「して、おはんの名は何と申す?」
藩の役人は、視線を庄蔵から岩吉に移した。白角に白丸の薩摩《さつま》の定紋《じようもん》の染め抜かれた青地の着物を着た役人が数人、ずらりと床几《しようぎ》に腰をおろして居並んでいる。
「熱田宮宿の岩吉と申します」
岩吉は神妙《しんみよう》に答えた。幾度か江戸に往来して世間の広い岩吉は言葉を改めて言った。庄屋の家の庭先に、今、岩吉と庄蔵は土下座《どげざ》していた。土地の者たちが多勢、その場に押しかけていた。雛《ひな》を呼ぶのか、屋敷の一劃《いつかく》でしきりに|※[#「奚+隹」、unicode96de]《にわとり》の声がする。
「ほほう、熱田の宮宿とか。して、出帆《しゆつぱん》は何月何日でごわしたか」
「天保三年十月十日六つ半でござりました」
「何、天保三年? とすると、今年は八年、五年も前のこつ……」
「はい、長い長い五年でござりました」
中年のその役人は膝《ひざ》の上で扇子《せんす》をぱちりと鳴らし、
「して、船主の名は?」
「はい小野浦の樋口源六にござります」
傍《かたわ》らで、若い役人がさらさらと筆を走らせていた。
「船頭は?」
「小野浦の樋口重右衛門」
岩吉は宝順丸の上で死んで行った重右衛門の顔を思い浮かべながら答えた。岡廻《おかまわ》り六右衛門、水主頭《かこがしら》仁右衛門、炊頭《かしきがしら》勝五郎、水主の利七、政吉、辰蔵、三四郎、千之助、吉治郎、常治郎、そして久吉、音吉の名を、岩吉は順々に告げながら胸の熱くなるのを覚えた。
「十四人のうち十一人は、体に赤い斑《まだら》が出来、歯ぐきから血を出して、その果てに死んだのでござります」
「十四人のうち、十一人が死んだとのう」
役人たちは顔を見合わせ、土地の者がざわめいた。
「して、嵐に遭《お》うたのは?」
「はい、十月十一日|遠州灘《えんしゆうなだ》においてでござりました」
岩吉の目に、あの日水平線上に現れた疾《はや》て雲がありありと浮かんだ。その疾て雲は、見る見る頭上一杯にひろがった。疾て雲の恐ろしさを知らぬ水主《かこ》はいなかった。あれが嵐の始まりだった。
「舳《へさき》を陸に回せーっ!」
船頭重右衛門の上ずった声が今も耳の底にある。岩吉はその嵐の様《さま》を、問われるままに役人たちに告げた。
「うーむ。船を飛び越えるような、そぎゃん大きな波がのう。よう水船にならんとじゃった」
「はい。お伊勢様に、熱田様に、船玉様《ふなだまさま》にと、一同一心に祈って、荷打ちをするやら、アカ汲《く》みをするやら、遂には帆柱を切り倒すやら、それは懸命でござりました」
滝のように流れ落ちる海水に打たれながら必死にアカ汲みをしていた岡廻《おかまわ》り六右衛門の姿を岩吉は思った。汲んでも汲んでも、水は増すばかりだった。あの嵐の中で、宝順丸が沈まなかったのは確かに不思議なことであった。
「して、そいからどぎゃんしたとか」
黒潮に流されて、大海に出た次第を岩吉は話した。
「来る日も来る日も、只《ただ》海ばかりでござりました。水が尽き、野菜が尽き……」
岩吉はらんびきをして水を得た苦労も話して聞かせた。
「なるほど、潮水を沸《わ》かして真水《まみず》を取る。えらかこつじゃ。当然、船の上では焚《た》くものにも限りがあったじゃろう」
「はい。水の不足が何より辛《つろ》うござりました」
岩吉の髪が風に乱れて額にかかる。その異国ふうの髪をした岩吉の言葉に、土地の者たちは一心に耳を澄ましていた。
「一同無事に帰れるか、いずこのあたりに船があるものか、幾度|伺《うかが》いを立てたことか数知れませぬ」
