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海嶺206

时间: 2020-03-19    进入日语论坛
核心提示:二「おおっ!」驚きとも、うめきともつかぬ声を上げて、岩吉は北西の一点を指さした。「あっ! あれは!」舳に居合わせた音吉、
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「おおっ!」
驚きとも、うめきともつかぬ声を上げて、岩吉は北西の一点を指さした。
「あっ! あれは!」
舳に居合わせた音吉、久吉、九州の庄蔵たち、そして博物研究の任を帯びたウイリアムズも、共に声を上げた。今までたなびいていた雲が不意に切れ、その切れ目に削り取られたような陸地の一画が、五里|程《ほど》の彼方《かなた》に現れたのだ。
「御前崎《おまえざき》や! 御前崎や!」
岩吉の声がふるえた。
「御前崎!?」
寿三郎の声もうわずった。
「そうや! あれは確かに御前崎や! 御前崎にちがいあらせん!」
岩吉の言葉に一斉《いつせい》に歓声が上がった。二十回以上も、江戸と大坂の間を往復している岩吉にとって、御前崎を見誤る筈《はず》はなかった。岬の高さはおよそ十二丈、格別高くはない。が、その切岸《きりぎし》の形に特徴がある。その御前崎の手前には岩礁《がんしよう》地帯があり、更にその手前には沖御前崎と呼ばれる大きな岩がある。その岩を噛《か》む白波を、今岩吉の目は明らかに捉《とら》えていた。
「御前崎と申したら、駿府《すんぷ》でごわすな!」
庄蔵の声も一段と高い。
「そうや、駿府や」
岩吉が答えた。一同は声もなく只《ただ》御前崎を見つめるばかりだ。
(来た! 遂に来たっ!)
足を大きくひらいて突っ立ったまま、岩吉は両の拳《こぶし》を固く握りしめた。岩太郎を抱いた絹の姿が浮かび、老いた養父母の顔が浮かんだ。懐かしさに胸の張り裂ける思いを岩吉はこらえた。日焼けした岩吉の目尻に涙が光った。その岩吉と並んで、音吉も久吉も、庄蔵たち四人も、うるんだ目を大きく見ひらいたまま、肩をふるわせていた。そんな岩吉たちを見守るウイリアムズ、キング、そしてギュツラフのまなざしがあたたかかった。音吉と久吉が早朝の甲板《かんぱん》に立ってから、二時間後の午前六時のことである。
陸地を覆《おお》っていた雲が、いつしか掻《か》き消すように消え、朝日を受けた海岸線がくっきりと見えた。北方に伸びるその海岸に、打ち寄せる波が白い線のように細い。
岩吉はつと、人々を離れた。と、船首に斜めに突き出たバウ・スプリット(斜檣《しやしよう》)をよじ登りはじめた。バウ・スプリットからはフォア・マスト(前帆柱)を支えるロープと、前帆を張るロープが、フォア・マストに向かって吊《つ》られていた。バウ・スプリットの下には網が張られているとは言え、眼下は底知れぬ深い海である。そのバウ・スプリットを、岩吉はよじ登って行く。ここからは何物にも遮《さえぎ》られず、故国日本を望み見ることが出来るのだ。
久吉と音吉も、ためらわずに岩吉の後を追った。庄蔵たち四人も後につづいた。そうせずにはいられない気持ちが、七人の心にあった。船の揺れに身をまかせながら、しばらくの間七人は、遠ざかり行く御前崎を眺《なが》めていた。順風と潮の流れに、モリソン号の船足は早い。
「これが宝順丸ならなあ、音」
久吉が真っ先に口をひらいた。
「ほんとやな、久吉。兄さも、船頭さんも、みんな揃《そろ》って帰りたかったな」
「全くや。あのな音、あそこは駿河湾《するがわん》やろ。俺に初めて駿河湾という名を教えてくれたのは、水主頭《かこがしら》や」
「水主頭か。せめて水主頭だけでも生きていてくれたらなあ」
音吉の胸に水主頭の仁右衛門の最期《さいご》が思い出された。一年二か月の漂流も終わろうとする頃《ころ》、残ったのは水主頭と岩吉たちの四人であった。その水主頭も床に着いたきりであった。岩吉に命じられて、布団のまま水主頭を、陸の見える開《かい》の口まで運んで行った。岩吉が仁右衛門の肩を抱き起こして、
「ほら、白く見えるやろ。あれが陸《おか》や」
岩吉が指さすと、
「おう、あれが陸か」
と、仁右衛門は声をふるわせた。もとの場所に布団を戻《もど》した時、仁右衛門はしみじみと言った。
「よかったのう」
その声のやさしさを思い出して、音吉は今たまらない気持ちだった。仁右衛門は、陸を見て半刻《はんとき》も経たぬうちに、容態が急変して死んだ。兄吉治郎をはじめ、誰の死も辛《つら》かったが、わけても仁右衛門の死は辛かった。今、日本を目の前にして、仁右衛門の死が妙に心にかかった。
「わしら三人だけで帰るの、何や小野浦の人にわるいな、久吉」
「ま、それもそうやけどな。わしらが帰って、みんなの最期《さいご》を知らせるのも、慰めになるやろ」
「そうやろか。でもなあ……」
