。階下で柱時計が二時を打った。
「どうもせん」
「眠れせんのか」
「うん。月がきれいだでな、眺《なが》めていたんや」
「月など眺めていたらな、ますます眠れせんで。明日はまた、バイブルの仕事があるだで、早よ寝たらええわ」
久吉の声がやさしかった。音吉はうなずいたが、ふり返ることができなかった。
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