太平洋の真っ只中《ただなか》で、ひたすら伊勢神宮に熱田の宮に、八幡の社に、各々の氏神《うじがみ》に、金比羅《こんぴら》に、稲荷《いなり》に、そして仏にと、必死に祈った仲間たちの様子を、岩吉は辛い思いで思い返した。
話がアメリカ大陸の見えた所にさしかかると、土地の者が、思わず大きな吐息《といき》を洩《も》らした。
だが、インデアンの奴隷《どれい》となってアー・ダンクの鞭《むち》に追い廻《まわ》された生活に及ぶと、洟《はな》をすすり上げる者もいた。イーグル号で、ロンドンまで行った話に、役人は驚き、
「何!? エゲレスまで?」
と言ったが、若い役人たちにはイギリスがどこにあるのか、見当もつかぬようであった。ついで、イギリスからマカオまでの旅、マカオでのギュツラフ夫妻の親切を、岩吉は力をこめて語った。そして遂に、キングの計らいによってモリソン号を仕立て、大砲を取り外《はず》し、浦賀まではるばる送られて来たが、日本の大砲に撃ち払われ、一時は悲歎《ひたん》の余り、七人|揃《そろ》って首をくくって死のうか、腹かき切って死ぬべきかと、覚悟したことも余さず告げた。懐かしい故国日本を目の前に撃ち帰された話を語った時、土地の者はむろん、役人たちも涙をこらえかね、語る岩吉もまた言葉が途切れ勝ちであった。
「そぎゃん酷《むご》か……酷かこつでごわしたのう」
土地の者が口々に言うのを、岩吉は土に涙を落としながら聞いた。役人が言った。
「そいどん、お上《かみ》のご定法《じようほう》じゃからのう。異国の船は二言なく打ち払えと定められておる。しかしじゃ、おはんたち日本人が乗っておったと知れば、よもや大砲は撃たんじゃったでごわそう」
その年長の役人は、柔和《にゆうわ》なものの言い様をする、情け深げな男であった。
「ほんのこつ、一年二か月もの苦しか漂流に、ようも耐えたものじゃ。言葉も通ぜぬ異国の家に、よう我慢して生きたものじゃ。さぞ辛《つら》かことでごわしたろう。親兄弟、妻子がさぞ恋しかこつでごわしたろうのう」
「はい。わたくしどもは只々《ただただ》家族に会いたさに、どんな苦労も辛抱して参りました」
岩吉の目に、妻の絹、愛《いと》し児岩太郎、そして両親の顔が浮かんで消えた。
「そうでごわすとも、そうでごわすとも。音吉、久吉とやらも、十四、十五の童《わらべ》の頃《ころ》に故土《くに》を出て、今は十九、二十の若者じゃ。今、おはんが話したこつは、書き役がすべて書きとった故《ゆえ》、直《ただ》ちにこれより鹿児島に届けもす。おそらくおはんたちは、何のお咎《とが》めもなく、各々の家に帰るこつとなりもそう。よき便りを安心して待つがよか。のう岩吉、庄蔵」
「は、はい」
岩吉は耳を疑った。役人は今確かに、何の咎めもなくそれぞれの家に帰れるであろうと言ったのである。熱いものが胸にこみ上げ、岩吉も庄蔵も只肩をふるわせ、声もなかった。
「ところで、おはんたちはキリシタンの教えに染まってはおらぬでごわすの」
役人は俄《にわか》に今までにない厳しい語調になった。
「決してそのようなこつは……命にかけてござりませぬ」
庄蔵が平伏し、岩吉も共に平伏した。
「うむ。岩吉の話の端々に、お伊勢さんや熱田さんが度々《たびたび》出たこつ故《ゆえ》、よもやそぎゃんこつはなかと思うたが、何せ長い異国の生活じゃ。しかとそいに相違なかとな!」
「は、はーっ、誓って相違ござりませぬ。わたくしどもは只《ただ》、日本の神々に仏に、国に帰れるよう朝夕念じておりました」
