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真夜中のサーカス14

时间: 2020-03-21    进入日语论坛
核心提示:魔術四按摩がきたとき、彼はもう床に入って、文庫本を読んでいた。入口の戸が開いて、「お晩でーす。マッサージでーす。」按摩は
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魔術

按摩がきたとき、彼はもう床に入って、文庫本を読んでいた。入口の戸が開いて、
「お晩でーす。マッサージでーす。」
按摩はそういって入ってきた。女の按摩であった。声だけではよくわからなかったが、
「失礼しまあす。」
と部屋の|襖《ふすま》を開けて入ってきたのをみると、まだ十九か二十ぐらいの、寝ていて見上げたせいか女には珍しいほど背の高い按摩であった。そのせいか、色白の顔が随分ちいさく、目はぱっちりと大きくみえた。髪は三つ編みにして、背中の方へ垂らしていた。白い上っ張りのようなものを着て、黄色いスカートを|穿《は》いていた。
彼は、按摩といっても港町だから、いかつい漁師の女房でもくるのではないかと思っていたから、すっかり当てが外れて、すこしうろたえたような気持になった。
「じゃ、やって貰おうか。」
彼は独り言のようにそういって、「よいしょ。」と|躯《からだ》を横向きにした。按摩は、彼の背中の方に膝を落として、肩に手をかけた。
そのとき、彼は片方の耳を枕につけて目を閉じていたが、肩を|揉《も》みはじめた按摩の手を、まるで男の手のようだと思った。大きくて、固くて、強い手であった。指が節くれ立っているような感じさえした。首筋を指圧する親指の感じは、ほとんど男のものと変らなかった。
(この按摩、まさか女装の男じゃあるまいな)
彼は、目をつむったままそう思い、しばらく薄気味の悪さを愉しんだ。
按摩の手は、首からまた肩に戻り、腕に移った。腕は彼の脇腹の上に置かれていた。按摩はその腕を、彼の脇腹の上にまっすぐに伸ばして、両手で揉んだ。かなり強いマッサージだったが、彼は近頃太りはじめて、すこし強目でなければ効かないのだ。いい気持だった。男みたいな女按摩も、悪くないと思った。
しばらくすると、不意に、按摩の手から力が脱けた。力が脱けたけれども、指はまだ揉む動作をつづけていた。旅先で按摩をとっていると、こんなことは珍しくない。彼は、振り向いて按摩の様子をみたことはないが、そんなときはどこか|痒《かゆ》いところがあって|掻《か》いているのだろうと想像する。夏なら、指先でちょっと汗の玉を弾いたのだろうと思ったりする。実際、それはほんのちょっとの間のことで、じきにまた揉む手に力が戻ってくる。
ところが、どうしたことか、今夜の按摩の指にはなかなか力が戻ってこない。そのうちに、按摩が妙な声を洩らした。しゃっくりとも、げっぷともつかない、「けくっ。」ときこえる声である。
それが、声ではなくて、|喉《のど》が鳴る音だと気がついた直後、彼は自分の脇腹の、浴衣の上に、なにかがぽとりと落ちたような気がした。けれども、はっきりしたことはわからなかった。落ちたとしても、それが何なのか見当もつかなかった。
また落ちた。今度ははっきり、落ちたとわかった。彼は不意に目を開けた。落ちたものが浴衣に|滲《し》みて、なまぬるく肌に触れてきたからである。
まず彼の頭にひらめいた判断は、按摩が泣いているのだということであった。脇腹になまぬるく滲みてきたのはこぼれた涙で、喉が鳴っているのは|嗚咽《おえつ》のせいだ。そう思ったのだ。それで、彼はそっと肩越しに按摩を振り向いてみた。
ところが、彼の判断は間違っていた。按摩は泣いてはいなかった。大きく見開かれた目は、乾いたまま、彼の躯を越えて布団のそばの畳のあたりを、|瞬《またた》きもせずにみつめていた。けれども、そこには別段、みつめられるほどの物はなにもなかった。ただ赤茶けた畳があるだけなのだ。
それでも、按摩の喉は鳴っていて、彼の脇腹に落ちているのは、涙ではなくて|涎《よだれ》であった。
「……おい、どうしたの? 気分が悪いのか?」
彼は|肘《ひじ》で身を起こしていった。
すると、按摩はゆっくりと顔を動かして彼をみた。相変らず目は大きく見開かれていたが、その目はなにもみていないことがわかった。焦点を結ばない、死んだ目だった。顔も|蒼《あお》ざめて、無表情だった。両手はまだ彼の腕の上にあったが、指は全く力を失っていた。ただ厚ぼったい唇だけが生きもののように濡れて光っていて、そこから涎が糸を引いて滑り落ちていた。
「きみ、気分が悪いんだろう? 気分が悪いなら、そこへ横になった方がいい。」
彼はいった。すると、魂が脱けたとしか思えなかった按摩が、意外にも、
「はい。失礼しまあす。」
低い声だったが、はっきりとそういって、布団のすぐそばの畳の上に、仰向けに長々と寝そべった。彼は反射的に起き上って、あぐらをかいた。
この按摩は、|癲癇《てんかん》持ちなのではないかと思った。揉んでいるうちに発作が起ったのではなかろうか。この目と涎は、尋常ではない。けれども、癲癇の発作を起こした人が、「はい。失礼しまあす。」などといえるものなのかどうか。いつか電車のなかでみた癲癇の人は、仰向けに倒れて手足を|顫《ふる》わせ、口からは|泡《あわ》を噴いていた。とてもこんなにおとなしいものではなかった。
畳の上に、硬直したように寝ている按摩の閉じた|瞼《まぶた》は、思いがけなく下手なアイシャドーに汚れていて、それが町工場の窓ガラスのように絶えずぴりぴりと顫えていた。みていて、彼は不安になった。このまま按摩は息絶えてしまうのではないか?
