一
菜穂里の町の北はずれに、古ぼけた木造平屋建ての町営住宅が二十戸ほど、|錆《さ》びたトタン屋根を寄せ集めている一郭がある。裏はすぐ石ころの浜で、日が落ちると浜鳴りが一段と高く、かすかな地響きさえ伴ってきこえてくる。浜鳴りというのは、浜の無数の石ころが波に|嬲《なぶ》られてぶつかり合い、転げ廻る音のことで、|時化《し け》の晩など、町なかにいてもその浜鳴りがきこえる。知らない人が聞けば遠雷かと思うような音である。
この一郭の、街道から路地を入っていちばん奥——ということは最も浜に近いところにあるのが、奥野作造の家である。作造は、この菜穂里の町から山へ五里ほど入った部落の農夫だったが、おととしの秋、雪がくる前に一家で山を降りてきて、空家になっていたこのおんぼろの町営住宅に入った。
一家といっても、女房の伸子と、今年七十八になる祖母の三人暮らしだが、作造はいくつかの力仕事を転々としたのち、いまは港の近くのテトラポッドを作る工場の労務者に落ち着いている。
伸子の方は、浜清水のラムネ工場で|瓶洗《びんあら》いをしている。
ところが、今年になってから、どういうものか作造一家には面白くないことばかりつづけさまに起こっている。
年が明けてまもなく、伸子が流産して、十日寝込んだ。|尤《もつと》も、このときは伸子自身、子供ができていることを知らずにいたといっているが、それが本当かどうかは別として、仕事を休んで十日も寝込んだことが面白くないことには変りはない。それ以来、伸子は時折ヒステリックな言動をみせるようになったが、それもまた面白くないことの付録のようなものだ。
伸子の躯が元通りになると、今度は作造が車にはねられて、|肋骨《ろつこつ》と脚に怪我をした。この方は、十日というわけにはいかなくて、病院からは出てきたものの、いまだに家で養生している。
その上、おとといの出来事である。七十八の婆さんが、誰にもなんともいわずに、ひとりでふらりと家を出たきり帰らないのだ。
いったい、どうしたのだろう。どうしてこうも面白くないことばかりつづくのだろう。