答えた岩吉の胸に、ギュツラフを助けて、聖書和訳に励んだ日々の姿がよぎった。だがキリシタンになったわけではない、と岩吉は頭を上げた。
「さようか。キリシタンにさえなっておらねば、問題はなか。日本人が日本の国に帰るこつは当然。安心して待つがよか」
あたたかい励ましの言葉に、庄蔵と岩吉は肩をふるわせて再び土に平伏した。
庄蔵は今朝《けさ》早く、寿三郎と二人で佐多浦に上陸した。その時庄蔵は、命よりも大事にしていた乗組員|名簿《めいぼ》と積み荷|目録《もくろく》を懐に入れていた。それが役人の信用を得るのに大いに力となった。そしてこの穏和な役人はモリソン号まで同行してくれ、何かと便宜《べんぎ》を計らってくれた。庄蔵と寿三郎の帰りを不安のうちに待ち侘《わ》びていた岩吉たちは、この役人に接して、俄《にわか》に帰国の望みを強くしたのである。キングはこの役人に、薩摩藩主宛《さつまはんしゆあて》の書状を托《たく》した。この役人が折り返し陸に戻《もど》る時、庄蔵は岩吉と共に、再び佐多浦に行った。庄蔵たちは九州組の漂流の模様は、寿三郎と二人で、こもごも役人に語ったが、宝順丸の漂流については、当事者である岩吉の口から述べられねばならなかった。
こうして岩吉は、役人や土地の者たちの前に、漂流の辛苦を一心に語った。それと共に、ハドソン湾会社の示してくれた親切や、ギュツラフ、キングたちが親身になって自分たちを日本まで送り届けてくれるに至ったいきさつを、語り伝えたのである。
役人はそれが癖の、扇子《せんす》を膝《ひざ》の上で忙しく開いたり閉じたりしながら、感じ入ったように言った。
「ふーむ、それにしてものう、見も知らぬ異国の人たちが、おはんたちをそいほどに親切に扱ってくれたとか。各々方、その異人たちは、おいどんと同じ人間でごわすとか」
「ほんのこつ、おいどんも感じ入って聞きもしたが、それは人間よりも、もっと優《すぐ》れた何者かではごわはんか」
「まことじゃて。人間よりも、神か仏に近い者ではなかか。並の人間にはとても出来るこつではなか」
中年の役人がそう言った時、若い役人が言った。
「そいどん、おはんら、今聞けば、毎日腹一杯食い物を与えられていたと言うではなかか。なんでこの飢饉《ききん》騒ぎの日本に帰って来たとじゃ」
「そうじゃ、そうじゃ。大坂では米騒動で、今年の二月、大塩平八郎ちゅうもんが市中に火をつけたわ。全国至る所で、飢え死にする者が出ておるとじゃ。この辺《あた》りでも、乞食《こじき》があふれているとじゃ。なんでそぎゃん所に帰って来たとな」
「これ、何を申す! つぶさに辛酸《しんさん》をなめての末に帰って来たその心根《こころね》が、おはんらにはわからんとか。親兄弟ほど懐かしか者はなか! 大切なものはなか!」
年長の役人は、若い役人たちをたしなめた。岩吉は必死になって言った。
「お役人様、そんな飢饉《ききん》の時に故里《くに》に帰っては、さぞご迷惑でござりましょう。しかしお許しさえ下されば、わしら七人が口にする米ぐらいは、マカオから船で運んで参ります。どうか……どうか……わしらを国元に帰して下さりませ」
岩吉の言葉に、土地の者たちも、
「おねがいでごわす」
と、涙ながらに頭を下げた。
「安心するがよか。今の言葉も書き添えて、殿《との》に早速《さつそく》一切を書き送るとじゃ。嵐に遭《お》うたは、おはんらの罪ではなか。必ずやお許しが出ると思うて待っちょるがよか。よかな」
あたたかい声音《こわね》に、岩吉と庄蔵は喜びにあふれて、その日の午後二時モリソン号に帰ったのである。