狂って死んだ最期や、痩《や》せ細って死んだ最期を知らせるのは、しのびない気がする。わけても、何人かを海の中に葬ったとは言えないような気がした。みんなフラッタリー岬に、丁重に埋葬《まいそう》して来たと言わなければならないような気がした。
モリソン号は船足も早く駿河湾の沖を過ぎて行く。
「富士はまだ見えんとですか、岩吉っつぁん」
寿三郎の声が潮風にちぎれる。
「見える筈《はず》やが、富士のあたりは雲が出ているだで……」
「それは残念とです」
「まあ、雲さえ上がれば、一日走っても見える筈だでな」
「舵取《かじと》りさん、アメリカにも富士があったわなあ」
「アメリカに?」
年少の力松が怪訝《けげん》な顔をした。
「いつか、話した筈やろ力松。ほら、インデアンの手から助けられて、フォート・バンクーバーに行く船の中でな、富士山が見えたんや。富士山そっくりの山がな」
久吉はコロンビア河の河口から、マウント・レイニイを見た時のことを、今更《いまさら》のように懐かしく思った。あの時、本当に富士山かと思ったのだ。もう日本に近いのかと思ったのだ。あの時の胸のとどろきが、昨日のことに思われる。今、七人が眺《なが》める富士のあたりは雲に覆《おお》われてはいるが、そこには正《まさ》に本物の富士が聳《そび》えている筈だった。
(駿河湾か。遠州灘《えんしゆうなだ》を過ぎたんやな)
岩吉は斜檣《しやしよう》にまたがり、懐かしい故国の姿を見つめながら、宝順丸|遭難《そうなん》の夜を思い出していた。
(あれから足かけ六年……)
宝順丸が熱田を出たのは、天保《てんぽう》三年十月十日の朝であった。江戸へ向かった宝順丸は、翌十一日|午後《ごご》には、既《すで》に遠州灘を走っていた。灰色に垂れこめた空の下に、鉛色《なまりいろ》にうねっていたあの日の遠州灘を、岩吉は忘れることができなかった。遠州灘から眺める陸地は山が低く、不馴《ふな》れな者には何処《どこ》が何処やらわからぬ平板な地形だ。陸を見ながら航路を定める千石船《せんごくぶね》にとって、一つの難所とも言える。とりわけ季節風の吹き荒れる秋は、船の難破《なんぱ》する数も多かった。
あの日八つ半(午后三時)頃《ごろ》、岩吉は、船の後方洋上に現れた点の如《ごと》き黒雲を見た。その時の戦慄《せんりつ》を、岩吉はこの五年間、幾度思い起こしたことか。あの小さな黒点が、疾《はや》て雲だった。疾て雲の恐ろしさを知らぬ水主《かこ》はいない。黒点は見る間に宝順丸の頭上一杯に広がった。その黒雲を引き裂くように稲妻が走った。それが嵐の始まりだった。やがて宝順丸は、大波の上に突き上げられ、波の谷間にずり落ち、ずり落ちてはまた突き上げられた。強風を孕《はら》んだ重い帆を、二基のろくろにへばりつきながら水主たちは引きおろした。棒のように太い雨足が、容赦《ようしや》なく叩《たた》きつけた。額も頬《ほお》も抉《えぐ》るばかりの雨だった。三丈もある大波が、宝順丸を目がけて襲いかかった。
(あん時だあ、舵《かじ》の羽板が波にもまれて真っ二つに引き裂かれたのは……)
夜の船倉に、アカ汲《く》みに狂奔《きようほん》していた岡廻《おかまわ》りや水主たちの姿がありありと目に浮かぶ。帆をおろした帆柱が黒雲を掻《か》き廻《まわ》すように大きく揺れながら、無気味に軋《きし》みつづけていた。つづいて積み荷が捨てられた。米俵《こめだわら》が捨てられた。外艫《そととも》が激浪《げきろう》にもぎ取られ、流し台と水桶《はず》が暗い波の底に呑《の》みこまれて行った。吊《つ》り行燈《あんどん》が闇《やみ》の中に揺れに揺れていた。岩吉は次々にあの夜のことを思い出す。
「帆柱を切らにゃあーっ!」
叫んだのは、荷打ち(捨て荷)を指揮していた水主頭《かこがしら》の仁右衛門だった。船倉から胴の間に米俵を引きずり上げていた岩吉が、大声で聞き返した。
「帆柱を切るとうーっ!?」
聞き返す岩吉に、仁右衛門は厳然と言った。帆柱に当たる風で、船が不安定になる。その上、強風を受けて陸から遠ざかると仁右衛門は言った。
「水主頭《かこがしら》ーっ! 帆柱を切りゃあ、二度と帆を上げれせんでーっ!」
岩吉は夜空に聳《そび》える太い帆柱を見上げて絶叫した。その帆柱の先が闇《やみ》に融けて見えなかった。只《ただ》嵐に軋《きし》む無気味な音だけが大きかった。
(あれが帆柱を見上げた最後だった)
岩吉はほっと重い吐息《といき》をついた。
船頭の重右衛門が、神棚《かみだな》の前で御幣《ごへい》を右に左にふりながら、一心に祈った。帆柱を切るか、切らぬか、神意を伺ったのだ。岩吉は、何と答えが出るか、胸苦しい程《ほど》の緊張で、その結果を待っていた。
(帆柱がなくて、どうして帰ることが出来るか)
嵐は一時《いつとき》だ。決して切ってはならぬと岩吉は思った。が、みくじは「切る」と出た。嵐に傾く船の上で、岩吉は斧《おの》をふり上げ、帆柱の根に打ちこんだ。
(みくじが反対に出たら、全員助かっていたのに……)
言いようもない怒りが不意に岩吉を襲った。
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