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海嶺207

时间: 2020-03-19    进入日语论坛
核心提示:三 朝の六時に御前崎《おまえざき》を見出したモリソン号は、三時間後には伊豆《いず》半島の石廊崎《いろうざき》の沖合《おき
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 朝の六時に御前崎《おまえざき》を見出したモリソン号は、三時間後には伊豆《いず》半島の石廊崎《いろうざき》の沖合《おきあい》を走っていた。朝食もそこそこに、岩吉たち七人は再びバウ・スプリットに腰をおろして、日本の山々に見入っていた。荒波に抉《えぐ》られ、凹凸の激しい美しい海岸である。
「あれが石廊崎《いろうざき》や」
岩吉が言うと、六人がまた声を上げた。
「山また山やな」
久吉が言う。庄蔵がうなずいて、
「美しか国とです」
しみじみとした声だ。音吉も讃歎《さんたん》して、
「ほんとにきれいな国や。山の向こうに山があって、その向こうにまた山があって、なあ久吉」
「うん。夢ではあらせんな、な、音」
久吉が自分の頬《ほお》をつねった。
「夢ではあらせん、夢ではあらせん」
音吉の声がうるんだ。こうして、目《ま》の当たりに日本を見ることを、この五年間、どんなに想い描いたことか。帆柱も艫《とも》も失った宝順丸の上で、フラッタリー岬の魚臭いベッドの中で、フォート・バンクーバーのミスター・グリーンの心持ちよい部屋の中で、イーグル号のハンモックの上で、ゼネラル・パーマー号の船室で、マカオのギュツラフの家で、ひたすら恋いつづけたのは祖国の山河や、人々のことであった。故里の夢も幾度見たことか。
「あ! 父《と》っさま、母《かか》さま!」
叫んだ瞬間、目ざめた時のやるせなさを、どれほど味わってきたことか。それが、今度こそ、この手でしっかりと父母やさとの手を握りしめることが出来るのだ。
(兄さのことは辛《つら》いけど……)
この五年の間、父母は吉治郎も音吉も共に死んでしまったと思っていたにちがいない。自分一人でも生きて帰ったのを見たら、どんなに喜んでくれることか。父の泣き出しそうな顔が目に浮かぶ。母の嗚咽《おえつ》する声が聞こえるようだ。
「兄さ——」
と、冷たい海の中まで入って見送ってくれたさとは、もう十四の筈《はず》だ。
(会える! もう直《じ》き会える!)
不意に隣で久吉がうたい出した。
「お蔭《かげ》でな、するりとな、脱《ぬ》けたとさ」
肥前《ひぜん》の力松も真似《まね》てうたう。久吉は、くり返しくり返し、同じ唄《うた》をうたった。うたいながら、久吉の目に、お蔭参りから帰り着いた時の父の姿が胸を噛《か》んだ。父母に黙ってお伊勢参りに脱け出した久吉は、連れの長助に去られて幾日も帰りが遅れてしまった。家に近づくと、父の又平の怒声が窓から聞こえて来た。
「あの久吉の野郎、帰って来てみい。只《ただ》じゃ置かんでな!」
潮風で鍛えた又平の声が、家の外までびんびんと響いた。それをなだめる母のりよの声がした。妹の品の声もした。叱《しか》られるのを覚悟で家に入った久吉を見た又平が、いきなり素足で土間に飛び出し、
「久吉か——!? よお戻《もど》ったなあ!」
と叫ぶと、痛い程《ほど》に久吉を抱きしめ、大声を上げて泣いた。あの父の号泣《ごうきゆう》を思い出す度《たび》に、久吉は心の底から、
(帰りたい。這《は》ってもずっても帰りたい)
と思って来た。
「お蔭《かげ》でな、するりとな……」
幾度目かの歌の最後が泣いていた。そんな日本人たちの様子をドクター・パーカーは日記に次のように書きとめている。
〈七名の漂流民は、再び祖国の海岸を見て非常に喜び、船首の斜檣《しやしよう》に腰をおろして、熱心に祖国を見つめていた。見覚えのある岬や、島や、山を見る度に、歓声が上がった。まもなく、この世で最も愛する、しかも長い間別れていた人たちに会えることを思って、胸をとどろかせていた。これが糠《ぬか》喜びに終わり、僅《わず》か数日で牢獄《ろうごく》につながれる憂《う》き目を見ることなどないようにというのが、口には出さなくとも彼らの願いであり、とにかく親切に受け入れられることを期待していた〉