藩の役人は、視線を庄蔵から岩吉に移した。白角に白丸の薩摩《さつま》の定紋《じようもん》の染め抜かれた青地の着物を着た役人が数人、ずらりと床几《しようぎ》に腰をおろして居並んでいる。
「熱田宮宿の岩吉と申します」
岩吉は神妙《しんみよう》に答えた。幾度か江戸に往来して世間の広い岩吉は言葉を改めて言った。庄屋の家の庭先に、今、岩吉と庄蔵は土下座《どげざ》していた。土地の者たちが多勢、その場に押しかけていた。雛《ひな》を呼ぶのか、屋敷の一劃《いつかく》でしきりに|※[#「奚+隹」、unicode96de]《にわとり》の声がする。
「ほほう、熱田の宮宿とか。して、出帆《しゆつぱん》は何月何日でごわしたか」
「天保三年十月十日六つ半でござりました」
「何、天保三年? とすると、今年は八年、五年も前のこつ……」
「はい、長い長い五年でござりました」
中年のその役人は膝《ひざ》の上で扇子《せんす》をぱちりと鳴らし、
「して、船主の名は?」
「はい小野浦の樋口源六にござります」
傍《かたわ》らで、若い役人がさらさらと筆を走らせていた。
「船頭は?」
「小野浦の樋口重右衛門」
岩吉は宝順丸の上で死んで行った重右衛門の顔を思い浮かべながら答えた。岡廻《おかまわ》り六右衛門、水主頭《かこがしら》仁右衛門、炊頭《かしきがしら》勝五郎、水主の利七、政吉、辰蔵、三四郎、千之助、吉治郎、常治郎、そして久吉、音吉の名を、岩吉は順々に告げながら胸の熱くなるのを覚えた。
「十四人のうち十一人は、体に赤い斑《まだら》が出来、歯ぐきから血を出して、その果てに死んだのでござります」
「十四人のうち、十一人が死んだとのう」
役人たちは顔を見合わせ、土地の者がざわめいた。
「して、嵐に遭《お》うたのは?」
「はい、十月十一日|遠州灘《えんしゆうなだ》においてでござりました」
岩吉の目に、あの日水平線上に現れた疾《はや》て雲がありありと浮かんだ。その疾て雲は、見る見る頭上一杯にひろがった。疾て雲の恐ろしさを知らぬ水主《かこ》はいなかった。あれが嵐の始まりだった。
「舳《へさき》を陸に回せーっ!」
船頭重右衛門の上ずった声が今も耳の底にある。岩吉はその嵐の様《さま》を、問われるままに役人たちに告げた。
「うーむ。船を飛び越えるような、そぎゃん大きな波がのう。よう水船にならんとじゃった」
「はい。お伊勢様に、熱田様に、船玉様《ふなだまさま》にと、一同一心に祈って、荷打ちをするやら、アカ汲《く》みをするやら、遂には帆柱を切り倒すやら、それは懸命でござりました」
滝のように流れ落ちる海水に打たれながら必死にアカ汲みをしていた岡廻《おかまわ》り六右衛門の姿を岩吉は思った。汲んでも汲んでも、水は増すばかりだった。あの嵐の中で、宝順丸が沈まなかったのは確かに不思議なことであった。
「して、そいからどぎゃんしたとか」
黒潮に流されて、大海に出た次第を岩吉は話した。
「来る日も来る日も、只《ただ》海ばかりでござりました。水が尽き、野菜が尽き……」
岩吉はらんびきをして水を得た苦労も話して聞かせた。
「なるほど、潮水を沸《わ》かして真水《まみず》を取る。えらかこつじゃ。当然、船の上では焚《た》くものにも限りがあったじゃろう」
「はい。水の不足が何より辛《つろ》うござりました」
岩吉の髪が風に乱れて額にかかる。その異国ふうの髪をした岩吉の言葉に、土地の者たちは一心に耳を澄ましていた。
「一同無事に帰れるか、いずこのあたりに船があるものか、幾度|伺《うかが》いを立てたことか数知れませぬ」