彼は、帳場へ電話しようと思った。その前に、ちょっと按摩の肩を揺さぶってみた。按摩はぱっちりと目を開けた。
「おい、大丈夫か? きみはもう帰って寝た方がいい。」
すると、按摩はなにを思ったのか、頭をもたげて、自分の腹のあたりから脚の方をみた。まるで、眠っている間それだけが気がかりだったのだというふうに、真っ先にそうした。彼は|物哀《ものがな》しいような気分になった。この上、妙な疑いの目でみられたりしたら|叶《かな》わない。
按摩はのろのろと起き上った。目をぱちくりさせていた。彼は立っていって、財布から千円札を抜き取ってきた。
「もういいよ。早く帰ってやすむんだな。いくらだい?」
「七百円です。」
彼は千円札を按摩に渡した。
「お|釣銭《つ り》はいいよ。気をつけて帰るといい。」
「あの、私……。」と、按摩は手のひらに札をのせたままぼんやりとした声でいった。「どこまで揉んだんでしょうか。脚の方も、揉んだかしら。」
「片方の肩と、首と、腕だけだよ。」
と彼は苦笑していった。
「じゃ、こんなに貰えないわ。」
「いいんだ。取って置きなさい。」
「じゃ、あとをやります。大丈夫だから。」
「もう結構。僕はもう眠いんだ。」
按摩はもじもじしていたが、
「ほんじゃ、頂きまあす。」
といって、金を上っ張りのポケットに入れると、
「有難うさんでしたん。」
といって帰っていった。
彼は、急いで浴衣を脱ぐと、乱暴にまるめて部屋の隅へ放ってやった。それから、まだ湿り気のあるタオルで、按摩の涎が滲みた脇腹を強くこすった。いったい、あの按摩はなんだろう。そう思うと、突然ぶるっと|身震《みぶる》いが出た。
彼は、帳場へ電話をかけた。番頭が出た。
「浴衣を一枚欲しいんだけど。」
「浴衣、といいますと……なんの浴衣でしょう。」
と番頭がいった。
「着て寝る浴衣だけどね。」
「浴衣は、女中がお持ちしなかったでしょうか。」
「いや、僕のは前に貰ったがね。」
「すると、どなたの浴衣でしょう。もう一枚と|仰言《おつしや》るのは。」
前の浴衣は按摩が汚したのだといえば、妙な誤解を招くおそれがある。汚した事情をくわしく説明しようと思えば、とんだ手間がかかるだろう。彼は面倒になって、
「とにかく浴衣を一枚、すぐ持ってきて貰いたいね。それに、さっき頼んだ按摩、ありゃあ病気じゃないか。病気の按摩は、困るね。」
そういうと、
「いえ、病気なんかじゃございません。」と、番頭は笑いを含んだ声でいった。「どうぞ御心配なく。もうすぐくるはずですから、いましばらくお待ちくださいますように。」
「いや、按摩なら、もうきて帰ったよ。」
「……そんなはずはありません。つい、いましがた、家を出るという電話がありましたから。なにしろ目が不自由ですから、ちょっと時間がかかります。」
「しかし……按摩は本当にきて、ついさっき帰ったばかりなんだがね。」
と、彼はさっきの按摩の、大きいばかりで|虚《うつ》ろな目を思い出しながらいった。
番頭はちょっと口を|噤《つぐ》んでいたが、
「……それは、どんな按摩さんでしたでしょう。」
「若い女の按摩だよ、背の高い。」
すると、番頭はぐすっと笑った。
「うちで頼んでる人は、五十近い男の按摩さんですが。」
「……じゃ、その按摩の弟子が代りにきたんだろうか。」
「いえ、なにかのお間違いだと思いますが。」
「そんなことはない。現に僕は……。」
「でも、この町には、女の按摩さんは一人もいませんですからね。」
と番頭はいった。
彼は、思わず受話器を耳から離したが、それを置くのを忘れてしまった。もしもし、もしもし、と番頭の声が|蚊《か》の鳴くようにきこえる受話器を両手で胸に抱えて、彼はしばらくぼんやりそこに立っていた。
ふと、誰かがうしろに|佇《たたず》んでいるような気がして、振り返ったが、無論、誰がいるわけもない。米粒のような花をどっさりつけた金木犀の大枝が、|疵《きず》だらけの床の間の壁にひっそりと|靠《もた》れるように傾いているきりである。
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