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海嶺217

时间: 2020-03-19    进入日语论坛
核心提示:一三 八月十日。モリソン号は佐多岬《さたみさき》を右に見て、鹿児島湾に舳《へさき》を向けた。「おうっ!」思わず人々が声を
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一三
 八月十日——。モリソン号は佐多岬《さたみさき》を右に見て、鹿児島湾に舳《へさき》を向けた。
「おうっ!」
思わず人々が声を上げたほどに、日の出の鹿児島湾は、朝焼けに映えて美しかった。隈《くま》なく晴れた空の彼方《かなた》に桜島がはっきりと見えた。左手に突き出た薩摩半島には裾《すそ》を長くひろげた円錐型《えんすいけい》の開聞岳《かいもんだけ》が、のびやかな稜線を見せていた。
「懐かしかーっ」
熊太郎が声を詰まらせた。
「懐かしかーっ」
寿三郎も声を上げた。庄蔵は桜島の上になびく煙を眺《なが》めながら、瞬《まばた》きもしない。
「とうとう薩摩やな」
庄蔵から幾度も聞かされていた鹿児島湾の景色に見入っていた久吉が、頂上まで耕された左手の段々|畠《ばたけ》に目を注めて言う。
「ほんとやな、ようやく来たわ」
音吉は安堵《あんど》の色を顔一杯に浮かべて言った。追い立てるような激しい風に、僅《わず》か一昼夜で浦賀から鳥羽の沖までモリソン号は一気に南下した。が、八月四日になって急に風を失い、その後は遅々《ちち》として進まなかった。四日の日は六十マイル走ったが、北に流れる潮が強く、二十マイルしか前進できなかった。更《さら》に六日には、潮に流されて逆戻《ぎやくもど》りし、七日には、さすがのインガソル船長も、危機を感じたようであった。キングはその日の日記にこう書いた。
〈一日、七十マイルに達したこの潮流は、全くわれわれの予期しなかったもので、毎日|怠《おこた》らず観測をつづけなかったならば、遂には危険に陥ったことであろう〉
八月八日の早朝、ようやく彼方《かなた》に九州が見え、昨九日は大隅《おおすみ》半島と種子島《たねがしま》の間の大隅《おおすみ》海峡にさしかかった。が、夕刻|突如《とつじよ》として風が全く止み、小波さえも海上から消えた。南アメリカ沖でのべた凪《なぎ》を思い起こさせる無気味な海であった。
こうして、今朝、浦賀を追われて以来十一日目に鹿児島湾に入って来たのである。
船が佐多浦の沖に投錨《とうびよう》した時、
「大砲がないやろな、船頭さん」
音吉は一番気がかりなことを尋ねた。
「この辺には大砲はなかとです」
庄蔵は自信ありげに言い切り、
「何なら、ミスター・キングに頼んで、寿三郎とこの辺《あた》りの様子を探って来てもよかとです」
「え!? 船頭さんが陸に上がるとですか。そぎゃん危なかこつ……」
熊太郎の言葉を遮《さえぎ》るように寿三郎が言った。
「いや、熊太郎。薩摩の殿さんは偉いお方と聞いとるばい。浦賀の小役人とは扱いがちがうと」
岩吉が庄蔵を伴ってギュツラフとキングのもとに相談に行った。二人は机の上に地図を出して、何か話し合っていた。朝日がその地図の上に明るくさしていた。岩吉たちの申し出を聞いたキングとギュツラフは、しばらく考えていたが、
「わかりました。ご希望なら、ご意向に沿うように、努力しましょう」
キングはこの航海中、何をするにも日本人の意見を重んじて来た。ここに投錨《とうびよう》したのも、日本人たちの願いを受け入れてのことであった。出来ることなら、もっと湾の奥深く、西岸の宮浜の近くまで進みたかった。が、岩吉たち七人は浦賀で受けた攻撃に懲《こ》りていた。いつでも逃げ出せる場所に停泊してほしいと願った。その願いをもキングたちは聞き入れていたのである。
キングは直ちにパーカー、ウイリアムズ、インガソル船長と相談して、ボートをおろした。その上、二、三人の乗組員も同行させた。
「大丈夫やろか、舵取《かじと》りさん」
モリソン号を離れて行くボートを見送りながら、音吉が言った。
「わからん、わしには」
浦賀では、モリソン号は多くの日本人たちにパンやブドー酒を分け与えた。大砲のないことも日本側にはわかった筈《はず》だ。それでもあのような砲撃を受けたのである。立ち去るようにとの事前の通達さえなかったのだ。岩吉が日本にいた時も、役人は常に横柄《おうへい》であった。が、まさかあのような仕打ちを外国船に対してなすとは、思いもよらぬことであった。五年間にわたる海外での生活の中で、岩吉は個人の意志を尊ぶというあり方に馴《な》れて来た。そしていつしか、日本の役人も話せばたやすくわかるような錯覚を抱いていた。が、日本人と欧米人との考えが、全くちがっていることを、岩吉は浦賀において改めて思い知らされたのだ。
庄蔵がこのあたりの様子を探《さぐ》りに行きたいと言い出した時、岩吉は反対した。だが庄蔵は言った。
「薩摩藩の殿さま親子は只者《ただもの》ではなか」