太平洋の真っ只中《ただなか》で、ひたすら伊勢神宮に熱田の宮に、八幡の社に、各々の氏神《うじがみ》に、金比羅《こんぴら》に、稲荷《いなり》に、そして仏にと、必死に祈った仲間たちの様子を、岩吉は辛い思いで思い返した。
話がアメリカ大陸の見えた所にさしかかると、土地の者が、思わず大きな吐息《といき》を洩《も》らした。
だが、インデアンの奴隷《どれい》となってアー・ダンクの鞭《むち》に追い廻《まわ》された生活に及ぶと、洟《はな》をすすり上げる者もいた。イーグル号で、ロンドンまで行った話に、役人は驚き、
「何!? エゲレスまで?」
と言ったが、若い役人たちにはイギリスがどこにあるのか、見当もつかぬようであった。ついで、イギリスからマカオまでの旅、マカオでのギュツラフ夫妻の親切を、岩吉は力をこめて語った。そして遂に、キングの計らいによってモリソン号を仕立て、大砲を取り外《はず》し、浦賀まではるばる送られて来たが、日本の大砲に撃ち払われ、一時は悲歎《ひたん》の余り、七人|揃《そろ》って首をくくって死のうか、腹かき切って死ぬべきかと、覚悟したことも余さず告げた。懐かしい故国日本を目の前に撃ち帰された話を語った時、土地の者はむろん、役人たちも涙をこらえかね、語る岩吉もまた言葉が途切れ勝ちであった。
「そぎゃん酷《むご》か……酷かこつでごわしたのう」
土地の者が口々に言うのを、岩吉は土に涙を落としながら聞いた。役人が言った。
「そいどん、お上《かみ》のご定法《じようほう》じゃからのう。異国の船は二言なく打ち払えと定められておる。しかしじゃ、おはんたち日本人が乗っておったと知れば、よもや大砲は撃たんじゃったでごわそう」
その年長の役人は、柔和《にゆうわ》なものの言い様をする、情け深げな男であった。
「ほんのこつ、一年二か月もの苦しか漂流に、ようも耐えたものじゃ。言葉も通ぜぬ異国の家に、よう我慢して生きたものじゃ。さぞ辛《つら》かことでごわしたろう。親兄弟、妻子がさぞ恋しかこつでごわしたろうのう」
「はい。わたくしどもは只々《ただただ》家族に会いたさに、どんな苦労も辛抱して参りました」
岩吉の目に、妻の絹、愛《いと》し児岩太郎、そして両親の顔が浮かんで消えた。
「そうでごわすとも、そうでごわすとも。音吉、久吉とやらも、十四、十五の童《わらべ》の頃《ころ》に故土《くに》を出て、今は十九、二十の若者じゃ。今、おはんが話したこつは、書き役がすべて書きとった故《ゆえ》、直《ただ》ちにこれより鹿児島に届けもす。おそらくおはんたちは、何のお咎《とが》めもなく、各々の家に帰るこつとなりもそう。よき便りを安心して待つがよか。のう岩吉、庄蔵」
「は、はい」
岩吉は耳を疑った。役人は今確かに、何の咎めもなくそれぞれの家に帰れるであろうと言ったのである。熱いものが胸にこみ上げ、岩吉も庄蔵も只肩をふるわせ、声もなかった。
「ところで、おはんたちはキリシタンの教えに染まってはおらぬでごわすの」
役人は俄《にわか》に今までにない厳しい語調になった。
「決してそのようなこつは……命にかけてござりませぬ」
庄蔵が平伏し、岩吉も共に平伏した。
「うむ。岩吉の話の端々に、お伊勢さんや熱田さんが度々《たびたび》出たこつ故《ゆえ》、よもやそぎゃんこつはなかと思うたが、何せ長い異国の生活じゃ。しかとそいに相違なかとな!」
「は、はーっ、誓って相違ござりませぬ。わたくしどもは只《ただ》、日本の神々に仏に、国に帰れるよう朝夕念じておりました」