パーカーが書いているように、岩吉たちの誰もが、抑えても抑えても抑え切れない喜びと共に、言いようのない不安を抱いていたことも確かであった。
「お上《かみ》のお調べは、どの位《くらい》かかるとですか」
岩吉の隣にいた船頭の庄蔵が尋《たず》ねた。
「さあてなあ、十日や二十日ではあらせんやろ。半年もかかった話も聞いているだでな」
「半年と!?」
「そうや。わしは北前船《きたまえぶね》に乗っていた時、年寄りから聞かされたことがあった。折角《せつかく》日本に帰りながら、吟味がきびしくて気が狂った男がいたそうや。そればかりか、挙《あ》げ句の果てにその男は首を吊《つ》って死んだそうや。三十年も前のことやがな」
岩吉はその男の名を知らなかったが、これは事実であった。文化二年(一八〇五年)大坂の稲若丸がサンドイッチ諸島まで漂流し、アメリカ船に助けられた事件である。この男は、稲若丸に乗っていた水主《かこ》の松次郎という男であった。アメリカ船が日本の漂流民を助けたのはこれが初めてであった。
「哀れなこつですなあ。折角《せつかく》故国に帰りながら、首を吊って死んだとは……。しかし、お上《かみ》は一体、何をそんなに半年も調べるとですか」
「わしにもようわからせん。どこから船出したかとか、どこで嵐に遭《あ》ったか、どこの国に助けられたか、送って来た船が途中で商売をしなかったか、飛び道具をどこぞ船底にでも積んでおらなんだかとか、いろいろ聞くと言うわな。けど、何よりきびしいのは、キリシタンに改宗しておらんかということらしいな」
「キリシタンのう」
庄蔵は岩吉を見、
「踏み絵があるとですか」
「あるやろな」
答えながら岩吉は、自分はジーザス・クライストの顔をこの足で踏むことが出来るかと思った。
(何も信じたわけではあらせんが……)
しかし、自分たち三人をインデアンの手から買い取ってくれたマクラフリン博士はキリストを信じていた。親切にしてくれたミスター・グリーン夫妻も、ゼネラル・パーマー号のフェニホフ牧師も、長い間親身も及ばぬ世話をしてくれたギュツラフ夫妻も、このモリソン号ではるばる送ってくれるキングたちも、みなキリストを信じている。そのキリストの顔を踏むことは、これら親切にしてくれた人たちの顔を踏むようなものだと、岩吉は心が痛んだ。
(しかし、わしにはお絹や、岩太郎が待っている!)
たとえ、足一本、腕一本になっても帰らねばならぬと、岩吉は思った。
「わしは踏み絵など、いくらでも踏むとですが……お上はキリシタンの教えを受けたか、しつこく探るとでしょうな」
「そうやろな。けど何と言われても、何も聞かんかったと言い通すより仕方あらせん」
「わしは大人ですばい、しらを切れましょうが、ばってん力松などはまだ子供ですばい。脅《おど》され、すかされて、うかうかと口を割らんか、心配なこつです」
それは岩吉たち三人も、心配していたことであった。どんな巧妙なわなを仕掛けて取り調べをするか、役人のすることは想像もつかない。罪人をつくれば、その役人の手柄《てがら》になると聞いたことがある。一人の人間を罪に落とすために、どんな手を使われるか、わからないのだ。放免した後で何かが発覚した場合、役人は責任を問われる。それを恐れて長い時間をかけたり、拷問《ごうもん》をしたりすると聞く。
(チャーチに行ったことが、ばれなければいいが)
長い取り調べに疲れ果てて、力松だけではない、誰が口を割らぬ訳でもない。誰一人キリシタンになった者はいないが、説教を聞かされたことは事実なのだ。庄蔵たちには内緒にしてはいるが、聖書の翻訳《ほんやく》に手を藉《か》したことも事実なのだ。岩吉の胸はまたしても重くなって行った。
その岩吉の思いを知ってか知らずか、久吉が大声で言った。
「あっ! 島や! 舵取《かじと》りさん」
指さす東南東の海原に、八丈島《はちじようじま》、御蔵島《みくらじま》、三宅島《みやけじま》、神津島《こうづしま》、新島《にいじま》、利島《としま》、大島《おおしま》などの伊豆諸島が、飛び石のように連なって見えた。
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