藩主は島津|斉興《なりおき》と言った。この斉興が二十七代の藩主になった時、薩摩藩は多額の借財を抱えて疲弊《ひへい》していた。琉球と合わせて人口八十万余の、その一人当たり六両弱の負債《ふさい》であった。斉興は倹約質素を旨《むね》とし、茶人調所笑左衛門《さじんずしよしようざえもん》を取り立て、藩の財政整理に当たらせた。笑左衛門は各種の産業を盛んにし、砂糖専売法を定め、大坂地方の富商に五百万両の藩債を引き受けさせた。その上税法を改め、窮民を助けた。藩は着々と力を蓄え、ついには大坂における砂糖売り上げが年額二十三万両にものぼった。
だが、この藩主斉興よりも、息子|斉彬《なりあきら》の名が日本全国に鳴りひびいていた。斉彬は十一年前の文政九年、十八歳でドイツ人シーボルトの弟子となった。医学、動植物学をはじめ、ヨーロッパの文化を学び、その上洋学者|箕作阮甫《みつくりげんぽ》、高野長英《たかのちようえい》、夏木弘安《なつきこうあん》などに蘭学《らんがく》を進講させ、海外の形勢に極めて明るく、その器《うつわ》の大きいこと、識見《しつけん》の優《すぐ》れていること、一度会った者は畏敬《いけい》せずにはいられないと伝えられていた。しかも、領土領民を藩主が私してはならぬと常々|戒《いまし》めていることも、近隣の噂《うわさ》にのぼっていた。
「それにの、薩摩の若殿は、横文字を自在に喋《しやべ》ったり書いたりするとです」
「何!? 横文字を書ける? そりゃあ大したもんや。確かに只者《ただもの》ではあらせんな。ほかの殿さんとはちがうな」
岩吉は、蘭学《らんがく》がいかなる学問かを知らなかった。が、横文字を知っているということで、その考え方がキングやギュツラフたちに似ているのではないかと思った。そして、キリシタンに対しても、酷《むご》い詮議《せんぎ》はしないのではないかと思ったのだ。岩吉は知らなかったが、蘭学書には聖書の言葉や、聖画が組みこまれていたのである。特に斉彬に蘭学を講義した箕作阮甫《みつくりげんぽ》は、旧約聖書にも暗くなかったから、岩吉の推量は図《はか》らずも当たっていたと言える。だが今、音吉に庄蔵たちが無事に戻《もど》って来るかと聞かれれば、ふと心がゆらいだ。庄蔵と寿三郎が、役人に高手小手《たかてこて》に縛《しば》り上げられ、打ち据《す》えられるのではないかと不安になった。
「わしにもわからんな」
岩吉はくり返した。
湾内も意外に波が荒かった。ボートは波間に浮き沈みしながら、本船を遠ざかって行った。佐多浦の浜は、砂利浜《じやりはま》だと聞いているが、船から眺《なが》める岸は、小山が海まで迫っているように見えた。
佐多浦の海には、磯舟《いそぶね》もかなり出ている様子だ。しばらくの間、残された五人は落ち着きなく船室に戻ったり、甲板《かんぱん》に出たりしていた。
庄蔵たちが出て行って、およそ四時間が過ぎた。
「そろそろ帰って来てもええ頃《ころ》やがなあ」
船室に寝ころんでいた久吉が、起き上がって言った。
「そやなあ。もう帰って来てもええわな。テン・オクロックを過ぎたわ」
「ややこしいことにならんとよか」
力松は泣き出しそうな顔をしている。
「大丈夫たい。泣くこつはなか」
熊太郎が力松を叱《しか》りつけた。熊太郎自身が不安だからだ。しばらく、みんな黙った。と、熊太郎がいらいらと船室を出て行った。が、すぐに戻《もど》って来るなり、久吉と音吉に向かって言った。
「何で九州の者ばかり、二人も陸に上げたとな」
音吉は甲板《かんぱん》にいる。音吉と久吉は顔を見合わせた。
「尾張《おわり》のあんたらは何で行かんかったと? 恐ろしか?」
「わしら知らん。舵取《かじと》りさんと船頭さんの話し合いで決まったことだでな」
「話し合い?」
熊太郎はちょっと押し黙ったが、
「もし船頭さんらが帰らん時は、どうしてくれると?」
熊太郎は心配のあまり気が立っていた。船窓から、湾内に立つ白波を眺《なが》めながら、音吉は熊太郎の心配がよくわかった。口をつぐんだ二人に熊太郎が嵩《かさ》にかかって言った。
「尾張のあんたらに、取り返しに行ってもらうとです」
熊太郎の言葉に、年少の力松が怯《おび》えたように熊太郎の袖《そで》を引いて叫んだ。
「大丈夫たい! 船頭さんは大丈夫たい!」
「そうや。大丈夫やな、力松」
音吉がやさしく相槌《あいづち》を打った。
「大丈夫? ばってん、どこにその保証があると? 日本のお上《かみ》は恐ろしか。お前ら浦賀の大砲を忘れたと?」
「忘れはせん。な、音。けどな熊太郎。肥後《ひご》の船頭さんは考え深い人だでな。阿呆《あほ》なことはせん。すぐに戻《もど》って来る。すぐにな」
久吉が熊太郎をなだめるように言った。
「ばってん、船頭さんが船を出てから、かれこれ二刻も過ぎているたい。あー」
熊太郎は太い吐息《といき》をつき、
「お伊勢、船玉《ふなだま》さま、天神さま、仏さんでも神さんでもよか。わしらの船頭さんらを帰して下され」
と、床に頭をすりつけた。と、その時音吉が叫んだ。
「あ!? あれは何の船や?」
波に傾いたモリソン号の窓に、青い空だけが映った。
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