答えた岩吉の胸に、ギュツラフを助けて、聖書和訳に励んだ日々の姿がよぎった。だがキリシタンになったわけではない、と岩吉は頭を上げた。
「さようか。キリシタンにさえなっておらねば、問題はなか。日本人が日本の国に帰るこつは当然。安心して待つがよか」
あたたかい励ましの言葉に、庄蔵と岩吉は肩をふるわせて再び土に平伏した。
庄蔵は今朝《けさ》早く、寿三郎と二人で佐多浦に上陸した。その時庄蔵は、命よりも大事にしていた乗組員|名簿《めいぼ》と積み荷|目録《もくろく》を懐に入れていた。それが役人の信用を得るのに大いに力となった。そしてこの穏和な役人はモリソン号まで同行してくれ、何かと便宜《べんぎ》を計らってくれた。庄蔵と寿三郎の帰りを不安のうちに待ち侘《わ》びていた岩吉たちは、この役人に接して、俄《にわか》に帰国の望みを強くしたのである。キングはこの役人に、薩摩藩主宛《さつまはんしゆあて》の書状を托《たく》した。この役人が折り返し陸に戻《もど》る時、庄蔵は岩吉と共に、再び佐多浦に行った。庄蔵たちは九州組の漂流の模様は、寿三郎と二人で、こもごも役人に語ったが、宝順丸の漂流については、当事者である岩吉の口から述べられねばならなかった。
こうして岩吉は、役人や土地の者たちの前に、漂流の辛苦を一心に語った。それと共に、ハドソン湾会社の示してくれた親切や、ギュツラフ、キングたちが親身になって自分たちを日本まで送り届けてくれるに至ったいきさつを、語り伝えたのである。
役人はそれが癖の、扇子《せんす》を膝《ひざ》の上で忙しく開いたり閉じたりしながら、感じ入ったように言った。
「ふーむ、それにしてものう、見も知らぬ異国の人たちが、おはんたちをそいほどに親切に扱ってくれたとか。各々方、その異人たちは、おいどんと同じ人間でごわすとか」
「ほんのこつ、おいどんも感じ入って聞きもしたが、それは人間よりも、もっと優《すぐ》れた何者かではごわはんか」
「まことじゃて。人間よりも、神か仏に近い者ではなかか。並の人間にはとても出来るこつではなか」
中年の役人がそう言った時、若い役人が言った。
「そいどん、おはんら、今聞けば、毎日腹一杯食い物を与えられていたと言うではなかか。なんでこの飢饉《ききん》騒ぎの日本に帰って来たとじゃ」
「そうじゃ、そうじゃ。大坂では米騒動で、今年の二月、大塩平八郎ちゅうもんが市中に火をつけたわ。全国至る所で、飢え死にする者が出ておるとじゃ。この辺《あた》りでも、乞食《こじき》があふれているとじゃ。なんでそぎゃん所に帰って来たとな」
「これ、何を申す! つぶさに辛酸《しんさん》をなめての末に帰って来たその心根《こころね》が、おはんらにはわからんとか。親兄弟ほど懐かしか者はなか! 大切なものはなか!」
年長の役人は、若い役人たちをたしなめた。岩吉は必死になって言った。
「お役人様、そんな飢饉《ききん》の時に故里《くに》に帰っては、さぞご迷惑でござりましょう。しかしお許しさえ下されば、わしら七人が口にする米ぐらいは、マカオから船で運んで参ります。どうか……どうか……わしらを国元に帰して下さりませ」
岩吉の言葉に、土地の者たちも、
「おねがいでごわす」
と、涙ながらに頭を下げた。
「安心するがよか。今の言葉も書き添えて、殿《との》に早速《さつそく》一切を書き送るとじゃ。嵐に遭《お》うたは、おはんらの罪ではなか。必ずやお許しが出ると思うて待っちょるがよか。よかな」
あたたかい声音《こわね》に、岩吉と庄蔵は喜びにあふれて、その日の午後二時モリソン号に帰ったのである。